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6<臨戦と、学生の味方>

 雲ひとつない冬空が、水で溶いた青い絵の具のように、なめらかに広がっている。

 見上げると、そのまま吸い込まれてしまいそうな錯覚を起こす。

 神聖なる真剣勝負の日にふさわしい、良い天気だ。

 凛と冷たい空気が気持ちいい。

 私は深呼吸をした。


 ──町の商店街の奥の奥の奥の一角で、それは始まろうとしている。

「なんか、思ってたよりかなり……かわいらしい感じね」

 美里が辺りを見回しながら言う。これはかなりオブラートに包んだ表現だ。

「……そうだね」

 私もステージを見上げ、遠慮がちに頷く。

 この「玉ねぎみじん切り大会」は、想像以上にこぢんまりとした催し物だったのだ。

 大会名が毛筆で書かれた、チープな垂れ幕。

 主催である料理教室の前の僅かなスペースに作られた、高さ30センチほどのステージ。

 参加者は私を含め5人(内3人はその料理教室のメンバーらしい)。

 観客席なんかはもちろんなく、ステージの周りでは恐らく主催者や参加者の身内であろう人々が数名、見物のためつっ立っているだけ。

 競技開始10分前だというのに、なんとも盛り上がらない空気だ。

「私、こんなの持ってきちゃって恥ずかしい」

 美里がオペラグラス片手に呟く。確かにそれはちょっと恥ずかしい。どれだけの大イベントを想像していたのだろうか。

「でも、たとえ想像よりちょっと小規模でも、真剣勝負は真剣勝負。美里の応援を無駄にしないように、頑張るね」

 と、ガッツポーズを作った私を、美里は妙に慈愛に満ちた目で見つめた。

「すっかりスポーツマンみたいになっちゃって……」

「へへ」

「ねぇ心都。今日は私のことを七緒くんだと思っていいわよ……」

 ぽんぽん、と私の肩を叩きながら彼女は言った。

「ありがとう美里。でもその扱い方はよけい傷口広がるんですけど」

「あらそう?」

 昨日の七緒との喧嘩は、今も私の気分をどん底に沈ませていた。

 一晩経って冷静になってみれば、かなり言いたい放題言ってしまったよなぁと思う。七緒の鈍感さと恋愛における無神経さにぷっつんしてしまったとはいえ、我ながら言い過ぎた感は否めない。

 こんな底意地悪い幼馴染みとのバトルを経て、七緒は今頃セクスィーで一途な黒岩先輩とデートだ。さぞかし楽しいことだろう。

「……」

「心都?」

 どんより黙り込んだ私を、美里が心配そうに覗き込んだ。

 駄目だ。

 暗くなっている場合じゃない。今日は大切な勝負の日なのだ。

 気合い、根性、精神力、勝利への飽くなき探求心。

 今必要なのはそれだけだ。

「──よし、頑張るね!美里!」

 私はゆっくり深呼吸をすると、競泳用ゴーグルを装着した。



















 * * * *






 女性の買い物というのは、どうしてこんなに長いのだろうか。

 東七緒は、長年の疑問を心の中で小さく呟いた。

 思えば自分の母親も、昔からショッピングといえば何時間もかけてあーでもないこーでもないとやっていた。最近はもう一緒に買い物に出ることも滅多にないけれど、幼い頃はよく七緒だけが店の前で待ちぼうけをくらったものだ。

 そして今、目の前にいる黒岩みかも例に洩れず、長い長いショッピングを展開中だ。

「ねぇ東くん、これとこれだったらどっちがいいと思う?」

 両手にスカートを持った黒岩が、満面の笑みで訊ねる。

 正直言って七緒にはその2つの違いがわからない。どちらも同じようなデニム生地で、同じような型だ。

「う……俺そういうセンスないんでよくわかんないんですけど」

「もう、そんな深く考えないで、どっちでもいいから決めて!」

「じゃあ……こっち?」

 てきとうに指さしたほうのスカートを、黒岩はご機嫌な様子でレジに持って行った。

 ──うーん。よくわからん。

 七緒は首をひねりつつ、その後ろ姿を見送る。

 どちらでもいい、とはすなわちどちらも大して欲しくないことと同じ気がする。ならば自分の意見を聞いてまで無理して買わないほうが良いのでは、と思う。

 きらきらでカラフルなディスプレイの前で1人にされた七緒は、ぎこちなく辺りを見回した。

 レディースファッション(しかも若干ギャル系)を取り扱うこの店は当然、どこもかしこも若い女性ばかりだ。

 とてつもなく、居心地が悪い。

 いや、ここだけではない。午前中に観たベタベタでコテコテの恋愛映画も、昼食時に入ったおしゃれ感満載なカフェも、ここ以前に入った様々な洋服屋も、ことごとく七緒を所在なげにさせたのだった。あまりにも普段縁のないスポットだからだ。

「おっまたせー!」

 会計を済ませ、紙袋を提げた黒岩が戻ってきた。

「ごめんねー、色んなお店連れ回して疲れたでしょ? どっか入ってお茶でもしよっか」

 これは有り難い提案だった。

 別に疲れてはいなかったが、自分にとって居心地の悪い場所から抜け出せる好機だ。

「そうしましょう! ちょうど近くに俺のよく知ってる店があるんで! 良かったらそこに!」

「きゃあ、東くん行きつけのお店? 行きたい行きたーい!」

 そこは自信を持って案内できる店だ。胸を張り、七緒は歩みを進めた。

「よし、行きましょう! すぐそこです」




 5分後、七緒と黒岩はファーストフード店にいた。

「……行きつけのお店ってここぉ?」

「はいっ。この辺のファーストフード店の中では群を抜いてSサイズの飲み物がでかいんですよ。学生の味方ですよねー」

 雑然と適度にうるさい店内、豊富なメニュー、しかもここらの店で1番安い。まさに「男子中学生にとっては」天国のような場所なのだ。

「あれ。どうかしました?」

 向かいの椅子に座る黒岩の表情が引きつって見える。

「……なんでもない」

「そうですか。先輩何飲みますか?」

「……レモンティー」

 了解でーす、と七緒は勝手知ったるカウンターへ向かう。

 2つのドリンクを抱えて席に戻ると、なんとなく腑に落ちなさそうな顔の黒岩が待っていた。

「……黒岩先輩?」

 声をかけると、黒岩ははたと我に返ったように七緒を見つめた。

「え? あぁ、ありがと」

 2人向かいあって飲み物を飲む。

 やはりこういう店のほうが落ち着く。七緒はオレンジジュースをすすりつつ、1人うんうんと頷いた。

「今日は結構歩いたね。映画も買い物も、あたしの行きたいところばっか付き合わせちゃって、なんかごめんねー」

「いえ」

「まだ3時過ぎだし、東くんはこの後どこか行きたいところとかないの?」

 黒岩が小首を傾げて言う。

「この後ですか。うーん……」

 非常に困った。

 自分の日頃の行動範囲なんて学校と家と、せいぜい部活帰りに仲間と行くこういったジャンクな店くらいなものだ。あらたまって「行きたい場所」だなんて聞かれても、七緒には全く思いつかない。

「……ちょっと、考えときますね」

 本音を言えば、居心地の悪い場所じゃなければどこでも良かった。しかしここは、やはり自分も何か提案するべきなのだろう。

「わかった。じゃ、東くんが考えつくまでここでお喋りタイムね」

「はい。……あ、そうだ」

 ふと、七緒はあることを思い出し、自分の鞄の中を探る。

 ──そうだ。午前中はすっかりタイミングを逃してしまっていたが、そもそも今日は──。

「先輩、誕生日なんですよね。誕生日と、あとバレンタインにもらったチョコのお返しと、あと高校合格、おめでとうございます」

 そう言って七緒は、青い紙袋を黒岩に差し出した。

 1つの贈り物に3つの意味を込めてしまうのは我ながらセコすぎるかなー、と若干の懸念を抱えながら。









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