5<彼女の嫉妬と、彼の確固>
気まずすぎる沈黙の中。
七緒の腕から降ろされたクロだけが、楽しそうに私たちの足元を行ったり来たりしていた。
「……なんでそんなパニクってるわけ? 心都」
心底不思議そうに七緒が言う。
ご機嫌に鼻を鳴らしすり寄ってくるクロを抱き上げ、私はウムムと黙り込んだ。
──答えられるわけないじゃない。
いま私を支配しているこの感情は、嫉妬、悋気、ジェラシー……つまり、子供じみたやきもち以外の何者でもないのだから。
「別にパニクってなんかないよ。ただ七緒はどういうつもりで先輩のデートを受けたのかなって……幼馴染みとしてちょっと気になっただけ」
こういう時、本当に自分が嫌になってしまう。
好きな人と他の女の子のデートを笑顔で受け流せる余裕もなければ、「行かないでっ」と泣いて縋れる素直さと勇気もない。
で、結局は幼馴染みの肩書きで誤魔化してしまうのだ。
「……じゃあ一応答えるけど」
七緒が少し考え込むように首をひねった。
「黒岩先輩のことは、別に好きとかクラクラきてるとかそういうのは一切ないけど、まぁなんだかんだ悪い人ではないと思ってる。明日遊びに行くのも、卒業前にパーッと楽しく思い出作りたかっただけで、そこに変な他意はないよ」
「……本当に?」
「うん」
良かった──ホッと安堵の溜息をつきかけた私は、慌ててそれを飲み込む。
確かに、先日禄朗と危惧していた「七緒が先輩にまさかのフォーリンラブ?」説をハッキリと否定してもらえたことは良かったと思う(黒岩先輩にはちょっと悪いけど)。
しかし、これで私の中のもやもやが全て解決したわけではない。
「……でも、黒岩先輩は明らかに七緒のこと好きだよね。去年告白されてるんだし」
「え? それはもうお断りしてるじゃん」
七緒は驚くほどけろりとした様子で答えた。
「過去のことなんだからさ。黒岩先輩だってもうとっくにそんな気ないよ。俺のことは普通に先輩後輩として遊びに誘ったんだろ」
「……あのー、それ本気で言ってる?」
「え、もちろん」
私はがっくりと膝をついた。
あぁ、今、全てが明らかになった。
この男、黒岩先輩から自分に対する気持ちは、もうとっくに終わったものだと思っているのだ。だからこんなにのうのうと、デートを「ただ一緒に遊ぶだけ」だなんて宣えるのだろう。
確かに一度交際をお断りしているという過去はあるけども、だからといってそれであの黒岩先輩が引くわけないだろうに。……というか、人の恋心ってそんな簡単なものじゃないでしょう?
「いや、だって七緒、黒岩先輩からバレンタインチョコもらったじゃん」
「そんなん心都だってくれただろ」
ぐ、と言葉に詰まる。
ここで私を引き合いに出されると非常に困る。私も黒岩先輩も、七緒が好きだからチョコを渡したに決まっている。しかしそんなことは、もちろん言えない。
「ただ先輩後輩が一緒に遊ぶだけだっていうのに……なんか大袈裟なんだよな、心都は」
あははは、と呑気に七緒は笑う。
私は彼に恋をしてから既に何百回目になるかわからない台詞を、心で叫んだ。
この鈍感野郎、本当にどうにかしてくれ!
「……あぁ、そうですか。わかりましたよ。どうせ私は大袈裟で馬鹿で不審者でモテないおせっかいおばさんですよ」
「いや何もそこまで……」
私は七緒に人差し指を突きつけた。
「でもあんた! 鈍感すぎるのも度が過ぎると、たくさんの人を傷つけるだけだからね!」
「──え」
目を丸くした七緒が、私を見つめる。
「鈍感がチャームポイントだとか思うなよ! おニブちゃんが許されるのなんて本当に若いうちだけなんだからな! そんなんだから隙だらけで告白とかナンパとかされちゃうんだよ! ばーか!」
「ば……」
最後の余計な一言に、七緒の眉がぴくりと動いた。
「なんだよ、さっきから何カリカリしてんだよ! わけわかんねー!」
「わかんなくて結構! ほら、早く帰らないと夜道は危険だよ! この辺可愛い女の子狙った変質者が多いんだから!」
「!」
この私の言葉は、狙い通り完璧に七緒の怒りに触れたようだった。ゴゴゴ、と燃えたぎる炎が彼の背後に見えた気がした。
「誰が女だよ、誰が。言われなくたってもう帰るよ! なんだよ、いきなり喧嘩ふっかけてきて、お前キレやすい十代の代表だな!」
「けっ、悪かったね。帰れ帰れ、ばーか!」
「ばかって言ったほうがばかだぞ、ばーか!」
鼻息荒く帰って行く七緒の後ろ姿にガンを飛ばす。
「……」
また小学生みたいな喧嘩をしてしまった。
しかも最後は、せっかく忘れ物を届けてくれた七緒を「帰れ!」と追いやってしまった。
本当に嫌な奴だ、私。
でも言わずにはいられなかった。
慣れっこだったはずの彼の鈍感具合が、今日はあまりにも炸裂しすぎていて。
「……反省してるけど、後悔はしてない!」
腕の中のクロにそう宣言すると、愛犬は驚いたように私を見つめた。
どうしても今日は、一発ドカンと言わなきゃいけない気がしたのだ。
だって彼はあんなにたくさんの思いを寄せられているくせに、あんなに鈍感で、それでいて優しかったりして──きっといつかその辺の女子に刺されるんじゃないだろうか。
人間の恋心の強さを、まだ七緒は知らないのだろう。
「……あぁ、もやもやする……」
私はクロの頭を撫で地面に降ろすと、家に入った。
そして包丁を握りしめると、再び怒濤の勢いで玉ねぎを刻み始めた。