7<間違い探しと、答え>
黒岩先輩の髪は昨日と変わらず柔らかくウェーブしていて、私はこんな状況にもかかわらず羨ましいと思ってしまった。
つまりそれほど、今日の私の髪はひどかったんだ。
…やっぱり今日も、遅刻してでもちゃんとしてくるんだったなぁ。
「――だから二度と邪魔しないでよ!」
「…嫌です」
「は!?」
「邪魔しないなんて無理です!」
先輩の顔がみるみる引きつっていく。
「今好きじゃないっつったろ!?関係ないんだから放っとけよ!」
「放っておけません、邪魔しまくります!」
「何あんた超ウザい…!!あんたみたいなダサいジャージの女が東君の周りちょろちょろしてんじゃねーよ!」
先輩は今にも掴み掛かってきそうな勢いでまくしたてた。
私も、もう言い訳できない。
放っておけない理由なんて1つだけだ。
「──嫌です…!だって私、大好きなんだもんっっ!!」
一瞬、空気が固まった。
「……」
先輩の右手がぴくりと震え、
「マジムカつく…!」
その手が、ビンタするには申し分ない高さまで振り上げられる。
「…!」
うわ殴られる!?親父にもぶたれた事ないのにぃーってお約束の台詞を吐く余裕すらない。
私は間もなく頬にくるであろう衝撃に備え、目をぎゅっと閉じた。
ふっ、と風が動く。
そして――
ばちん!!
…あら良い音。
なのに私の頬はいたって正常、痛くもかゆくもない。
これってミステリー?
恐る恐る目を開けると、そこには涙が出るほど見慣れた姿。
それは。
「ななお…」
「あ、あずま君!?」
私と黒岩先輩の間に立ち、左頬を赤くした七緒だった。
突然乱入した七緒は物怖じする事なく先輩の方を向いた。
「こいつ殴るのやめてもらえませんか」
そのえらく丁寧な言葉に、黒岩先輩が自分の右手をポケットに突っ込んだ。苦虫を噛み潰したような顔って、きっとこういうのを言うんだと思う。
七緒。
何してるの?
何でいるの?
私の頭の中は疑問符でいっぱいで、昨日の七緒の心境が今少しだけわかった気がした。
「あ、東君…何で!?」
自分の想い人を力いっぱい殴ってしまった黒岩先輩が、動揺した声をあげた。
「先輩」
「なっ何」
華奢な芸術品みたいな七緒の細い髪が、太陽の光を受けてきらっと光る。
「俺、何やっても先輩とは付き合えませんから。ヨロシク」
そう言うと七緒は、見ている人全ての劣等心を刺激するような、素晴らしく可愛い顔で笑った。
…眩しっ。
悩殺された先輩が「ふにゃ」とか「くしゃ」って感じで崩れた。
美里よりも七緒の方が、実は小悪魔かもしれないな──と、私は頭の隅のそのまた隅で考えた。もちろん隅じゃない部分は真っ白。
七緒が、私の方を向く。ゆっくりと。
その表情は、左頬が少し赤いものの、昨日ここにいた時と全く同じ。
私が14年間で見た事のない、あの不思議な七緒の顔だった。
「行こ」
七緒が私の手首を掴んだ。
頭が真っ白だった私は急に引っぱられて転びそうになったけど、それでも何とか持ち堪えて歩きだす。
左手には通学鞄。右手は七緒。
何だろうこの状況――夢?
私は、先を行く七緒の背中をぼんやり見つめた。
七緒の髪は相変わらずさらさらで。
背丈とか肩幅は私とあまり変わりなくて。
そのせいか制服は少し大きめで。
一見いつもと変わりない。でも、巧妙にできた間違い探しみたいに何かが違う。
そして、私は気付いた。
さっきの七緒。
昨日先輩を待っている時にも見せた、不思議な表情。
今まで知らなかったあの顔の正体は―――
七緒の背中が止まった。
場所は校庭の隅の、飼育小屋前。
くるりと振り返った七緒は最上級のしかめっ面で、昨日の私に負けず劣らずの罵声を響かせた。
「このバカ!!」
「ば、ばかっスか」
私の運動部後輩っぽい反応に、七緒は大きく頷いた。
「本当バカだよ!!のこのこあんな所ついてって、あの先輩絶対キレたら何するかわかんねーじゃん!だいたいお前いつもいつも…」
「七緒」
「あ?」
「痛い?」
彼の滑らかな頬に、今はくっきり赤い手形ができている。
私の代わりに、私のせいでできた手形。
「…痛いよ。本気のビンタって初めてだけど、結構地味に痛いのな」
そう言うと七緒は、私の顔を覗き込んだ。
「お前ぶたれてないよな。あの1発だけだよな?」
そうだよ。
そう言おうとしたら胸に熱いカタマリがつっかえて、言葉が出なかった。
だから私は折れそうになるほど首を上下に振った。
七緒は少し偉そうに頷き、
「ならヨシ」
短い4文字の後、笑った。
「…何かっこいー事しちゃってんのよぉ…」
「は?」
今までだって死にそうなくらい好きなのに。
これ以上好きになったらどうすんの。
こんな私が好きになったら、1番迷惑するのはきっと、絶対、七緒だよ。
「私の代わりに殴られたりしてさぁっ…かっこつけすぎなんだよバカー!」
「…何で泣いてんの」
美少女顔で幼馴染みの七ちゃんには、きっと一生勝てないね。
──だけど。
「ごめんね」
さっき気付いた、七緒の不思議な表情の答え。
今まで知らなかったあの顔の正体は──
「ごめんね七緒…私のせいで、こんな…」
チワワでもプードルでも、もちろん可愛らしい美少女でもなく。
あの時の七緒はちゃんと『男の子』の顔だったんだ。
「…とりあえず泣き止んでください」
七不思議になっちゃうくらい可愛い顔で、
柔道命で、
笑うと瞳がきらきらして、
ためらいもなく人を庇って殴られて、
1番近くて、
1番遠くて、
そしてたまに男の子なこの幼馴染みが、
私は、大好きだ。