1<冬の奇跡と、来襲>
この地域にしては近年稀にみるほどの大量の雪が降ったのは、バレンタインの翌日だった。
私は傘を右手に、既に積もって固まりかけている雪で転ばないよう慎重に学校への道のりを行く。
歩きながら思い出していたのは、前日の七緒の言葉だ。
『心都からバレンタインにもらうのなんて生まれて初めてだよなー? 明日は雪が降るかもな、ハハハ』
「……」
いやいや関係ないない。どんな奇跡だよ。
これ自然の摂理、と自分に言い聞かせるように何度も呟く。
まぁ、確かに昨日までの天気予報では、雪なんてちらりとも言っていなかったけど。
××年ぶりの大雪! とかってかなりニュースになっちゃっているけど。
まさかね。だって、私が七緒にチョコをあげたくらいで雪が降ったら、告白なんかしちゃった日には、隕石が降って人類が滅亡しかねない。
そんなことを考えて背筋がゾッとした瞬間、
「よっ」
と、後ろからよく聞き慣れた声。
「うわー!」
驚いた私は、例によって例のごとく、全くもって可愛くない悲鳴を上げ、派手に尻餅をついた。
しかし私以上に驚いたのは、声をかけた張本人、つまり七緒だ。
「えぇ!? そんな驚かなくても! ……大丈夫?」
スッと差し出されたその手を、私はなるべくナチュラルに取って起き上がる。
「……どーも」
触れる手と手に、本当は少しドキドキしている。けど、毎度のことながらそんなときめき状態が全く通用しなさそうな七緒には、それを悟られるわけにはいかない(だって悔しいから)。
無事に助け起こされた私は、無意味な咳払いをしながらスカートについた雪を払った。
「七緒……もう風邪治ったの?」
「おー。お陰様で、全快、全快。……それにしてもすげー雪だなぁ」
有り難いことに昨日の自分の降雪発言を忘れているのか、七緒はチョコの話を蒸し返そうとはしなかった。自分の足元の雪を珍しそうに見ている。
そんな横顔を眺めながら、私は七緒に真っ先に話したかったことを思い出した。
「そういえばね、七緒。私もこのままじゃいかんと思って、青春の浪費をストップさせることにした」
「は?」
怪訝そうな七緒に向かい、私はニヤリと笑みをこぼす。
──そう。正直、最近は柔道に打ち込む七緒の眩しさに当てられっぱなしだった私。このままないない尽くしの自分でいいのか? と少し悩んだりもした。
でも、昨日、見つけたのだ。
もしかすると小さなきっかけになるかもしれないこと。
「──玉ねぎみじん切り大会?」
私の説明を聞き終えた七緒は、ますます胡散臭そうに言った。
七緒と並んで通学路を歩くと、雪を踏みしめるさくさくとした音が2人分、冬の朝の静けさの中に響く。私は少し楽しい気分になった。
「そう! 昨日の帰りに町内の掲示板で見つけたんだ。近所の料理教室主催で、商店街の一角に小ステージ作ってやるらしいよ。制限時間3分でひたすら玉ねぎを刻んで、粒の美しさと量を競うんだって」
「なんとまぁシュールな……」
七緒が愕然とした表情で言う。
「大会っていうか、催し物みたいな感じか?」
「うん。老若男女問わず、誰でも参加オッケー。しかも! 優勝商品は万能圧力鍋!」
「へぇ」
幸いみじん切りなら少し得意だ。現実逃避への入り口になってくれるから──という荒んだ理由はともかく、普段からやっていて良かった。
別に料理人になろうとかそんなたいそうな夢を持っているわけではない。でも、自分が唯一「これなら戦えるかも」と思えることで、私も少しで良いから、七緒の半分でも良いから、輝いてみたい。
「じゃ、応援に行くよ」
さらりと七緒が言った。
「……本当に?」
「うん。商店街の催し物なら多分参加者以外も見れるんだろ? 心都には色々応援してもらったし」
それに、と七緒は半笑いで付け加える。
「そのみじん切りを競い合うっていう怪しげな光景にも興味あるし」
「ちょっとちょっと、私は真面目に参加するんだからね。これは町内のお料理好き住民によるバトルなんだよ、バトル!」
口ではそう言いながら、私はもう天にも昇るような気持ちだった。夢中になれるかもしれないことを見つけただけでも嬉しいのに、まさか七緒が応援に来てくれるなんて。そんなの、全力で頑張るしかないじゃない。
「で、大会はいつ?」
至極まっとうな七緒の問いに、
「あ」
私は固まった。
「……何?」
「いや、日にち忘れた。」
「なんだよそれ。やる気満々のくせに肝心な情報が抜けてんじゃん」
呆れたように七緒が言う。正論すぎて返す言葉もない。
昨日は掲示板の貼り紙を見つけた瞬間に舞い上がってしまい、日時をメモするのを忘れてしまったのだ。
「ごめんごめん。まぁ商店街のイベントだし多分日曜日とかだと思うけど。確認したら七緒にもすぐに知らせ……」
と、私が言ったそのとき。
「あ、ず、ま、く────ん!」
数十メートル先の学校の校門前から、誰かがこちらにすごいスピードで突進してくるのが見えた。雪なのに。
思わず立ちすくむ私たちの前に信じがたい速さで現れたのは、数ヶ月前に色々な意味でお世話になった人物だった。
「黒岩先輩……!」
「やだ、東くんてばあたしの名前覚えててくれたのー? 超嬉しい!」
そりゃあ、いきなりラブレターで裏庭に呼び出されキスを迫られた相手のことなんか、忘れようと思っても忘れられないだろう。
ふんわりウェービーヘアが美しい、ボンキュッボーンな3年生、黒岩先輩は、綺麗に微笑むと七緒の目を見つめた。
「久しぶり。朝からごめんねー。東くんにどうしても会いたくて校門で待ち伏せしちゃった。会えて良かったぁ」
そこまで言うと先輩はチラリとこちらに目をやり、
「ま、余計なおまけ付きだけど」
私からガッチリと視線を逸らさず、棘のある言葉を付け加えた。怖い。裏庭で本音でぶつかり合ったいわゆる「タイマン」の後、少しは仲良くなれたかと思ったのに。
「……えーと、今日はどうしたんですか?」
七緒が少しの警戒心を見せながら尋ねた。黒岩先輩の強烈さは、彼が1番身を持って体験している(何しろキス未遂のみならず、重めのビンタまでくらっている)ので、当然だろう。
「ふふ。はい、これっ」
そう言って黒岩先輩は七緒に豪華なラッピングの箱を差し出した。
「1日遅れだけどバレンタインのチョコ。東くん昨日いなかったじゃない? でも直接渡したかったから今日持って来ちゃった」
「あ、どうも……ありがとうございます」
七緒がぎこちなくそれに手を伸ばした。
こういう場面は生まれてから何度も踏んできているだろうに、相変わらず慣れないらしい。
「……それからもう1つ」
と、黒岩先輩がにっこり笑って、チョコの箱ごと七緒の手をギュッと掴んだ。
「へ!?」
面食らう七緒。
畜生引き離したる! と勇んで2、3歩踏み出した私は、
「ぎゃっ」
雪に足をとられ、再び転んだ。
「東くん。来週、あたしとデートして」
語尾にハートマークでも付きそうな調子で、黒岩先輩は言った。