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9<期待と、「ち、よ、こ、れ、い、と」>

 七緒の家に最後に来たのは、いつだっただろうか。

 記憶を遡って少し考え、あ、先月来たばっかりじゃん、と思い出した。3学期が始まって間もないある日、その時も学校帰りに偶然明美さんに会って東家でお茶をしたのだ。

 小さい頃のようにしょっちゅう訪ねることはなくなったけど、全く足が遠のいたわけではない、よく知った七緒の家。それでもやっぱり鍵を使って1人で入るのは初めてだ。

 庭の大きな梅の木を横目に、私は少し緊張しながら鍵穴に差し込んだ鍵を回した。

「お邪魔します……」

 なんとなく、音を立てないよう気をつけて家の中へ入る。泥棒みたいな気分だ。

 無人のリビングを抜け、2階へ上がったすぐそこが七緒の部屋だ。

 ちなみに階段は12段ある。どうして覚えているのかというと、なんのことはない、いわゆる「グリコ」のジャンケンゲームをよくここで七緒としたから。チョキのチョコレート、つまり6文字の「ち、よ、こ、れ、い、と」で2回勝てば、最速でこのゲームを制することができたのだった。もちろんそれはお互いわかっているから、当時は幼いなりに真剣な心理戦が行われていた。

 そんな懐かしい思い出に浸りながら12段を上りきり、私は七緒の部屋の前に立った。

 こんこん、と控えめにノックする。

「……はい」

 鼻声の七緒の返事。

 それを確認すると、私はそろりとドアを開け言った。

「……成長痛じゃなくて、残念だったね」

 美里、やっぱり『風邪で弱った男子をコロッと』な小悪魔テクは、私には無理だ。私の開口一番の言葉に、七緒は少しむくれたような表情を作った。

「……泥棒かと思った」

 スエット姿の彼は額に冷却シートを貼り、ベッドの上に半身を起こしていた。見るからにザ・病人って感じだ。

「ここに来る途中で明美さんに会って、鍵もらったんだ。……熱いくつあるの?」

「7度3分。だいぶ楽になった」

「そっか、良かった。あ、これお見舞いの品ね」

 そう言って私はチョコの詰まった大きな紙袋をベッドの脇に置き、自分もその横に腰を下ろした。

「うわ、でけー。何これ?」

「女の子たちからのバレンタインチョコ。いやー、ここまで運ぶのにもう愛が重くて重くて。肩凝ったわ」

 疲れているような恥ずかしさに耐えているような、なんともいえない顔の七緒がチョコを見遣る。

「……わざわざご丁寧に、どうも」

「いーえ」

 少しの、沈黙。

 他の女の子たちからのプレゼントは無事に届けたものの、肝心の自分からのチョコを渡すタイミングを、私は見失っていた。

 意味もなく視線が室内をぐるりと一周する。

 クローゼットと机と棚、そしてベッド。それだけの、なんとも七緒らしいあっさりとした部屋だ。

 そういえば、東家には先月来たばかりだけど、こうして七緒の部屋に入るのはいつ以来だろう。記憶が定かではないけど、おそらく小学生のときが最後だった気がする。いくら付き合いが長いといっても、中学生にもなればお互いの部屋を行き来する機会も自然と少なくなるものだ。

「……本当、タイミング悪いよな」

 ふいに、七緒が呟いた。

「普段は健康体なのに、よりによってこんなときに熱だすなんてさ」

 七緒が言う「こんなとき」とはバレンタインデーではなく、もちろん土曜にあった試合のことだろう。それがわかるからこそ、私は正直に頷くしかなかった。

「……うん。ちょっと、タイミング悪かったね」

 七緒も首を縦に振る。

「体調管理も選手の責任のうちなんだって、よーくわかってるはずだったんだ。だけど……俺は、やっぱり色々足りなかったんだろうな」

 彼はとても静かな口調で言った。

「選んでくれた顧問とか仲間とかにも、すげー申し訳ないと思う」

 私は七緒の頑張りを見てきたつもりだった。今回の大会だけではなく、それこそ柔道を始めたばかりの幼い頃から彼は努力家で、その姿を私はよく知っていると思っていた。

 ──本当に思い込みもいいところだ。

 七緒の悔しさや苦労は、七緒にしかわからない。

 どんなに支えたくても、私は七緒の本当の気持ちを、わかることができない。

 私には応援することしかできないのだ。

 悔しそうで悲しそうで、でもどこか大人びた七緒の表情を見て、私はそのことに気付いた。

 だから、下手な慰めや共感の言葉は言えない。自分が思うことをそのまま伝えるのが精一杯だ。

「七緒は自分の失敗をちゃんとわかってるから、もう同じ間違いはしない……と思う」

 本当に、そう思うよ。

「また次があるよ。次の次だって、そのまた次だってあるよ。……あんた若いんだからさ!」

 なんたってまだ14歳だ。

 私たち、平均寿命の5分の1も生きていない。

 しばらく俯いていた七緒は、ふいに顔を上げ、私を見た。

「親戚のおばちゃんかよ」

「……どうせ私はおばちゃんだよ」

 七緒は笑っていた。

 だから私は、このうら若き乙女に対するおばちゃん扱いもしょうがないから今回ばかりは大目に見てやろう、という気持ちになった。

 それに、柔道に打ち込む七緒は輝いていて、とてもかっこよかった。これはもう私にとってどうしたって覆らない、絶対的な事実だ。断言する。

 ……恥ずかしいから本人には言わないけれど。

 私は傍らの大袋をさぐり、小さな包みを取り出した。

「おばちゃんついでに忠告だけど。これ、こないだの先輩3人からね。生チョコだから早めに食べてだって」

「……へーい」

「あと禄朗はあらためてミルフィーユ作り直すって。今日のは華ちゃんにあげてたよ」

「へぇ」

「もてる男はつらいねぇ」

「……何言ってんだよ」

 七緒はふてくされたように布団をかぶった。

「え、何、寝るの?」

「……」

「無視かよ!」

 七緒は私の方とは真逆を向き、更に額の辺りまで布団をかぶっているせいで全く顔が見えない。

 まさか、本当に眠ってしまったのだろうか。だとしたら私は退散するしかないだろう。

 自分のチョコは渡せていないけど他のは無事に届けたし、それに、私のうぬぼれでなければ少し元気になった七緒を見ることができたと思う。なので、まぁ、じゅうぶんかな。私がやれることは全部やった気がする。

 と、ジャッジを下した私が腰を上げようとしたその時、

「…………来てくれてありがとーな」

 ぼそりと、七緒が言う。

 珍しくあらたまったようなその口調に、私は少し驚いてしまった。

「どうしたの、急に。お見舞いくらい気にしないでよ。家近いんだし、この大量のチョコ届けないと女の子たちがかわいそうだもん」

「……いや、見舞いもだけど……試合もだよ」

 七緒が再び半身を起こした。

「応援席で、なんか両手組んですげー祈ってる風だっただろ」

「見えてたの?」

「うん。やたら目がぎらぎらした奴がいると思ったら心都だった」

「マジですか」

「マジですぜ」

 ぎらぎら。あんまり良い感じではない擬音だけど、とりあえず気にしないでおくことにする。

「せっかく来てもらったのに負けて悪かったけどさ。……俺、実は結構ほんとに、日頃から……感謝してるから」

 この静まり返った部屋でなければきっと聞き取れないであろう小さく低い声で、七緒は言った。その目線は明後日の方向だ。

「……熱計る?」

「……熱でこんなこと言わねーし」

「うわ、いま舌打ちしたよね」

 感謝、って、私に?

 私、何もしていないのに。むしろ私のほうが七緒に助けられたり、ハッピーな気分にさせてもらっているのに。

 もうわけがわからない。

 わからないけど、私、とりあえず今激しくときめいています。

 ごほん、と七緒が白々しく咳払いをした。

「……心都が、色々自分のことみたいに喜んでくれて、応援してくれて、本当に励みになってる。だから……」

「……」

「だから……次こそは絶対勝つから見とけ! ってことだよ! わかった?」

 最後は少しキレ気味じゃないか。

 なんだよ。そんなこと言われたら、ますます嬉しくなっちゃうよ。

 私は単純なんだから。

「……わかった」

 私には応援することしかできないと思っていた。

 だけど、それで力になれるなら、命懸けで、全身全霊で、応援する。旗とかうちわとか作るよ。はちまきも巻くよ。太鼓も叩くよ。七緒。

「次の試合、期待してるね!」

 七緒がここまで真面目にこんなことを言うなんて珍しい事態だ。だからもしかしたら、私もシリアスムードで頷くべきだったのかもしれない。

 だけど、

「期待してるね! 七緒!」

「なんで2回言うんだよ」

「期待の現れだよ! んふふふ」

「……その笑い方どうにかして」


 私はもうどうしようもなくニヤニヤがおさえられなくなっていた。





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