8<思わぬ依頼と、ヒョウ柄ブーツ>
華ちゃんが教室から出て行った、直後。
またしても知った顔が私の元へやって来た。
「ねぇねぇ、今日東くん休みって本当?」
数日前にバレンタインのチョコを七緒に渡すんだときゃぴきゃぴしていた、綺麗目3年女子3人組だ。
「あ、はい」
私が頷くと、彼女たちは悲鳴に近いような甲高い声をあげた。
「えー、やっぱり噂は本当だったんだ!」
「やだー」
「ショックぅ」
12時現在、どうやら七緒が欠席しているという事実は3年女子の間で噂になっているらしい。どれほどの人が今日彼のためのチョコを用意していたか、よくわかる。
「どうしよう、これ生チョコなのにィ」
どうやら共同で作ったらしい小さなチョコの包みを、彼女たちは困り顔で見つめた。
確かに生チョコだったら、どうしても今日中に渡したいところだろう。私にも気持ちはよくわかる。
七緒がこのタイミングで風邪をひいたことにより、一体何人の女の子のチョコが無駄になっていくのか。想像もつかないが、おそらくかなりの数になるだろう。全く、罪深い奴。
「……」
そんなことを考えている私を、気が付いたら3人がじっと見つめていた。
「……な、なんですか?」
「ねー、杉崎さん。これ、東くんに届けてくれない?」
思いもよらない提案だった。
「えっ、私が?」
「うん。幼馴染みなんでしょ? 仲良しなんでしょ? 家も近いんでしょ?」
「でも……」
「うちらどうしても今日中に渡したいの! ね? お願い!」
あまりの勢いに私は思わず2、3歩後ずさった。
「先輩、それナイスアイディアですね!」
突如声を上げたのは、今まで黙って様子を眺めていた美里だ。見る者に不敵ささえ感じさせる笑顔で、その目はきらきらと輝いている。何か「すっごく素敵!」なことを思いついたときの表情だ。
「み、美里……? ぐっ」
美里の肘が私の脇腹を小突いた。黙ってろ、ってことか。
「安心して下さい。この人に責任持って届けさせますね!」
「話がわかるねー。ありがと!」
じゃあよろしく、の言葉とチョコを残し、3人組は去っていった。その後ろ姿を、美里は手を振りながら見送っている。
「美里……急にどうしたの?」
「他の女子たちのを届けるっていう口実があれば、心都も自分のチョコを渡しに行きやすいでしょ」
美里は今しがた3人組から受け取った包みと、七緒の机に山のように積まれているチョコとを交互に指差した。
その言葉に、私は思わず口をぽかんと開けた間抜け面になってしまった。
「……そういうこと?」
「うん。お見舞いもできてチョコも渡せて万々歳ね」
確かに七緒の病状は心配だし、たくさんの女の子のバレンタインプレゼントを腐らせずに済ませたいし、自分のチョコだって渡したい。
でも、迷惑じゃないだろうか?
いくら勝手知ったる幼馴染みの家といえども、心身ともに絶不調であろうこんな日にあがりこんでチョコを渡して良いのだろうか?
頭の中で不安がぐるぐると渦を巻く。
「うぅ……」
「心都ってばまた悩んでる。どーんと行っちゃいなさいよ! 体調不良で弱ってるときに優しくされるとコロッといっちゃう男の子って多いんだから」
「……そうっすか」
美里の完璧すぎる笑顔が恐ろしく、せっかくのアドバイスにもぎこちなく応じることしかできなかった。そんな小悪魔テク、やれるもんならとっくにやっている。
結局私はお見舞いに行くかどうかを決められないまま、3人組のチョコを鞄にしまった。
──とりあえず机と下駄箱のぶんもあわせて七緒の家まで持っていって、それから考えよう。最悪生チョコだけでも郵便受けに入れてもいいし。そうだ、いざとなったら明美さんに全部渡して帰ろう。きっと七緒はあとで母親から死ぬほどからかわれるだろうけど、そこまで知ったことか。そうしよう。
私はたくさんの逃げ道を作り、1人うんうん頷いた。
そんな私を、どうやら美里は「どーんと行く」決意をした様子と勘違いしたらしい。満足げな顔で見守っている。
それにしても美里、なんだか今日はやけに楽しそう。
「あれ……美里、それ何?」
ふと、彼女の紺ブレザーの胸ポケットに何かが入っているのを見つけた。よく見るとそれは、マッチ箱のような小さい長方形の箱だった。
「ねぎ玉キムチ牛丼風味チョコレート。」
さらりと告げられたのは、どう考えても最悪な組み合わせであろう商品だった。
私は味を想像して、
「……おえ」
思わず、口を押さえる。
「今朝偶然コンビニで見つけて、『LAのセレブに大人気!』って書いてあったからつい気になって買っちゃった。でもやっぱり怖い組み合わせだから、これから田辺くんに毒味……じゃなくて試食してもらって、美味しかったら食べてみようかと」
「……もしかしてそれが美里からのバレンタインプレゼント?」
ふふふと微笑んで、美里は答えなかった。
あぁ、気の毒な田辺。きっと美里からの思いもよらないチョコということで、嬉し涙を流しながら受けとるんだろうなぁ。更に大口開けて食べちゃうんだろうなぁ。
それにしても、LAって。絶対嘘だ。ねぎ玉キムチ牛丼チョコ、きっと想像を絶する味なのだろう。
────数分後、そこには想像を絶する表情で口元をおさえ、トイレへ走る田辺の姿があった。
「くそー、重い……」
放課後、私は1人悪態をつきながら、引きずるように紙袋を運んでいた。
中身はもちろん、女子からの愛がたっぷり詰まった七緒へのチョコ。机の上と下駄箱の中のものを全てあわせたら、予想以上の重さになってしまったのだった(下駄箱を開けたらチョコがドサドサと雪崩を起こしたのには驚いた。漫画かよ)。
七緒の家はもう目と鼻の先だ。いつもと同じ通学路なのに、なんだかやたら長く感じた。もう一踏ん張り、と私は腕に力を込めた。
それにしてもあの3年女子3人組、よく私にチョコの配達を依頼する気になったな。七緒のことが大好きで、「付き合ってるの?」なんて直接聞いてくるほど負けん気が強そうな人たちなのに、一応女子である私に東家訪問を頼むなんて。そこに危機感とかはなかったのだろうか。
──ここまで考えて私は虚しくなった。
チョコを届ける、と決まったときの3人組の晴れ晴れとした表情を思い出せば、答えは火を見るより明らかだ。
危機感なんて、全くなかったんだろうなぁ。私みたいなちんちくりんは恋のライバルにも値しないってことか。
別に敵視されたいなんて思ってはいないけど、ここまで安心してチョコの配達を任されるのも少し考えものだ。
「はぁ……」
「辛気くさい顔してんな、心都」
突如声をかけられ、驚いて顔を上げると、そこには自転車に乗った明美さんがいた。
「あぁ、こんにちは明美さん」
よっ、と軽く片手を挙げた東家のお母さんは、買い物かご付きのいわゆるママチャリがなんだかバイクに見えるような錯覚を私に起こさせた。これも元ヤンのパワーなのだろうか。
「すごい大荷物だな」
たくさんの女の子から、あなたの息子へのチョコです。言おうとして、なんとなくやめた。
「ちょっとね。……七緒は具合どう?」
「まだ少し熱はあるけど、昨日までよりはだいぶマシだな。あいつ、おとといの夜なんて特にひどくて40度近くあってさー」
「よんじゅう!?」
そんな状態で試合に出ていたのか。私は驚きを隠せず、チョコの詰まった大袋を落としてしまった。
「心都、もしかしてお見舞いに来てくれたの?」
「……う、うん。でもまだ熱あるんだったらやっぱり帰ろうかな」
「あー、大丈夫、大丈夫。だいぶ本調子を取り戻してきたから、行ってやってよ。ありがとな」
と、明美さんは私に鍵を差し出してきた。
「あたし、これから夕飯の買い物行くから。少しのあいだ七のこと頼むよ」
「えっ……いいのかな」
私は、鍵に手を伸ばすことを躊躇した。
幼馴染みの免疫というやつか、別に今更「家に2人きり」状態に緊張したりはしない。しかし、鍵なんか持っちゃって七緒1人の病床に忍び寄るなんて。それこそ美少女を狙う変態みたいな構図にならないだろうか。
私の「いいのかな」はそういう懸念故の言葉だった。
それが伝わっているのかいないのか、明美さんは少し目を細めて笑った。
「なんかあいつ、平気なふりしてるけど、いっちょまえにへこみ気味っぽいからさ。話相手になってやってよ」
そう言って私に鍵を握らせる。
「……なんか今日の明美さん、母親みたい……」
「おいコラ。れっきとした母親だっつーの」
だって、ヒョウ柄のブーツがこんなに似合う明美さんだもの。たまに七緒のお母さんであるという事実を忘れてしまうのだ。
私は東家の鍵を握りしめた。
「よろしくな、心都」
美少女と変態になるかもしれない。
こんなときに大量のチョコを抱えて訪ねるなんて、おかしいかもしれない。
でも──
「……うん」
やっぱり七緒に会いたい。顔が見たい。
風邪以上に彼の心情が私は1番気掛かりだった。
私が行って元気を出させるなんてそんな大層なことは考えていない。ただ会って、少しでも話したい。そう思った。