7<ダブルパンチと、授業参観>
甘くて苦いチョコレート
まるで私の恋みたい
あなたを想えば
かじかむ指もへっちゃらなの
ふわふわまぶしたココアパウダーと一緒に
降り積もった私の気持ち
あなたに届け……☆
「──というポエムを今朝七緒を待っていた1時間で作りました」
「心都……とりあえず涙と鼻水ふきなさいよ」
美里が憐れみのこもった表情で私にハンカチを差し出した。
私は小さくお礼を言い、そのハンカチで目元を拭う(さすがに鼻水は自分のティッシュで処理した)。
寒空のした突っ立って、暇潰しのため胸焼けしそうに甘い乙女ポエムまで作り、遅刻ギリギリまで待ったものの、結局七緒とは会えなかった。それどころか教室に辿り着いて朝のホームルームが終了しても彼は姿を見せなかったのだ。
まさかと思い担任教師に訊ねてみたところ、返ってきたのはあまりにも無情な一言だった。
「東なら、風邪で熱が下がらないから欠席との連絡があったぞ」
バチコーン、と頭を強く殴られたような衝撃を受けた。待ちに待ったバレンタイン、万全の状態で臨んだつもりなのに、まさか相手が欠席だなんて。
チョコレートを渡せないショックと、普段ほとんど風邪をひかない七緒が熱を出したことへの心配が同時にやってきて、かいしんのダブルパンチだ。
そんなわけで午前中ほぼ放心状態だった私は、昼休み、ポエムの発表を終え、ぐすぐずと美里に愚痴っていた。
「なんか私って本当タイミング悪い……」
「この場合タイミング悪いのは七緒くんでしょ。土曜に調子が変だったのも、きっと熱のせいだったのね」
「……あ、そっか」
確かに、それなら試合前のループ地獄な会話も試合中の辛そうな様子も、全て納得がいく。そういえば目も潤んでいたし、足元もおぼつかなかったし。
そして少し前の七緒の『最近関節が痛い』発言も──
「成長痛じゃなくて、本当に風邪前の関節痛だったのか……」
あんなに得意気に、ゆくゆくは180越えのマッチョマンだの何だの言っていたのに。なんというか──心から、かわいそうな、七ちゃん。
「それにしても……すごいわね、あれ」
美里が教室の一角にちらりと視線を遣る。そこには、うずたかくチョコの箱が積まれた、七緒の机。
「まるで漫画みたいだねー」
たくさんの女子たちがここを訪れ、『えー七緒くんいないの?』と残念そうに言ったかと思うと机にチョコを置いていく。朝からそんなことが何度も繰り返され、昼になる頃にはチョコの小さな山が出来上がっていた。おそらく今頃、下駄箱のほうも同じような状態になっているだろう。
「熱下がって登校したらビックリだろうね」
「チョコ、腐ってなきゃいいわね」
さり気なく美里が笑えないことを言う。風邪が治ったと思ったら食中毒だなんて、あまりにも不憫すぎる。
「普通のチョコなら1日2日平気だよ、多分。……まぁ、生クリームたっぷりのトリュフとかミルフィーユとかだったら別だけど──」
と、私が言ったその瞬間、
「七緒せんぱいッ!」
ガラッと勢いよくドアを開け、禄朗がやって来た。素行の悪さで有名な1年生の登場に、教室内がざわつく。
「約束通りバレンタインのプレゼントをお届けに来ましたッ! 俺の特製ミルフィーユ、ぜひ食べてほしいっスー!」
そのメッセージに答える人物は、もちろんいない。可愛らしいピンクの紙袋を片手に叫ぶ禄朗の声だけが、辺りに虚しく響いた。
「……禄朗。あんたのスイートエンゼル七緒先輩は欠席だよ」
私の言葉に、禄朗は目をむき食ってかかってきた。
「は、欠席!? ……ボサボサ女、てめー、俺と七緒先輩の仲を引き裂こうと、嘘こいてんじゃねーぞ!」
「こいてねーよ」
あらやだ私ってば、つい言葉遣いが。
毛羽立ってしまう心をおさえて、私は笑顔で禄朗に向き直った。
「七緒、風邪ひいて熱が出ちゃったんだって。今日はお休み」
「マ、マジかよ! 七緒先輩は、無事なのか!?」
「マジだよ、無事だよ。ただの風邪だもん。だから渡すならまた後日にしなよ。あと訂正だけど今日の私はボサボサじゃなく一応きちんとセットして、」
「畜生ッ!」
私の言葉を遮り、禄朗の拳が鈍い音とともに壁にめり込んだ。おいおい。
「この日のために俺は……練習に練習を重ねて、指切ったり味見しすぎて胸焼けしたりしながら、ミルフィーユ作りに励んできたんだぜ! 全ては七緒先輩のためなのに……やっと美味くできたと思ったのに……くッ……なんて運がわりぃんだよ!」
そう言いながら悔しそうにガツンガツンと壁を殴り続ける禄朗。正直に言うと、同じく七緒にチョコを渡せなかった者として、その気持ちは痛いくらいよくわかる。しかし我がクラスの壁に八つ当たりするのはやめてほしい。うるさいし。塗料崩れてきてるし。
なんて言えばやめてくれるかなー、こいつ私に敵意むき出しだしなー、と私が考え倦ねていた、その時。
「禄ちゃん!」
再びドアが開いたと思うと、今度は華ちゃんが現れた。禄朗とは違い、彼女はきちんとお辞儀をして遠慮がちに教室に入ってきた。
いつも通り頭の低い位置で2つに結ばれた髪の毛が、今日は心なしか特につやつやと輝いて見える。
「禄ちゃん……壁を殴っちゃ駄目だよ」
数秒間で状況の全てを理解したらしい華ちゃんは、諭すように言う。
「だってよ、バレンタインだっていうのに七緒先輩がいねぇんだよ! 俺の魂を込めたミルフィーユが無駄になっちまったんだよ」
と、悔しそうに禄朗。
「……でも、だからといって物に当たるのは良くないよ。……ね?」
その言葉を受け、禄朗はなんとなくバツが悪そうに拳をポケットにしまった。やはり、華ちゃん強し。私は感心した。
「……で、お前はこんな所で何してんだよ」
禄朗がぶっきらぼうに言うと、華ちゃんは少し頬を染めて、自分の右手を背中の後ろに回した。よく見ると、その手には綺麗な赤い箱があった。見覚えがあるそれは、昨日私の家で一緒にラッピングしたものだ。
「私は……禄ちゃんに会いに来たの」
「はぁ? 俺に?」
「うん、今日ずっと探してたんだよ」
あぁ──華ちゃん、頑張って!
私は思わず胸の前で拳を握りしめ、ハラハラしながら事の成り行きを見守る。気分はまるで授業参観の母親だ。
「……だって禄ちゃん、授業が終わる度に調理室に走って行っちゃって、なかなか捕まらないんだもん。だから昼休みにここに来れば、会えるかなって……」
「あー、そりゃ朝から調理室の冷蔵庫にミルフィーユを入れてたからな。どっかの不届き者にパクられねぇように、1時間ごとにチェックしてたんだよ。七緒先輩にぬるくてまずいケーキなんか食わすわけにいかねーしなっ」
と、ここまで言って、一途すぎる禄朗はがっくりと肩を落とした。
「まぁ、それも無駄に終わったけどよー」
「禄ちゃん……」
「……はーぁー……マジで生きる気力なくした。……これ、お前にやるよ」
そう言って禄朗が華ちゃんに差し出したのは、七緒にあげるはずだった、ピンクの紙袋。つまり愛を込めた手作りミルフィーユだ。
「えぇ!? わ、私に…?」
華ちゃんが慌てふためくのも無理はない。まさかの、禄朗からの逆バレンタインである。
「七緒先輩が完治したら作り直す。ちゃんと元気なときに渡したいし、先輩に古いミルフィーユなんて食わせらんねぇからよ。これもういらねーから、やる」
なんだか残飯処理みたいな言い方が引っかかるけど、華ちゃんはそんなこと全く気にならないらしく、夢見るような表情で紙袋を手にした。
「ありがとう……嬉しい」
「あー俺もう帰るわ。昨日ミルフィーユ作ってて寝てねぇからねみぃー」
禄朗があくびをかみ殺しながら、その場を立ち去ろうとする。バレンタイン前日に徹夜だなんて、いじらしい乙女の見本みたいだ(午後の授業をフケようとしている奴が乙女か? という疑問はさておき)。
「ま、待って! 私も、これ……あげる」
華ちゃんが慌てて自分のチョコを突き出す。それを見つめ、禄朗は怪訝そうに目を眇めた。
「何だよ、お返しとか別にいらねーのに」
「え? あの、えっと、お返しじゃないんだけど……」
「ま、でも一応もらっとくわ。お前も義理堅いな」
そう言って、禄朗は華ちゃんからチョコを受け取った。
「も、もらってくれるの?」
「あぁ。やっぱり人間、義理と仁義は大事だからな。じゃ、俺は帰るわ」
禄朗の言うことは、いつでもよくわからない。
ただ華ちゃんは、教室を出ていく彼の背中を、半ば呆けたような顔で見送っていた。その腕にはミルフィーユがしっかり抱えられている。なんだかこれ、ハッピーエンド?
「先輩……禄ちゃん、受け取ってくれました。しかもミルフィーユまでもらっちゃいました」
「良かったね、華ちゃん!」
華ちゃんはミルフィーユの紙袋をぎゅっと抱きしめ、
「はい……!」
本当に幸せそうに微笑んだ。
私も自分のことのように嬉しい。大好きな華ちゃんの恋が、少なくとも一歩は前進したのを確実に感じることができたのだから。
「でも東先輩……心配ですね……」
華ちゃんがふと瞳を陰らせる。
「あー、大丈夫だよ、多分。昔からめったに風邪ひかなかったけど、たまにひいてもすぐ治ってたし」
「でも、杉崎先輩のチョコ……」
当然のことながらトリュフには生クリームもばっちり入っている。明日以降これを口にしたら、おそらくあまり良くないことになるだろう。
「いいの、いいの。今日自分で食べるし。私も禄朗と同じく、七緒が復活したらあらためてまた作るよ」
華ちゃんの成功のお陰で、私もだいぶ気持ちの切り替えができてきた。
うん、大丈夫。もうへこんでいない。
別に今日会えなくたって、チョコくらいいつでも渡せるもの。
うんうんと頷くと、私は未練たらしく自分の机の上に置いたままになっていた水色の袋を、鞄の奥底にしまった。