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6<天使(再)と、チョコレート作り>

 細かく切り刻まれたチョコレートは、湯煎して軽く混ぜると、ボウルの中で魔法のように溶けていった。あっという間に出来上がったなめらかな茶色の川に、私は思わず感歎の声を上げる。

「わー、がぶ飲みしたい」

「ふふ、すごく綺麗に溶けましたね」

 華ちゃんが嬉しそうに言う。

「先輩の微塵切りが上手だったからですね。私、手さばきに感動しちゃいました」

 そんなに純粋な瞳で言われると、普段あまり人から誉められ慣れていない私はなんだかくすぐったくなってしまう。しかし、微塵切りが上達したのは部活で向上心を持って特訓した成果……ではなく、何か嫌なことや腹立たしいことがあると料理(それも大量生クリームの泡立てとか、山盛りキャベツの千切りとか、一心不乱に腕を動かす系のもの)で現実逃避するという癖があるからだ。我ながら可愛くない理由でちょっと悲しくなる。

 クリームと少しのブランデーを加えたチョコレートの荒熱を冷ます間、華ちゃんはその他の材料たちを眺めて緊張気味に呟いた。

「いよいよ明日なんですね……」

 本日2月13日、日曜日、バレンタインイヴ。おそらく1年中で1番、全国のエプロン装着率が高いであろう日。

 例に漏れず私と華ちゃんも、昼間から杉崎家のキッチンでトリュフ作りの真っ最中だ。

「そうだねぇ。きっと恋する女子たちはみんなそわそわしてるんだろうね」

「禄ちゃんも今頃ミルフィーユ作り頑張ってるのかな……」

 と、華ちゃんは温かい表情で微笑んだ。

 禄朗が七緒にバレンタインの贈り物をすることについて、彼女はとっくに知っていた。なんでも禄朗から直接「バレンタインに無難にチョコをあげるのと、相手の好みを重視してイレギュラーだけどミルフィーユをあげるのと、どっちがいいと思うか」と訊ねられたらしい。おそらくこんな乙女チックすぎる質問ができる友人が他にいないんだろうけど、それにしたって自分に少なからず好意を持っているであろう子にそんなことを聞くなんて、彼の無神経ぶりは山より高く海より深い。

 そしてそれにきちんと答えてあげる華ちゃんの健気さに、私はまたしても涙ぐみそうになってしまう。

「華ちゃんは……禄朗の七緒ラブっぷり、平気なの?」

「はい。禄ちゃんが楽しそうだから、私も嬉しいです」

 やはり、この子は天使だ。私は再び確信した。

 例え自分にとって都合の良い出来事じゃなくても、相手のことを思ってそれをプラスに変える。なかなか出来ることじゃない。

「人間ができてるなぁ……」

「えっ? そ、そんなことないです」

 慌てて否定しながら両手を振る華ちゃん。その姿はもう可愛くて可愛くて、私は全力でこの子を応援したい、絶対幸せになってほしいと今まで以上に強く思った。

「あ、そろそろかな」

 冷め具合を確かめた後、私たちはチョコレートを袋に入れて、バットにいくつも絞り始めた。

 力を入れすぎず抜きすぎず、綺麗に丸く絞り出すのは結構難しい。

「そういえば昨日、東先輩の試合の応援だったんですよね? どうでしたか?」

 ――ぐちゃ。

 嫌な音とともに、私の手元には汚い形に絞り出されたチョコレートが現れた。

 チョコの乱れは心の乱れ――と偉い人が言ったかどうかは知らないけど、とにかく今、華ちゃんの無邪気な質問により、私は少し動揺していた。

「先輩?」

「……うん、行ったんだけど……結局判定で負けちゃったんだよね」

「え……そうだったんですか」

 私は頷いた。

 一晩経った今でも、はっきりと思い出せる。あの時の七緒の不自然で辛そうな動作。一体彼に何があったんだろう。

 結局試合が終わった後は会うことができなかったので、心配は未だ解消されないままになっている。

「七緒、大丈夫かなー……。気合い入ってた分すごいヘコんでそう」

「そうですね……」

 ずっと努力してきて、ようやくメンバーに選ばれた試合。それがあんな感じになってしまった今、彼は何を思うのだろうか。こんなちっぽけな私に何ができるのだろうか。

 一晩考えた、その結果――、

「とりあえず今は……嫌な気分が少しでも吹っ飛ぶくらいの美味しいチョコを、自分あげたいっす!!」

 突然大声を出した私に、華ちゃんはビクッと肩を揺らした。

「あ……ごめん、つい熱くなっちゃって」

「い、いえ。……応援しますね、先輩」

「ありがとう。華ちゃんもね」

 私たちはお互いの健闘を祈りつつ、再びトリュフ作りに取りかかった。










 翌朝。

 私は自分の家の前でひとり仁王立ちをしていた。右手には通学鞄、そして左手にはラッピングしたチョコの入った水色の紙袋を持って。

「さすがに寒いな……」

 思わず声に出すと、白い息がふわりと立ち上った。いくら冬が好きと言っても、寒空の下、何分も突っ立っていては冷える。

 でもどうしても朝のうちに七緒にチョコを渡してしまいたかった。

 一日中タイミングを図って過ごすのは嫌だし、どうせ学校に着いたら彼にはたくさんの女子が殺到するだろうし、うるさい禄朗に邪魔される可能性もあるし――それに何より、朝一で渡して、「土曜はお疲れ様!」って声をかけて、笑って、七緒の心が少しでも軽くなればいいな、と思う。

 東家から学校へ行くには、必ずこの徒歩5分以内の私の家の前を通ることになる。だからここで立っていれば必ず通学中の七緒と鉢合わせできるのだ。最初は七緒の家の前で待ち伏せしようかと思ったけど、ストーカーっぽいことに気付いてやめた。さすがにこんな大切な日に変態呼ばわりはされたくない。

 トリュフはとても美味しく出来た。昨日華ちゃんと味見をしたら、自分たちで作ったのがちょっと信じられないくらいの良い味だった。

 今朝はいつも以上に早起きして髪もちゃんとブローできたし、もちろんジャージではなく制服姿だし、リップも塗ったし、実は普段は手にしないビューラーを使って、慣れないながらも睫毛をちょっと上げちゃったりなんかしている(あぁ、今日に限って校門で抜き打ち検査なんかありませんように)。

「……うん、完璧。大丈夫」

 自分に言い聞かせるように呟く。実はさっきから動悸が激しすぎるのだ。

 私はかなり緊張していた。

 情けない、たかがチョコをあげるだけじゃないか。ほぼ毎日顔を合わせている幼馴染みに、おやつをプレゼントするのが、たまたま2月の14日目なだけじゃないか。無理矢理そう思い込もうとしても、やはり胸の鼓動は止まらない。

 さっきから頭をぐるぐると駆け巡るのは、本番のためのシミュレーションだ。

 ――おはよう、七緒。

 ――心都。一体何をしているんだい。

 ――実は渡したいものがあって。はいこれ、バレンタインのチョコレート。

 ――急にどうしたんだい。

 ――七緒を想って頑張って作ったんだよ、えへ。

 ――ありがとう。

 ――私、七緒が大好き。

 ――心都、実は俺も同じ気持ちで……。

「ないないないない」

 だいぶ現実離れしてきたところで自主的に強制終了させる。これじゃシミュレーションというかただの妄想だ。

 ここまで上手くはいかなくても、とりあえずちゃんと渡したい。

 普段より少しだけ素直になりたい。


 私は大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせた。




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