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5<シュシュと、試合開始>

 その大会は、隣町にある中学校の体育館が会場となっていた。

 土曜日の昼過ぎ。美里と共に体育館に足を踏み入れると、そこにはいかにも柔道やってます! という感じの巨漢男子たちがひしめいていて、私たちはまるで場違いのようだった。

「なんか、これぞ男の世界って感じね」

 応援席に座るや否や、美里がきょろきょろと辺りを見回しながら言う。

 今日の彼女、上はざっくりとしたニットに、下はバーバリー風のチェックのミニスカート。すらりとした足が美しく、会場の中でもいっそう光を放って見える。校内きっての小悪魔美少女は、場所がどこであろうと気を抜かず完璧に可愛い。

 今日は応援に徹するから! と、パーカーにジーンズのラフすぎる格好で来てしまった私は、あらためて隣の彼女と自分の姿を見比べて絶望的な気持ちになった。

「それにしても心都、今日は禄朗くんがいなくて良かったわね」

「え?」

 美里の手がゆっくりと私の頭に伸びてきた。

「もし今日会ったらまたボサボサ女って言われてたわよ」

 脳天をガシッと掴まれ、私は戦慄した。美里の顔がこの上なく恐ろしかったからだ。

「最近ちゃんとしてると思ったのに、ちょっと気を抜いたらこれよ」

「み、美里……えーと、今日は時間はあったんだけど、寝癖が強力すぎてまとまらなくて……け、決してこの現状に満足しているわけじゃなく……改善したい気持ちはあったんですが……」

 そう、今日の私は気の抜けたファッションに加えて、毛先があちこち跳ねて暴れ回っているというおてんばヘアスタイルなのだ。

 しどろもどろな私を見た美里は、溜め息を吐くとピンクのポーチをごそごそ探り出した。

「あのね、別に七緒くんの応援に来てるからちゃんと可愛くしろって言ってるんじゃないのよ。誰が周りにいてもいなくても、常にそういうのに気を使ってこそ、本当に好きな人の前でも可愛くなれるものなんじゃないの」

「な、なるほどー……」

 彼女からは本当に学ぶべきことが多い。

「はい、これ貸すから直してきなさいよ」

 そう言って美里が渡してくれたのは、シンプルな白いシュシュだった。

「軽く濡らしたりして結べばちょっとはマシになるでしょ」

「そっか……! 美里、ありがとう!」

 目から鱗だ。私はとにかく髪を真っ直ぐ整えようと必死になるばかりで、結んでアレンジを加えて誤魔化すなんて小技は全く頭になかった。そういえばこんな可愛らしいヘアゴムの1つも私は持っていない。ひょっとして女子失格だろうか。

 試合開始まではまだしばらく時間がある。私はひとり館内のトイレへ急ぎ、髪型の修正に取りかかった。

 シュシュを片手に鏡とにらめっこしつつ、元気すぎる髪と格闘した末、なんとか上手い具合に寝癖をまとめることができた。

「……よし」

 ふぅと息を吐くと、鏡の中にはどことなく張り詰めているような自分の顔があった。

 私が力んだってどうしようもないことはわかっているけど、今日はついに七緒が練習の成果を発揮する時だ。否が応でもドキドキしてしまう。

 幼馴染みの肩書きのジレンマ、バレンタインへの不安、七緒のキラキラ具合に対する焦り、頑固な寝癖――最近悩みが盛り沢山な私だけど、今日だけは。

 今日だけは全部忘れて、とにかく七緒を全力で応援することだけ考えよう。

 私は鏡を見つめて、自分の頬を両手で軽く叩くと、トイレを出た。

 数歩進んだ通路に入ると、そこで見慣れた柔道着の後ろ姿を発見した。

「お、七緒ー!」

 1人ふらふら歩いていた七緒がゆっくりと振り向いた。

「おはよ。へへ、応援来たよ!」

「……うん」

「頑張ってね!」

「……うん」

 どうも様子がおかしい。

 反応が鈍いし、目がぼんやりしているし、私の顔を見つめているようで微妙に視点が定まっていない。なんだろう、緊張?

「……っていうか」

 七緒がのろのろと口を開いた。

「すんません、誰でしたっけ」

 私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。

 誰、って。そんな!

 15年の付き合いは、かくも脆く儚いものなのか!

「いや、あの……私、杉崎心都」

「俺、東七緒。……あー、なんだ。心都か」

 ギクシャクとした自己紹介の結果、七緒の重たそうな目がようやく私をとらえた。

「来てくれてありがとう。髪型が違うからわかんなかった。切った?」

「結んでるだけだよ」

「へー。髪型が違うからわかんなかった。切った?」

「いや、だから結んでるだけですけど」

「あ、そうなんだ。なんか髪型が違うからわかんなかったんだよなー。切った?」

「……」

 会話が無限ループしている。

 私は言いようのない不安に襲われた。

「な、七緒……? 大丈夫?」

「えー? 何が? だいじょぶ、だいじょぶ」

 そう答えると七緒がグッと親指を立てた。しかし、その目は心なしか潤んでいる。

「七緒……」

「んじゃ、俺そろそろ行くから」

「う、うん……本当に大丈夫?」

「おー。応援よろしく」

 ひらっと手を振ると、七緒は恐らく選手の集合場所なのであろう一角に向かい歩き出した。少しよろけ気味で危なっかしい。

 不安になった私がその後ろ姿を見守っていると、七緒は途中もう一度こちらを振り返り、妙に間の抜けた声で言った。

「だいじょぶ、だいじょぶー」

 私は確信した。

 絶対、大丈夫ではない。













 応援席へ戻ると、美里が私の頭を見て満足そうに微笑んだ。

「うん、いい感じに結んだわね」

「美里……」

 思わずすがるように名前を呼ぶと、自分でもびっくりする程か細い声になった。

「どうしたの、心都。一気に半世紀老け込んだみたいな顔になってるわよ」

 さながら私は還暦越えか。

「七緒が変だったよ」

「会ったの?」

「うん。なんか、とろーんとしてた」

「とろーん? 何それ、心配ね」

 あれは緊張から来る極限の精神状態だったのだろうか。

 しかし小さい頃から七緒の試合は何回か見に行っているけど、あんなおかしな彼はいまだかつてなかった。七緒はどちらかというと本番に強いタイプで、その緊張感を楽しむとまではいかなくても、ドキドキに押しつぶされることなく試合に挑める人間だったと思う。

 では、さっきの七緒はなんだったのだろう。

 私が底知れぬ恐怖に襲われているうちに、辺りの雰囲気が徐々に変わり始めた。

「あ、始まるみたいね」

 美里が私の袖を引っ張る。

 私は祈るように手を組み、場内に現れた七緒を見つめた。

「心都、保護者じゃないんだから」

「うぅ、だって……」

 もう不安で不安で堪らない。


 試合が始まった。


 先鋒である七緒の相手は、七緒より少しガッシリした感じの男子。

 七緒はさすがにあの腑抜けた様子のままではなく、一応しゃんとしている。両手を構え、相手に技をかけようとしたり、かけられそうになったり。顔だってさっきみたいにぼんやりしていない、凛々しい七緒だ。

 がっちり組むところまではなかなかいかないけれど、お互いが逃げずにしかけ合う、傍目から見ても結構良い試合だと思う。

 しかしやっぱり七緒はどこかおかしい。

「ねぇ、なんか……調子悪そうじゃない?」

「うーん……そうねぇ」

 時々、動きが鈍くなるような瞬間があるのだ。

 私は昔、彼が言っていたことを思い出していた。

 自分は柔道をやっている同年代の人たちの中でも特に体が小さいけど、そんなことを嘆いてもどうしようもないのだと。

 だから、パワーで勝てない分は動きで取り返すしかないのだと。

 その言葉通り、七緒はいつも俊敏な動きを武器とする柔道をしてきた。

 それなのに、今は違う。

 明らかに動くのが辛そうなのだ。

「どうしちゃったの、七緒……」

 私は戦う幼馴染みを見つめ、心の中で何度も叫んだ。


 頑張れ、七緒!




 大きな歓声が場内を包んだ。






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