6<小さな愚痴と、1対1>
「どぉぉっしてあそこまで鈍感なのかなぁ。ねぇ、クロ」
家の庭でどっかり地べたに座り込み、愛犬を抱きしめながら私は呟いた。
その愚痴に答えるように、クゥ、と細い鳴き声。元気出してご主人様、とでも言いたげに。
「クロは素直ないい子だねぇ…」
飼い主(私)に似ないでよかったわ。
ふぅっと吐いた息が白い靄になって空に吸い込まれていく様子は、見ているだけで寒い。
いくら冬好きでも今は12月、しかも夜9時の野外の気温はさすがに厳しい。
「うー寒っ」
思わず腕の中のクロを抱く力が強くなる。
私の肌にクロの体温が伝わって、そのほっこりとした温かさに何だかホッとした。
黒岩先輩も、七緒に抱きついた時こんな感じだったのかな。
余計な事を想像して、体温は上がったのに気持ちはしっかり沈んだ。
あのアホ大絶叫の後、私は下手な陸上走りで裏庭からダッシュして、そのままのスピードを崩さず家へ帰った。きっと取り残された七緒は「わけわかんねー」まま部活に行ったんだろう。
「…アホ」
クロがひょいっと顔を上げた。
「あんたじゃないよ」
思わず苦笑い。
「…私だよ」
覗き見して、飛び出して、怒鳴って。
普通に考えれば理性とかモラルが止めてくれるはずなのに、七緒の事になるとそういうのが全部ぶっとんじゃうんだ。
──そうとうアホかも、私。
不意に頭に浮かんだのは、今日の「な?」の七緒の顔。その屈託のなさが余計悲しい。
「…私が好きなのは、七緒なんだよ」
呟いた気持ちは誰に伝わる事もなく、冷たい空に消えていった。
「ちょっといい?」
「はい?」
朝。今日も冬らしい澄んだ空気が最高に爽やか!
なのに。
「ちょっと顔貸してくれっつってんの」
校門を(今日は1人で)くぐった瞬間、恐い顔の黒岩先輩に肩を叩かれた。
顔貸してくれって、つまり呼び出し。
上級生が気に入らない後輩をシメる恐ろしい伝統行事だ。
…そりゃー昨日のまま終わるとは思ってなかったけども。
「今ですか?」
昨日遅くまでクロに愚痴りすぎて眠いし、そのせいで寝坊して髪ボサボサだし、リボン結んだりボタンとめたりちまちま制服に着替える時間がなくて結局今朝もジャージだし、ていうか純粋に恐いし、と断りたい理由なんか山ほどある。しかし、
「今だよ今。ついてきて」
ものすごい威圧感を放つ黒岩先輩の誘いを断れるはずもなく、私は泣きたいような気持ちで歩きだした。
もしかして呼び出しの舞台には黒岩先輩の仲間がヤバそーな雰囲気で待ち構えていて、複数で私の事シメるつもりなのかも…。嫌な想像がむくむく膨らむ。
しかし意外にも、着いた裏庭には誰もいなかった。
1対1だ。
「ここならゆーっくり話せるっしょ」
微笑みながらくるりと振り返った黒岩先輩の目は、間違いなく笑っていなかった。改めて、恐い。
「――何をですか?」
苦し紛れにすっとぼけてみたらそれが先輩の神経を逆撫でしてしまったらしい。
「ばっくれんなよ。昨日の事に決まってんだろ」
「…ですよね」
「あんたさぁ」
先輩がずばり切り出した。
「東君の事、好きなんでしょ?」
「え?」
「ただの幼馴染みとか言って超バレバレ。だから昨日も飛び出して邪魔してたんじゃん」
「違います!…本当に、幼馴染みです」
「ふぅーん」
先輩の鋭い目が気持ちを見透かすように私を睨んだ。何となく、逸らす事ができない。
「じゃあこれからは邪魔しないでよ。昨日は断られたけど、あたしまだまだ諦めるつもりないんで」
少しだけ、胸がざわっと波立った。
「それは…それは、また昨日みたいにゴーインな手段に出たりするって事ですか」
「まぁ時と場合によっては」
魅惑の笑みを浮かべる黒岩先輩。
波立ちは止まらない。それどころか、どんどん大きく広がっていく。
このボンッキュッボーン、本気だ。