12<ヒロインと、豪速球>
――可愛いだけじゃ駄目かしら?
昔々、そんなキャッチコピーのフランス映画があった気がする。見たことはないが、そのおどけるようなフレーズだけがやけにはっきりと頭に残っていた。
――そりゃ駄目だろう。
美里は、物心ついた頃からそう思っている。
「ねぇ、そんなに楽しい?」
そう訊ねた瞬間、向かいに座る田辺からみるみるうちに笑みが消えた。目を丸くし、ぽかんとした表情だ。
ゴンドラは変わらずゆっくりと動いている。
聞き方を失敗した気がして、美里は軽く後悔した。
「あぁ、ごめん。そういう嫌味みたいな意味じゃないのよ。ただ、田辺くんさっきから観覧車乗ってるだけでほっぺが崩れ落ちそうなくらいにこにこにこにこしてるから、そんなに楽しめるものなのかしらと思って」
「え、そりゃもちろん楽しいぜ! 栗原と2人で乗れてるんだからさ!」
相変わらずの暑苦しい口調で、しかしごく自然に田辺は言う。
あら、と美里は微笑んだ。
これくらいで動揺するほどウブではない。しかも田辺からのこういった直球な言葉なんて日常茶飯事、もうとっくに慣れている。
「でも今日ずっと楽しかったのは本当だけどさー、あのナンパ男たちだけは参ったよなー……」
田辺が思い出したように肩をすくめた。
「そうね。2回目はちょっと本気で怒りそうになっちゃったわ」
あれは美里にとってもかなり忌まわしい記憶だ。あのがさがさとした荒っぽい指で、今日会ったばかりの女性の手を掴むなんてとんだ野蛮人である。あのあと常備していたポケットティッシュで擦り切れるくらい手を拭いた。
「やっぱ栗原ってナンパとか結構しょっちゅうされるの? 対応が慣れてたから」
「全然そんなことないわよ」
せいぜい3日に1回程度だ。それに揃いも揃って、相手は今日みたいなチャラチャラした男ばかり。
そう、全員美里の外見だけを見てわらわらと近付いてくるのだ。
――自分はゴキブリに群がられるケーキ屑か。
「ああいうの、大嫌い」
笑顔で美里は言った。
「みんな顔だけしか見てないんだもの」
小さな頃から身内や知人はもちろん、喋ったことのない他人にまで可愛いと言われ続けてきた。だから自分の顔が、まぁ世間一般受けするような造りになっていることは、だいぶ早い段階でわかった。
しかしそれと同時に、あまりにも外見だけを見てすぐに言い寄ってくる男が多く、しかもそういう奴らに限って強引で自己中心的で、そのたび自分の気持ちが冷え冷えとしていくのを感じた。
顔さえよければそれでいいんかい。そう言って男たちをぶっ飛ばしてやりたい衝動に駆られるのだ。
「会ってすぐに『付き合わない?』とか、いくらなんでもおかしいと思わないのかしらね。それともそんなに自分に自信があるのかしら」
うんうん、ほうほう、と田辺は美里の話を聞いていた。おそらく彼の人生とは全く無縁の悩みなのだろう、まるで遠い国のお伽話を聞く小さな子供みたいだ。
「告白の言葉なんて、全員馬鹿の一つ覚えみたいに、見た目のことばっかり。そりゃそうよね、中身を知りもしないんだもの」
もちろん自分だってお気に入りのイケメンアイドルは何人もいるし、顔の整った先輩後輩同級生を見て女子たちで騒ぐのも好きだ。
しかしそれと恋愛は全くの別物だろう。繋げて考えようとする軽い男たちの単細胞っぷりに、つくづく嫌気が差す。
「……失礼な話よねー。なんか私の価値って見た目だけ? みたいに思っちゃうわよね、本当」
そして、自嘲気味に言ったそれを肯定しそうな自分が確かにいる。元来性格がものすごく素直で良いわけではなく、腹黒い部分も多々あることは一応自覚している。
だから尚更、自分の価値って何? と、少し、ほんの少しだけ、へこむときがあるのだ。
悲劇のヒロインぶるのは寒気がするほど嫌いなので、そんな自分にもまたうんざりしてしまう。
「俺はそんなことないと思うけどな」
田辺がふいに口を挟んだ。
「……確かに栗原の顔は可愛い。うん、誰もが褒めたくなるくらい最強に可愛い! そのパッチリした目とか長くて多いまつ毛とか綺麗な鼻とか上品な口元とか透き通るように白い肌とかサラサラロングヘアとか華奢な手首とか可憐な声とか!」
鼻息荒く語る田辺に、美里はものすごい勢いで引いている自分を感じた。このスローなゴンドラの進度を2倍にしたいと心から思った。
「でも! でもさ! 栗原の良いところは絶対それだけじゃないぜ!」
「……え?」
思わず、間抜けな声が出てしまった。
「だって俺は今日1日一緒に遊んだだけで、栗原の良いとこ、たくさん見つけられたもんね!」
さっきと同じにこにこした締まりのない表情で、田辺は続けた。
「杉崎の片思いを全力で応援してるとことかー、パンフレット見てテキパキ計画立てられるとことかー、意外とハンドル捌きがパワフルなとことかー、あとティッシュをちょっと離れたゴミ箱に捨てるときのピッチングコントロールの良さとか!」
最後の2つはもはや誉められているのかすらわからない。むしろ花も恥じらう乙女にとっては短所にさえなり得るのではないか。
しかし目の前の田辺は純粋すぎる笑顔満開で、とても嘘や皮肉を言っているようには見えない。
「ふっ」
美里はついつい吹き出してしまった。
この人、馬鹿なのかしら。
そう思う自分の心がいつの間にか軽く、明るくなっていることに驚く。
――馬鹿だわ、本当に。
「それはどうもありがとう。……でもね、田辺くんだって今日頑張ってたじゃない」
「俺?」
「そう。ナンパ男に啖呵切ったし、苦手な絶叫マシーンに無理して乗ってくれたでしょ」
「し、知ってたのか!」
田辺が仰け反った。やはり隠しきれている気だったらしい。
ずっと薄々感づいていた美里だったが、田辺は必死に誤魔化そうとしていたし、何やら七緒まで加担しているようだったので、彼らの面目を保つために一応それに乗っかって過ごしていたのだ(加えて心都は全く気付いていない様子だったので)。
はたと、田辺が何かを思い出したかのように動きを止めた。
「ってことは、あの時栗原が別行動提案したのも、絶叫マシーンじゃないのに乗りたいって言ったのも……?」
そう言いながら田辺の表情がだんだんと輝いてくる。単純だと思っていた彼だが、意外と勘は働くらしい。
美里はくすっと笑った。
「俺のために?」
「田辺くん白目むいてたからなんか可哀想になっちゃって。……でも午前中そこまでして無理に乗ることなかったのに」
「うぅ、だって栗原が乗りたいものは俺も乗っとかないとさー!」
またもや田辺の直球愛情表現。
そもそも彼が日頃からどういうつもりでこういった発言を続けてくるのかが、美里にはいまいち謎だった。
田辺はそれなりに自信があって、よし必ず口説いてみせるぜ! という目標を美里にも包み隠そうとはせず、こういうストレートすぎるアピールを繰り返しているのか。
それとも、ただ単純な性格ゆえに、自分の好意が完全に誰が見てもバレバレなことに気付かず、こんなにあっけらかんと素直すぎる発言をしているのか。
可能性はこの2つだろう。まぁ大体の予測はついているが。
「ねぇ、田辺くんってー」
「ん?」
彼は嘘がつけない人だ。
だから美里は聞いてみることにした。こちらも豪速球の、どストレートで。
「私のどこが好きなの?」
田辺がさっきの倍の勢いで仰け反り、狭いゴンドラ内の壁に頭をぶつけた。
「いってぇー!」
やはり後者だったようだ。
「ちょっと大丈夫?」
「く、くくく栗原! い、い、いきなりなんてことを聞くんだお前さん! そもそもなんで俺の気持ち知って……! あ、まさか杉崎が!?」
「違うわよ。田辺くんわかりやすすぎるんだもの。てゆーか、それで隠してるつもりだったの? 自意識過剰な人じゃなくたって気付くわ」
もっとも、その気持ちを知った上で相手にこんな質問をぶつける自分もどうかと思うが。
「で、答えてくれないの?」
田辺が今さっきぶつけた自分の頭部をさすりながら、視線を逸らした。普段はストレートすぎるくせに直接訊ねられたら照れるなんて、複雑すぎる心理の持ち主だ。
「さ、最初は正直、顔だけ見て好きになったよ、俺も。でも」
本当に正直な人だなぁ。そう美里が思う間に、田辺はガバッと立ち上がり(天井の低いゴンドラ内なので中腰なのがいまいちキマらない所だ)、目の前に親指を立てた。バッチグー、のポーズだ。
「今日で中身にもメロメロだぜ!」
「ぶっ」
またもや美里は吹き出してしまった。
――やっぱり馬鹿だわ。
「えぇ! 俺笑われてる!?」
「ごめん、ごめん。でも、メロメロって……ぶふっ」
田辺が少しショックを受けた様子でよろめいた。どうやらかなり自信を持って繰り出したフレーズらしい。
ひとしきり笑いがおさまったところで、美里は右手を差し出した。
「じゃあ、とりあえずこれから仲良しのお友達になりましょう」
きょとんとした田辺が、美里の顔と差し出された手を交互に見る。
「私、田辺くんのことあんまり知らないし、田辺くんもきっと私のことあんまり知らないでしょ。お友達になってこれから色々知っていきましょう。お互いのことたくさん知らなきゃ愛も何も生まれないと私は思うの」
愛という部分がかなり気に入ったらしい田辺は、にへらっと頬を弛める。
「おう! んじゃ今日からマブダチで!」
2人は握手を交わした。
「田辺くんって何型?」
「俺はOだよ。栗原は?」
「B型よ。ねぇ鹿児島ってどんなところなの?」
「うーん、あんまり行ったことないけど良いところだと思う。ラーメン美味いし」
と、自分に興味を持ってもらい相当嬉しい様子の田辺。さっきから今日一番のにやけ顔だ。
「へぇ。そういえば、田辺くんって部活何かやってるっけ?」
そう訊ねた瞬間、田辺の眉が下がり涙目になった。効果音を付けるならまさに『がびーん』だ。
そして美里は、田辺へのこの質問がクリスマスの時期から数えて既に3回目だということを思い出した。
愛が生まれるまでの道は、まだまだ始まったばかりである。