8<砂糖菓子と、直情チェスト>
田辺悠人は焦っていた。
ここは夢の遊園地こと、ドリームランド。そして隣には学校きっての美少女である栗原美里が、自分に向かって微笑んでいる。誰がどう見ても最高のシチュエーションだ。
しかし、田辺は焦っていた。
美里が「別行動しない?」と提案してきたときには舞い上がってつい頭から飛んでしまった問題が、再び重くのしかかってきたからである。
彼女は絶叫マシーンが好きだ。そして自分は絶叫マシーンが大の苦手だ。
今までは友人東七緒の協力でなんとかその事実を誤魔化してきた(?)が、2人だけでの行動となると隠しきれるかどうか、はっきり言って自信は限りなく0に近い。
「田辺くん、何に乗りたい?」
美里の問いかけに、田辺は思わず大声を出した。
「えっ! えーと…栗原の乗りたいやつで!」
「私の? いいの?」
「お、おう! 乗りたいやつ全部付き合うぜ! 俺はなんでもバッチコイだから! わっはっはー!」
しまった、と思ったときにはもう遅く、つい見栄を張って『紳士的な俺をアピール作戦』に出てしまった。彼女が乗りたい物なんて絶叫マシーンのオンパレードに決まっている。
田辺は頭を抱えて地面を転げ回りたい衝動に駆られた。
そんなことはお構いなしに、美里はしばらく首を傾げて考えた後、こう言った。
「じゃあ遠慮なく」
田辺は自然と身構えた。来るぞ。絶叫、落下、高速回転のフルコース。
しかし彼女の口から出てきた言葉は予想外のものだった。
「ゴーカートとメリーゴーランド。あと、そこの子供広場でやってるドリーム戦隊カイミンジャーのヒーローショーが見たいわ」
「へ?」
まさかのラインナップだ。田辺は拍子抜けして、美里をまじまじと見つめ返す。
「駄目?」
「いや駄目じゃないけど! 乗りたがってたジェットコースターとかそういうのは?」
美里はけろりとした表情で言った。
「気が変わっちゃった」
午前中まではあんなに絶叫マシーンに夢中で、今後の予定も意気揚々と立てていたのに。女心と秋の空、とはよく言ったものだ。
冬の寒空の下、田辺は格言を作った昔の偉い人を敬わずにはいられなかった。
そして少し遅れて、言いようのない安堵感に包まれる。今はとりあえず美里の心変わりに一安心だ。ゴーカートなら、絶叫マシーンが苦手な自分でも楽しむことができるだろう。
「よしっ! んじゃ、さっそく乗りに行っちゃいますか!」
「はーい」
――あぁ! なんかデートらしくなってきた!
今日1日踏んだり蹴ったりが続いていた田辺は、幸せを噛み締めた。
ゴーカートのスピードと衝撃にも(美里は意外と運転が荒かった)、メリーゴーランドの回転にも酔うことはなく、田辺は遊園地を満喫していた。
隣の美里も楽しそうだ。
「じゃあ次はカイミンジャーのヒーローショーね」
「うん」
弛みっぱなしの頬を引き締めようとすることももう諦めた。にへらっとした笑いを浮かべて、田辺は美里と共にショーの会場である子供広場へ向かい歩き出す。
「でも意外だな。栗原、ヒーローショーとか好きなんだ?」
カイミンジャーといえば、5人から構成される『ドリーム戦隊』の面々が悪の組織『レ・ムスイミーン』とバトルを繰り広げる、日曜朝から絶賛放送中の実写戦隊物だ。男児には大人気の番組だが、ローティーンガールの美里は明らかにターゲット層に含まれていないだろう。
「そうね。見たことは全くないんだけど。というか、存在自体今日ここのパンフレットで初めて知ったんだけど。ちょっと気になって」
「え、全く知らなかったの?」
「うん。でもさっき急に見たくなったの。そういうことってたまーにあるわよね」
なんとなくスッキリしない田辺であったが、砂糖菓子のような笑顔で語る美里を前に、ただただ肯うしかなかった。
「あれー? さっきの可愛い子!」
突如、田辺と美里の耳に、聞き覚えのある不愉快な声が飛んできた。
嫌な予感をひしひしと感じながら振り返る。
「ホントだ! 彼女、久しぶりー」
「もうあの痛々しい女いないじゃーん」
予想通り、そこには先ほどのナンパ男2人組がいた。
「うわあぁぁ……」
田辺は思わず泣き出したくなった。
今ここには美少女美里と、先ほどヘタレっぷりをアピールしきった田辺しかいない。つまり、前回とは違い彼らが逃げ出す要素は何もないということだ。特に、苺の国の妖精である心都がこの場にいないことは、彼らを大いに勇気づけたようだった。
「彼女ー、えっと、アントワネットちゃんだっけ? 俺らとそこのジェットコースター乗りに行かなーい?」
ナンパ男1が前回とほとんど変わらない誘い文句を美里に投げかける。
「でも私たち、もう行くところ決めてるから」
と、やんわり断る美里の表情は冷たすぎる笑顔だ。
「えー、いいじゃん、1回だけ! 一緒に乗ろうよー。そんなやつほっといてさー」
ナンパ男2は田辺を一瞥すると、美里の白い手を取った。
笑顔だった美里の眉が、ほんの一瞬だけ顰められたのを田辺は見た。
――どうしよう。どうしよう。どうすりゃいーんだ。
心臓が口から出そうだった。
――好きな女の子がしつこい男に絡まれている。相手は柄の悪い2人組。自分はしがないヘタレ中学生。
こんなとき、どうすれば。
「……」
先ほど心都と交わした、男らしい(?)握手の感触がまだ右手に残っていることに、田辺は気付いた。
――そうだよ。そうなんだ。
――ごちゃごちゃ考えている場合じゃない。行け自分!
「チェスト――ッ!」
田辺はかけ声と共に手刀を繰り出し、美里とナンパ男2の手をばっさりと断ち切った。
「な、なんだこいつ……」
男が少し怯んだのを見て、田辺は一気にたたみかける。
「きったない手で栗原に触んなー! 俺たちはこれからカイミンジャーのショー見に行くんだよ! お前らとジェットコースターに乗ってる暇はない! ないったら、ないっ!」
「なんだとぉ?」
「こいつ、さっきは白目むいて震えてたくせして……」
ナンパ男たちがドスの利いた声でにじりよってくる。今までただの雑魚キャラとしか認識していなかった田辺に思いがけず反撃をくらい、彼らのプライドは少し傷ついたようだ。
少し緊迫した空気の中、完璧な笑顔で美里が口を開く。
「ごめんなさい」
綺麗な声にも関わらず、なぜかずしりと重い響きがある言葉だった。
「私、しつこい人って大嫌いなの」
ナンパ男が固まる。かなり深刻なダメージを負ったようだ。
「……栗原! 今のうちっ、行こう!」
田辺は美里の右手を掴み、その場から走り去った。
全速力で走ったため、かなり息が切れた。
はぁはぁと荒い呼吸を整えながら、2人は子供広場の椅子に腰を下ろした。
「びっくりしたー……」
ぽつりと、美里が言う。
「何が?」
「急にチェストって……田辺くんって鹿児島の人?」
「あ、母親のほうの実家が鹿児島で……」
実際は、生まれてから数えるほどしかその地を訪れたことがない。
しかしさっきはとにかく必死で美里とナンパ男を引き離そうとした結果、自然とその掛け声が口をついて出た。やはり人間が縁のある地から受けるパワーというものは侮れない。
田辺は走り疲れた体を休ませながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
「ふふ」
小さな声で、美里が笑う。
「面白かったわよ。田辺くんのチェスト」
笑いながら、美里は田辺の肩を軽く叩いた。
「え……そう? 面白かった?」
「うん。すっごく面白かった」
くすくす笑う美里につられて、田辺もつい笑いがこみ上げてくる。
「はは……そーか! 面白かったんなら、良かった!」
「うん! 最高だった!」
「最高か! ははは!」
結局、ショーが始まるまでの5分間、2人はずっと笑いが止まらなかった。