2<愛と、若さと、お花畑>
-前編のあらすじ-
聖なるクリスマスイヴの夜、悪の酔っ払い3人衆は降臨した。
狙われた清純美少女ナナオの運命やいかに。
ちょっと嘘です。
リビングには嵐が去った後のような静けさが漂う。
残ったのは、子供たちが出ていったドアを笑いながら見つめる母親2人だ。
「いいの?」
小首を傾げ、爽子が明美に尋ねる。
「何がだよ?」
「心都、かなりハイになってたから何するかわかんないわよー? もしかして酔った勢いで七ちゃんを無理矢理ー……」
「ははは。爽子こそあんな状態の心都を野放しにして、親としての責任に問題ないのかよ」
「ふふ。私は娘の恋を応援してるだけでーす」
年甲斐もなく可愛らしく語尾を伸ばし答える爽子に、明美は目をぱちくりさせた。
「なんだ、気付いてたのか」
「あら失礼しちゃうわねー。自分の娘の事くらいわかるわよ。明美こそこういう事にはかなり鈍感なくせに、よく気付いたわね?」
「失礼だなー。自分の息子の事くらいわかるよ」
爽子の返答を真似た明美は、にやりと笑って更に言った。
「っていうか心都の態度、あれは一目瞭然だろ。気付かないのはうちの鈍感馬鹿息子くらいだよ。まったく誰に似たんだか」
「あら、母親にそっくりよー?」
「何だとコラ」
少々口喧嘩風になりながらも、2人は相変わらず今の状況を楽しんでいるような笑顔だ。
そして、ほぼ声を揃えて言った。
「若いっていいわねー」
「若いっていいよなー」
その頃、噂の若い2人は杉崎家の小さな庭にいた。
「じゃあ七ちゃん、自分のどこらへんが天狗になってたかを300字前後で述べなさーい」
「いや、だから別に天狗じゃないって……」
「あっ! また可愛く溜め息吐いた! むーかーつーくー。500字に変更しちゃうから!」
完全に酔っ払いと化した心都と、彼女に絡まれぐったりする七緒。2人はかれこれ10分ほど、このわけのわからないやり取り(心都曰く、強制個人面談)を続けている。
七緒は参っていた。
酔った心都は想像以上にねちねちとしていたのだ。基本的には七緒の常日頃の美少女っぷりを理不尽に責め、たまに口答えされると今度はそれに対して「天狗になっている」だの、「可愛いからって何を言っても許されると思っている」だの逆上するというやっかいなパターンだ。
14年の付き合いである七緒も、こんな幼馴染みの一面は初めてだった。
――なんつーか、正直……怖い。
七緒は心の中でひっそりと溜め息を吐いた(堂々と吐くとまた怒られるので)。
女の勘でそれを読み取ったのかわからないが、目の前の幼馴染みはほんのり赤い顔を思い切りしかめ、言葉を続ける。
「大体七ちゃんはねー可愛いくせに隙がありすぎるのよう。プリティな真ん丸お目々で呑気そうな顔しちゃってさー。そんなんだからこないだも黒岩先輩に簡単にちゅーされそうになったり、最近は月に1回男からナンパされたり、小5の時に隣のクラスの梨紗ちゃんにリコーダー盗まれたり、小3の時に担任の先生(男・26歳・独身)から毎日やたら見つめられたり、幼稚園のチューリップ組の時に」
「っ!! 言うな! 頼むからそれ以上!」
思わず叫ぶ。冬だというのに七緒は汗だくだ。
小さな頃から可愛らしかった彼は、それ故に色々と苦労もしてきた。特に幼稚園の年中さんの時の出来事――クラスの園児の約7割が「七緒ちゃんは本当は女の子。でも可愛すぎて悪の組織に狙われるからわざと男の子の服装をしてるんだ」という噂を純粋に信じていた――は決して思い出したくないものだった。
それを掘り返されたからには、黙っているわけにいかない。
「あーもうこの酔っ払い!! 早く家入って寝ろよ! そもそもお前な、未成年の飲酒は法律で禁止されてるんだぞ!? 何普通に気持ち良く酔ってんだよ!」
「はあ? 酔ってないって言ってんじゃん、自分がキュートガールだからって調子乗んな七ちゃんのばーか」
「キュートガールでもねえし調子に乗ってもいねえよばーか」
「可愛すぎてむかつくんだよばーかばーか」
「うっせばーかばーか」
「ばかって言った方がばかなんですーぅ」
「お前も言ってんじゃん!」
まるで小学生の頃のような口喧嘩が繰り広げられる。
――と、その時。
ふいに心都の目が、何かに気付いたかのように丸くなった。
彼女の視線は七緒を通り越し、その後ろの何かを捉えている。
「……いない……」
「は?」
「クロがいない……」
振り返り犬小屋を見てみると、確かに、いつもそこにいるはずの杉崎家の愛犬の姿がない。
「散歩でもしてんじゃねえ?」
そう七緒に問い掛けられ、心都はぶんぶんと首を左右に振った。
「ないないない。クロがひとりで出歩くなんて今までなかったし、ほら、ご飯も全く手付けないで残ってる。あの子がご飯を後回しにするなんてありえないもん」
綺麗に皿に盛られたままのドッグフードを指差し心都が言う。
そういえばあいつ食い意地張った犬だったよな、と七緒も思い出した。小学生の頃よく心都と2人で餌をあげていたが、その時からクロの食欲は絶好調で、「ひと欠片も無駄にしねえ」と言わんばかりにガツガツ食べていた様子が記憶にはっきり残っている。
そのクロがご飯を丸々残し姿を消す、とは。
「……異常事態?」
七緒の言葉にこっくりと頷いた心都は、それきり顔を上げなくなってしまった。よく見ると肩が少し震えている。
人間、酔うと情緒不安定になりやすい。っていうかこいつ既に変だったし、もしかして泣き上戸的なアレでこのままわんわん泣きだすかも――。
心配になった七緒はとにかく声をかける事にした。
「そんな不安がるなよ。な、大丈夫だって。今から一緒に捜しに――」
「誘拐だよ誘拐!!」
七緒の精一杯の言葉は、がばっと顔を上げた心都の怒声にかき消された。
どうやら不安がっているとか泣きそうになっているとかいうのとは少し違うらしい。
「絶対そうだよ、それ以外考えられないし! クロは男前だから、クリスマスイヴを独りで過ごす寂しさに耐えられないどこかのロンリーガールが誘拐してったんだよ!」
酔っ払いの発想力は凄まじい。
怒りに震える心都を見つめながら、七緒はまた少しぐったりしていた。
「くそっ許せなーい!! 七ちゃん、取り返しに行くよ! 打倒誘拐犯ー!」
そう言うと心都は七緒のジャージの襟を掴み、全速力で走りだす。
「うわ、ちょっ、おい。自分で走るから離し……」
「間違いなくこっちからクロの匂いがする! 飼い主ナメんなよ誘拐犯!」
「ほんとかよ!? てか痛い痛い首痛いから!」
七緒の悲痛な叫びが、怒る酔っ払いに届くはずもなかった。
どれくらい走っただろうか。
――犬の嗅覚はもちろん人間より遥かに優れたものだが、飼い主のそれもなかなか侮れない。
ようやく襟を解放された七緒は、そう悟った。なぜなら心都が「こっちからクロの匂いが!」と言った方向には、本当にクロがいたからだ。
「すげぇ……」
ただしクロと一緒にいたのは誘拐犯のロンリーガールではなく――。
「犬……?」
見事愛犬を捜し出した心都が、不思議そうな声を出す。
そう。杉崎家から少し離れたマンションの駐車場に、クロは雪のように白い小型犬といた。心なしか幸せそうな顔をして、寄り添うように。
「なぁんだー……そういう事ね」
「え? 何、どういう事? この白くて小っこいやつ誰?」
事態が飲み込めない七緒を心都が睨む。
「鈍感だなー七ちゃんは。クロの恋人だよ」
「へ……? こいびと?」
酔っ払いに鈍感扱いされた事への反撃も忘れた七緒は、目の前の2匹をもう一度じっと見つめ、
「あ――……」
関係をようやく理解した。
「そっか。犬の5歳って人間の5歳とは違うもんな」
「クリスマスだもん。クロも好きな子と過ごしたいんだよ。ご飯より何より大切な子とね」
そう言って心都は2匹を邪魔しない程度の距離で腰を下ろした。七緒もそれに倣い、隣にしゃがんで犬たちを眺める。
「……クロ、幸せそうだなー。ついこないだまでよちよち歩きの仔犬だったのに」
「ふふ」
なんだか子供の結婚を控えた親のような心境だった。
さっきまでただの暴走気味な酔っ払いだった心都も、犬たちのおかげで穏やかになったようだ。七緒は少しほっとした。
――のも束の間。
「笑顔で犬を見つめる七ちゃん……かーわーいーいー。犬と美少女のコラボってかなり良い画だよねぇ」
「……っ誰が美少女だコラ」
穏やかさはほんの一瞬の奇跡。心都はまたかわいこちゃんにねちねち絡む酔っ払いと化してしまった。
「どっからどう見ても美少女じゃーん。チューリップ組の皆の気持ちもわかるなーふへへへへへ」
「だ――!! だからっその話題は出すなって! あと変態っぽい笑い方やめろ!」
屈辱的な記憶を再び思い出すはめになり、七緒はぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。
「あーもう、酔ったお前ほんと性格悪……」
と、ぐったり気味の七緒。
それを聞いた心都は、ふっと笑った。
「だから酔ってないって言ってんじゃん、七ちゃんのかば。……うーん、でもね、今日はちょっと性格悪いな自分でも思う」
「自覚あんのかよ!」
七緒の鋭いつっこみが駐車場に響き渡る。途端、心都が「しーっ」と人差し指を唇に当てた。
「あ、わりぃクロ……と、白い小っこいの」
思わず謝った七緒に、クロは『別にいいけど邪魔だけはすんなよ』というような顔で一瞥を投げる。
そして再び恋人にぴったり寄り添った。
「だってさぁー困るんだもん」
顔は犬たちに向けたまま、心都が言う。
「困る?」
七緒が怪訝な顔で聞き返すと、心都は相変わらず目線を前に向けた状態でもう一度言った。
「七ちゃんがあんまり可愛すぎると、私が困る」
「……はぁ? 全然意味わかんないんだけど」
「七ちゃんさ、何度も言うけど鈍感だよね」
「……悪かったな」
少し不機嫌な声になる七緒。数分前にも同じ扱いを受けていればさすがにムッとくるものだ。
対する心都は、やっと七緒に目線を合わせ、にっこりと笑った。
ただしそれは、いつもの嬉しそうな心都の笑顔とも、昔からよく見るニヤニヤとした怪しい笑みとも違う。少し大人な、余裕のある笑顔だった。
――……酔っ払ってるからかな。酔っ払うと笑い方まで変わっちゃうんだな。
七緒は少しの驚きを、心の中で小さく吐き出した。
「知りたい?」
ゆっくりと、自分自身でも言葉を確認するかのように心都が問う。
「……はぁ、そりゃまぁ、気にはなります」
「じゃ教えてあげよう。どうして私が困るかって言うとねー……」
そこまで言うと、心都は笑顔を引っ込めた。
「えっと、びっくりしないでね?」
「……? うん」
「……私、結構前から七ちゃんの事が…………」
――ぽす。
びっくりしないでね? と前置きされたにも関わらず、七緒はかなりびっくりしてしまった。
なぜなら、言葉の続きが発せられる前に、どういうわけか心都の頭が自分の肩に落ちてきたからだ。
「えっ……」
つまり、『寄り掛かる』と『抱きつく』の中間辺りの、非常に際どい体勢なのだ。いくらなんでもこれは驚く。
そして肝心な部分を言わないまま、それきり心都は黙りこんでしまった。
「――……心都? どした?」
「……い」
「?」
心都は呻くように言った。
「…………眠い……」
「……はあ!? 飲んで暴れて眠い、って……お前それ完全に普通の酔っ払いじゃねえかよ」
「…………だって眠いんだもん」
「眠いんだもん、って……。あ、そういや心都昨日の夜寝てないんだっけ。――いやいや、だとしても今ここで寝ちゃまずいだろ! 家まであと少し我慢しろよ!」
「………………」
「寝ーるーなー!」
幸せな夢を、みました。
夢の中で、私は1人お花畑を歩いていました。
すると小さな教会に辿り着きました。
そこでは、我が家の愛犬であるクロが、白いわんちゃんと結婚式を挙げていました。
2匹ともとても幸せそうだったので、私は長い間ぼけーっと式に見惚れていました。
またしばらく歩いていくと、今度は七緒が居ました。
お花畑の中の七緒は、このやろう天使か! ってくらい可愛かったです。
そのあまりの可愛さに私は理性を見失い、勢いで七緒に告白をしてしまいました。
七緒は私の気持ちを受けとめてくれました。
やったね両想いだ! と私は喜びました。
そしてなぜか七緒は私を軽々とおんぶしてくれました。
可愛いくせに、細いくせに、すごくかっこよかったです(なので私は、どーせならお姫様だっこがいいなーと贅沢を言うのを我慢しました)。
そしてそのままお花畑を走りました。
うふふふ、あははは――と2人で笑いました。
笑いながら、いつまでもお花畑を走り回っていました。
本当に本当に幸せでした。
――そこで目が覚めました。
* * * *
「――んぁ?」
気が付いたら、私はリビングのソファの上で寝ていた。
「……なんでここで寝てんだろ?」
壁の時計を見ると、夜11時半。もうすぐイヴが終わろうとしている。
ぼんやりする頭でこれまでの出来事を整理する。
えっと。確か栗原家でのパーティが終わった後、七緒と一緒に私の家へ行って、母親組の宴会に半ば無理矢理参加させられて、それでぶどうジュースか何かを飲んだら急にふにゃってなって、それで――……。
どうしたんだっけ?
体を起こして辺りを見回す。 すぐ傍のテーブルではお母さんと明美さんが酔い潰れて寝ていた。やはりそれぞれ、どぎついピンクフリルと特効服という出で立ちだ。何だかもう2人のこの格好に違和感を感じなくなってきた……慣れって、怖い。
そんな事を考えながらふと向かい側のソファに目を遣り、
「ッくお!!」
私は鼻血を吹きそうになった。
長いまつ毛に綺麗な肌、照明で茶色く透けるさらさらの髪に、ほんのりピンクの唇、白い喉元――細かいパーツを1つ1つ解説していくとキリがないのでここで止めておくけれど――とにかく、まさしく天使みたいに可愛すぎる七緒が、そこですやすや寝ていた。
「どどどどどうしよう、めっちゃ写真撮りたい…………だ、駄目だ起きちゃうか……」
荒くなってきた鼻息を必死で整えながら、その寝顔を間近で凝視する。
あー畜生、可愛い。悔しいけどめっちゃくちゃ可愛い。ぶどうジュースを飲んだあたりから記憶がなくて何だかよくわからないけど、この寝顔を見る事が出来ちゃったからもう大大大ラッキーだ。
と、私がにんまり笑ったその瞬間。七緒がぱちっと目を開けた。
「あれ、心都……」
「……! ごごごめんなさいすいません! あの、可愛い寝顔だなーって思ってちょっと見てただけで、別に盗撮しようとか取って食おうとか考えてたわけじゃないの!! 断じて! うん!」
慌てて弁解する私を、七緒はじっと見ていた。
「心都……もう『平常』なの?」
「は? 平常……って? あ、ごめん、もしかして何か迷惑かけてた? 私ってばお母さんたちと宴会してるうちにいつのまにか寝ちゃったみたいだね」
「……」
まさか七緒、寝呆けてんのかな。何だか私を見る目に、ほんの少し恐怖の色が溶けている気がするけど……気のせいか?
「うわー……何も覚えてないとかそういうオチ?」
「だから何がよ」
恐怖から変わって、今度はぐったりした表情の七緒。
「…………あー……いや、うん。覚えてないなら覚えてないでいいや……OKでーす……」
「?」
何だか七緒は疲れているみたいだ。人間って背負って歩くとすげぇ重いのなーとか、もっと足腰鍛えなきゃなーとか、遠い目でぶつぶつ呟いている。もしかして部活でそういうトレーニングが必要なのだろうか。
「あ……そういえば心都さぁ」
七緒がちょっと真剣な顔で私を見た。
「……俺に対して困ってる事とかあったりする?」
「へ? どうしたの急に。特にないけど」
いきなり何を言いだすんだろう、この人は。
「あー、ないならいいんだけど。いや言いかけだったから気になってさ……。結局あれ何だったんだろ?」
と、首を傾げ小声で呟く七緒。
独り言が多いのは疲れている証拠だ。やっぱりこの時期、部活が大変なのかもしれない。
――よし。今度何かパワーが付くものでも差し入れとして持って行ってあげよう。
私はそんな事を考えながらも頭の片隅で、やっぱりさっきの天使の寝顔は写真に残しておくべきだったなー、と激しく、本当に激しく後悔したのだった。
――ゆっくりと、イヴの夜が更けていく。
読んでくださってありがとうございます。
これで本当の本当にクリスマスのお話は完結です。だらだら続きすぎて自分でも呆れ気味です。