4<鳥肌と、限界>
「ごめんね、待った?」
息を弾ませ駆けてきたのは1人の女の子。
ううん今来たとこ、と軽く首を振る七緒。
ちょっとちょっと。何かこれってデートの1コマみたいなんですけど……。
私の心中突っ込みは届くはずもなく、その女の子は七緒ににっこり笑いかけた。
見た事ない顔だから、多分先輩かな。程よい小麦色の肌に、すらっと伸びた足が印象的。髪は肩より少し下でふんわりウェーブしていて、どちらかというと可愛いより綺麗系。
さすが『自信あるよ(笑)』なだけあってスタイルは抜群だ。女子大生って言っても違和感なさそう。
「ボンッキュッボーン、ね」
隣の美里が歌うように囁いた。あんたは親父か。今度は私が小突いてシャラップサインを送る番だ。
女の子は、
「あたし、3年1組の黒岩みか。あたしの事知ってる? 知らないよねー。話すの初めてだし。手紙読んでくれた? ていうか、読んでくれたからここにいるんだよね。ごめんね急にあんなラブレターみたいな恥ずかしい事して」
これだけ一気に言うと、きゃらきゃら笑った。
「はぁ、はい」
七緒の中途半端な返事は、あっという間にその笑い声に呑み込まれる。
黒岩先輩は笑うのをぴたっと止め、今度はじっと七緒の顔を見た。鼻がくっつくぐらいの至近距離で。
何!?
私は思わずつま先に力を込め、今すぐにでも飛び出せる体勢をとる。拳を固め戦闘準備万端。が、
「かーわいーい!」
黒岩先輩の拍子抜けするような声で、私は危うく前につんのめりそうになった。
危ない危ない、今バレたら一巻の終わりだわ。
「やーん、まつ毛長ーい! もうマジ可愛い。ねぇ、外歩くと女と間違えられてナンパされたりしない?」
「全くないです!」
嘘。私が知る限りでは4回あったぞ。
可哀想に、本人にとっては消したい出来事なんだろう。私にとっては思い出し笑いできる最高のネタだけど。
「そぉー? あたしが男だったら絶対放っておかないのに」
黒岩先輩はそう言うとくすっと笑って、
「ま、女でも放っておかないんだけど」
と付け加えた。恐い。
……ちょっと七緒、何照れちゃってんのよ。頬を染めるな、頬を!
私は、七緒の側の木で猫みたいにガリガリ爪を磨ぎたい衝動にかられた。
いや、いっそあの2人の間にでーんと黒板を置いて、その上に爪を……想像したら鳥肌が立った。
「それで」
黒岩先輩は素敵に微笑みながら、ようやく七緒から顔を離した。
「告白のお返事は考えてくれたのかな?」
「あの、それなんですけど」
今までは先輩がほとんど一方的に喋ってた風だったけど、今度は七緒が口を開く。
「先輩、手紙に名前書いてなかったですよね。…あれで返事期待してるよって言われても、誰だかわかんないのにすぐ返事考えるなんてフツー無理です」
うーん、言われてみれば確かに。
七緒の「やっと言えた」みたいな清々しい顔から察するに、きっとずっとこれを言ってやりたかったんだろう。細かい奴。
「嘘ヤダごめーん! 名前書かない方がドキドキ感あっていいかなーと思ったんだけど。そうだよね、マジごめん。じゃあ返事くれるの明日とかでもいいから」
「いえ」
言葉を遮るように、七緒は低く短く言った。
普段の、「ちょっとハスキーボイスが魅力的な女の子です」って知らない人に紹介すれば通っちゃいそうな声とは、まるで違う。
「俺の返事はもう決まってますから……」
「ほんと? 聞かせてほしいな」
返事考えるの無理って言ったじゃーん、という突っ込みは置いといて。決まってるだなんて七緒、何て返事するんだろう。まさかOKしたりしない…よね?
黒岩先輩の魅惑的な笑みを見てると、それもありかもと不安が押し寄せてきた。
「えーっと……」
ぽりぽりと頭を掻く、七緒の手。
特別小さいとか美里みたいに色白だとかいうわけじゃないんだけど、やっぱり男の手には見えない。
「何つーか、そのー……」
「うん」
目をらんらんとさせながら、黒岩先輩が「早く言って!」光線を送る。
七緒。
すがるような気持ちで、声を出さずに呼んだ。
……そういえば幼稚園までは七ちゃんて呼んでたのよね、と私は妙に場違いな事を思い出した。
七ちゃんと心都ちゃんだった。でも小学校に入ってしばらくしたある日、七ちゃんはやめろって急に怒りだしたんだ。そして私の事も二度とちゃん付けで呼ばなくなった。
今思うと、きっと誰かにからかわれでもしたんだろうなぁ。
――あの頃から私がもう少し可愛い女の子になれてたら、今の関係変わってた?
七緒も、幼馴染みじゃなく女の子として見てくれてた?
そんな考えがちらっと横切って、私は慌てて頭を振った。
あー、もうやめやめ。昔の事うだうだ思ってもきりがない。とりあえず今は中2の「七ちゃん」に視線を戻そう。
七緒はしばらく言いにくそうな顔をして、そして意を決したように、
「ゴメンナサイ」
勢いよく頭を下げた。
全身の力がへなへな〜っと抜ける。
美里が私に、一安心ね、と目配せ。
うん、とりあえずは安心だ。
「えーっ何でェ!?」
黒岩先輩は腕を上下にバタバタして叫んだ。
悲しんでるっていうより、少し強い口調で。
七緒は困った顔をして、
「俺、今は部活が一番楽しいんです。だから誰とも付き合う気はないっていうか……とにかく、すいません」
もう1度謝った。
おしっ、さすが柔道バカ。
小さくガッツポーズをした後、何かが心に引っ掛かった。
ん? 今、誰とも付き合う気はないって言ったよな。これって喜んじゃいけないんじゃあ……。
しばしの沈黙。
居心地悪そうな七緒と、何だか髪の毛が邪魔で表情が見えない黒岩先輩。
「……東君」
「はい?」
先輩の目が鋭く光ったように見えた。気のせい?
――いや、気のせいじゃない! 先輩はメデューサみたいに髪を振り乱し、ガバッと七緒に抱きついた。
何してんのよ! 叫びそうになった私の口を美里の白い手が慌てて塞いだ。
七緒はじたばたしてるけど振りほどくにほどけない。それもそのはず、七緒より背の高い黒岩先輩は七緒にすっぽり覆いかぶさるような形になっている。
「そんな事言わないでよ。あたし、東君の事こんなに大好きなんだよ?」
「いや、ちょっと、あの……っ! は、離して下さい」
「言ったでしょ? スタイルには自信あるって」
やけに色っぽい声。
ヤバい、この先輩こんな過激な人だったの!?
先輩は、真っ赤な七緒にさっきよりグッと顔を近付けた。
「ね、付き合ってよ」
七緒の目を見つめ、そしてますます顔を……いや、唇を接近させて。
もしかして。いや、もしかしなくても、これは────、チューしようとしてる!?
……もう。
もう、駄目だ!
限界、の2文字が頭に浮かび、
「やめて下さいっ!!」
思ったよりも大声が出た。
そして気が付いたら、マジでキスする5秒前の七緒と黒岩先輩の目の前に、私は立っていた。
「心都……?」
七緒のきょとん顔。
「誰」
黒岩先輩の恐い顔。
後ろからは、あっちゃーと呟く美里の声。
――もう、どうにでもなれ!!