26<2人の本音と、男の勘ってやつ>
それは、そんなに難しい事なの?
「バカバカバカ――――!!」
怒鳴られた禄朗本人はもちろん、私も七緒も驚いて目をむいた。
だって今までの華ちゃんといえばおとなしくて可愛らしくて、何というか、あぁもう守ってあげたい! ってイメージだったから。
「関係ないとか、放っとけとか……っそんな事言わないでよ!」
周りの戸惑いを全く気にもとめず、涙を堪えながら必死に叫ぶ華ちゃん。
対して、いつもの威嚇顔はどこへやら、ぽかんとした間抜け面の禄朗。
「は、華? いきなり何キレて……」
「うるさい禄ちゃんのバカァ!」
「……すんません」
おぉ。華ちゃん無敵か?
なんだか口を挟む雰囲気でない事を察した私と七緒は、黙って2人を見守った。
「私は、禄ちゃんと関係なくなんてなりたくない! 勝手かもしれないけど、心配だし、もっと禄ちゃんの力になりたいし、何かあったら助けたいし……」
禄朗を見つめる華ちゃんの瞳の飽和量は、もう限界に達していた。
「また昔みたいに仲良くしたいよ……!」
ずっと心の中にあった、華ちゃんの本音。
それとともに、1雫、涙が零れる。
何か吹っ切れてしまったのだろう。それから堰を切ったように、華ちゃんの瞳からは涙が溢れた。
「……だから、無理なんだよ」
禄朗が小さく言う。精一杯いつものような鋭い目付きを作ろうとしているらしい彼の表情は、明らかに不自然で、どこか悲しげだ。
「何が無理なのよ禄ちゃんのバカー!」
――ぶち。
「黙って聞いてりゃ……何回バカバカ言えば気が済むんだよ!」
あ、禄朗もキレた。ちなみに華ちゃん、今までに7回「バカ」とおっしゃっています。
さっきまでのシリアスな雰囲気とは一変、キレキャラと化した幼馴染み2人の怒鳴り合いが始まってしまった。
「だって禄ちゃんバカなんだもん!」
「……っバカはお前だろ!? さっきからふざけた事ばっか言ってんじゃねぇよ!!」
「何もふざけてないよ! 私全部本気で言ってるよ!」
「それがバカだっつってんだよ!!」
「バカじゃないもん!」
「バカだろ!!」
「バカじゃないもん!!」
ここで2人、ぜぇぜぇと肩で息をし、ちょっとブレイク。やっぱり間髪を入れずの怒鳴り合いは疲れるようだ。
「……そろそろ仲裁に入った方がいいのかなぁ」
完全に部外者な私は、同じく部外者的ポジションのお隣さんに小声で訊ねる。
「いいんじゃない? 余計な口挟まないで温かく見守ってれば。2人で解決すんだろ」
と、呑気な口調で七緒。
「やけに楽観的だねー」
「あの2人なら大丈夫だよ」
……何故わかる? というか何故そんなに自信満々?
そんな訝しげな顔で七緒を見ると、彼はフッと笑って付け加えた。
「ま、男の勘ってやつ?」
「…………」
「…………」
「ごめん、よく聞こえなかった」
「……じゃあいいっす」
七緒は自分の発言を後悔するかのようにうなだれた。いやぁ、本当はばっちり聞こえていましたけど。どう突っ込んでいいものか判断しかねましたので。
いつのまにかあっちの2人の言い合いが再開していた。
「オレと仲良くしたいとか……その考えがバカなんだよ!」
禄朗は華ちゃんを見据え、さっきより少し感情を抑えた声で言った。
「だって、本当の事だもん!」
「オレと一緒にいたっていい事なんかねぇんだよ」
突き放したような言い方だった。一瞬、華ちゃんの表情が固まる。
「何それ」
少し視線を落とした禄朗は、顔を歪め、低い声で言った。
「……オレみたいな素行不良でキレやすくて頭悪りぃ奴といたら周りも悪くなるだけなんだよ。だから一緒にいたら得な事なんか1個もねぇんだってよ」
「……それ、橋本先生に言われたの?」
「あんな奴関係ねぇよ」
橋本の名前を出すと、禄朗の顔がますます歪んだ。明らかに『関係ねぇ』わけないだろう。確かに橋本が言いそうな台詞だ。
「そんな……」
「だから、オレとまた仲良くしたいとか、バカな事言うなよ。……お前が損するだけなんだし」
禄朗の言葉はやけに響いて、心に残った。
「……何それ」
華ちゃんが目を伏せ、再び言う。
「バカだよ禄ちゃん。そんな事言われて気にして……」
「まだバカって言……」
「だって本当バカなんだもん!」
禄朗の言葉を遮り、華ちゃんは顔を上げた。
瞳は涙でいっぱいで――そしてとても怒った顔をしていた。
「損とか得とか、私はそんな事考えて禄ちゃんと仲良くしたいって言ったんじゃないもん! ただ、『禄ちゃん』と一緒にいたいって思ったの!! ……なのに、そんな周りの事とか気にしてさぁ……っ」
華ちゃんの小さな肩が僅かに震えている。
「……っ禄ちゃんのバカ!!」
本日13回目の『バカ』。
それだけ叫ぶと、華ちゃんは制服のスカートを翻して走っていってしまった。
「あ、華ちゃ……」
私は追い掛けようと体勢を作ったけれど、あっというまにその姿は見えなくなってしまった。小さく華奢な見た目からはとても想像できない速さだ。
公園に残ったのは、不機嫌な表情の禄朗と、呆れるくらい呑気な七緒と、意味のなかったクラウチングスタートの姿勢のままの私。
「……禄朗、あんた今日橋本にそれ言われてキレたんだ」
「…………」
黙り込む禄朗は相変わらず不機嫌そうなのに、やっぱりどこか悲しげで。なんだか私まで泣きそうになってしまった。
「だからって華ちゃんにあんな事言わなくても……」
「あいつ、優等生なんだよな」
禄朗が呟く。
「成績良くて、なんか先生とか周りからも評判いいみたいで。このままいけば学校生活順風満帆ってやつ」
だから、と禄朗は続けた。
「オレなんかといたら駄目だろ」
──あぁ、何となくわかってきた。
つまりこれは、禄朗なりの優しさ――なのかな。
華ちゃんの言うように本当バカだけど。でも、きっと奴なりの誠意なんだと思う。
「……いや、何となくわかってたけど、やっぱ直接言われるとムカついたな。橋本の奴、オレが華とか七緒先輩と関わりある事ちゃんと知ってて――『お前は、同級生や先輩や周りの人間まで落ちぶれさせる気か?』だってよ」
はは、と面白くなさそうに禄朗が笑う。
「なんかその瞬間もう……全部どーでもよくなってさ。あぁオレは周りを駄目にする人間なんだ、って実感した。こいつ殺すぐらいにボコボコにしてその後はおとなしく捕まろうかなと思ったけど」
「でも殴らなかったんだ」
「七緒先輩との約束破るわけにいかねぇだろ」
禄朗は七緒の方に向き直り、改めて謝った。
「……七緒先輩、迷惑かけてすんませんでした」
「俺は別に平気なんだけど」
七緒は真面目な顔でしばらく何か考え、やがて言った。
「禄朗の気持ちは、どうなわけ?」
「……オレの、スか」
「華ちゃんは、ごちゃごちゃした事とか一切関係なく、ただ、また仲良くしたいんだって言ったじゃん。お前は、相手の損得考えてわざと突き放して、悲しくならない?」
「……でも華だけじゃないっスよ。橋本の奴、『2年の東とも最近つるんで、何か悪い道に引きずり込んでるんじゃないだろうな』って七緒先輩の事まで言ってたんス。……オレの周りにいると皆悪い目で見られます」
そう言うと禄朗は俯いた。拳を握り締め、何かを堪えるような表情だった。
「…………」
沈黙の中、七緒は可愛らしい顔を少ししかめ、一言。
「お前……めんどくせーな」
「え」
「俺は別にそんな事気にしないし、華ちゃんだってそう言ってるじゃん。な」
そう言って七緒は私の方を見た。急に発言権が来て少し驚いたけれど、私も正直に言う事にする。
「あ、当たり前じゃん! 私だってそんな事気にしないよ」
目を丸くする禄朗と視線を合わせる。
「確かにあんたとはあんまり仲良しこよしじゃないし、ムカつく事いっぱい言われて本当何回も心の中で呪ったけど! ……でも、そんな周りの評価気にして離れるほど小さい人間じゃないし。……バカにするなよバカッ」
「……なんだそれ」
この数十分で14回もバカと言われた禄朗は、力のない声で反論した。
「気にしてんのお前だけじゃん、禄朗」
キラキラリーンとさわやかな効果音が付きそうなほどに完璧な美少女スマイルで、七緒が言う。
「1人でめんどくさい考え方すんなよ」
禄朗が、戸惑い気味に七緒を見遣る。
そして。
「…………――はい」
禄朗は頷いた。
いつもの怒声とは全く違う、呟くような声だったけれど。とにかく、頷いた。
それは、思ったよりずっと簡単な事なんだよ。