19<キレやすい十代と、重り>
禄朗はそれ以上何も言わずに歩きだす。
遠ざかっていく背中を見つめながら、私はとても重要な事を思い出した。
「ちょっと最低男!」
「……何だよ。もう話す事なんて――」
「24日、夕方5時に2年2組の栗原美里の家集合だから! 公園の近くの、大きくて白いやたらメルヘンな一戸建てだから!」
「は?」
「ちゃんと伝えたからね! ……あとはあんたお得意の『優しーく控えめに尋ねる』やり方で、誰かに教えてもらいなよ!」
私はそれだけ叫ぶと禄朗の姿が見えない曲がり角まで全力疾走。
床にへたりこんでしまった。
「…………」
――何だこれ。
どうしてこんなに、悲しいんだろう。腹が立つんだろう。
自分にブレーキがかけられなくなるほど怒鳴ってしまったなんて、生まれて初めてかもしれない。
禄朗にまたボサボサって言われたから、とかそういう理由じゃない事はわかっていた。
最近ニュースとかでよく聞く『キレやすい十代』っていうのは、私みたいな奴の事なんでしょうか?
「先輩」
傍に来た華ちゃんが、私の目線に合わせ屈んだ。
「……ごめん、華ちゃん……。私、出しゃばってめっちゃくちゃにしちゃったよ……」
「いえ」
華ちゃんは優しく首を振った。
「私の方こそ巻き込んじゃってごめんなさい。でも先輩が怒ってくれて、何かちょっとすっきりしちゃいました」
「……ごめんね」
もう一度謝る。
「――先輩、私24日行ってもいいですか?」
「えっ本当に? 来てくれるの?」
華ちゃんがこくりと頷く。
「……私、やっぱりこのままじゃ駄目だなぁ、って。ちゃんと禄ちゃんと話して、前みたいに普通に笑って喋れるようになりたいです。……またさっきと同じく逃げられちゃうかもしれないですけど」
「そんなんさせないから!逃げようとしたらがっつり押さえつけるから! ねっ!」
私が鼻息も荒くまくしたてると、華ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
彼女の純粋な笑顔は本当に人を癒す。
だけどやっぱり、心のどこかで生まれた重りは消えてくれなかった。
「いやーさっきは悪りぃ悪りぃ! 禄朗捜してうろうろしてたら顧問に捕まっちゃって社会科資料室の整理手伝わされててさーあはは! ほら柔道部の顧問、担当社会だからははは」
プチ行方不明だった七緒が教室に戻ってきたのは、本鈴が鳴り先生がやって来る数秒前だった。
そしてこの失踪理由を本人から聞かされたのが、5時間目終了後の事。その日の授業は終わりであとは帰るだけなのに、何だか心身共にぐったりな私は帰り支度もせず自分の椅子に座っていた(さすがに鼻ティッシュは取ったけど)。
「結局本鈴鳴るぎりぎりまでその仕事やらされてたから禄朗と会えなくてさーははっ。心都は会えた?」
やたらご機嫌な笑顔を振りまく七緒。周りにお花が飛んでいます。
「おう。ばっちり伝えといたわい。」
「……何でそんな男気溢れる返事?」
なぜってそりゃあ、禄朗とあんなに激しく罵り合った後、ちょっとばかし男らしくもなるわ。
「七緒の方がどーしたのよ。うきうきじゃん」
私が訊ねると、七緒はいっそう笑顔を輝かせた。
「それがさ、資料室の整理してる時、顧問に」
「告られましたか」
「ち……っげーよ!! 真顔で言うな!」
ごめん。今の私にはこんな死ぬほどしょーもない冗談しか思いつかないわ。
「へー。じゃないとしたら何?」
「あのなぁ……誉められたんだよ! 最近上達してるって」
「え……それは本当にすごいじゃん」
だって柔道部の顧問といえばゴツくて厳しくて、なかなか人を誉めない事で有名だったからだ。
「何かさ、普段怒ってばっかだけどちゃんと見ててくれてんだなって…当たり前だけど、嬉しかった」
本当に嬉しそうな笑顔の中、瞳だけはどこまでもまっすぐで、揺るぎない。
柔道の事を話す時、七緒はいつもこの顔をする。
そんな七緒を見るたび、私はいつだって同じくらい幸せな気持ちになれたんだ。
だけど、どうしてだろう。
やっぱり今日はおかしいみたいだ。
「よかったね。……七緒、頑張ってるもん」
ちゃんと笑えない。
「……あのさ」
きっと今ものすごく不自然な作り笑いを浮かべているのであろう私を、七緒がじっと見る。
「昨日も言ったけど、やっぱ心都、変」
「ふふん、顔が?」
「だから違うって」
普段は鈍感なくせに、こういう時だけやけに鋭い人になる。
「人が真剣に聞いてんだからそーいう事言うな。」
――だってこんな冗談でも言わないと私、またさっきの禄朗の時みたいにめっちゃくちゃな事になりそうな気がする。
「……そっちこそ急に真面目な顔しちゃってさー。やめてよ」
「やめてよってお前……」
拗ねたような顔の七緒。
「何か悩みでもあるんだったら良い幼馴染みとしては力になってやりたいと思ったのに」
「……そりゃどーも」
幼馴染み。
何度も聞き慣れた、時には自分で口にしてきた単語が今日はやけに耳につく。
「期末テストの結果が悪かったとか……進路の事か? あ。まさか恋の悩み? それだったら俺は経験ないからいいアドバイスできないなー……でもっ、とにかく何でも聞くからさ」
昨日も思った。素直で綺麗すぎる七緒の優しさは、たまにチクリと刺さるんだ。
「……七緒に聞いてもらってもしょーがないもん」
駄目だ。そう思った時にはもう、どうしようもなく可愛くない事を言っていた。
「はー? ひっでぇ言い方……まぁ、言いづらい事だったらいいけどさ、幼馴染みに今さらそんな気ィ使わなくても」
また、チクリ。
あの時七緒の家で切った指の傷が、痛い。
ずっと痛いままだよ。
「幼馴染み幼馴染みって……」
そんな肩書きが、『恋愛相談も聞く』なんて言うのを手伝っているんだったら。
「――私」
私は七緒が好きだって事を、ただのありえないもしも話にしてしまうんだったら。
だったら、もう、いっそ。
思いきり立ち上がると、椅子は派手な音とともに後ろに倒れた。
「私は、七緒と幼馴染みになんてなりたくなかったよ……!」
完全にカチーンときた顔の七緒が、私を見つめ言い返す。
「あーそうかよ悪かったな生まれた時から一緒で!! どーも今までご迷惑おかけしましたですよ!!」
「こちらこそですよ!」
双方、怒りで言葉が変。
だけど私はそんな事も気にしていられないくらい真っ白で何も考えられなくて――止まらない。
「七緒なんて……七緒なんて……」
大っ嫌い! とは絶対に言いたくない自分が悲しい。
「七緒なんて……っイヴの夜に禄朗といちゃいちゃツイスターゲームでもしてろ!!」
「そっちこそ1人物真似ショーでもしてろ!!」
そう言うと七緒は教室をあとにした。ぴしゃーんと思いきり閉めたドアの音がうるさい。
――今、私、七緒に何言った?
「…………」
残された私は、早くも後悔しすぎて愕然。
「……何やってんのよ、あんたたち」
呆れたような美里の声が、遠くで聞こえる。
私、人生最大に馬鹿な事した。