表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/180

18<桜色と、ふたり>

 ひやりとした冷気が辺りを包み込む。

 今日は風が強くてとても寒い。

 そういえば今朝の天気予報では初雪が降りそうだと言っていた。

 私はそれを聞きながら、ホワイトクリスマスになってほしいなぁ、とぼんやり考えたんだ。






「禄ちゃんとは幼稚園のあじさい組からの付き合いで、自分で言うのもおかしいですけど……仲良しだったんです」

 1つ1つ思い出すように、華ちゃんは話し始めた。

「私、あんまり人にガーッと向かってく方じゃなかったんで、昔はよくクラスの悪ガキみたいな男の子たちにいじめられてたんです。虫持って追いかけられたり、スカートめくられたり。でも、私は何も言い返せなくて……」

 変な言い方だけど、潤んだ瞳が何とも可愛らしい華ちゃんは小さい男の子から見ればいじめたくなる対象だったのかもしれない。

「それを……禄ちゃんがいつも助けてくれたんです」

「えぇ!?」

 突如大声をあげた私を、華ちゃんが驚いたように見つめた。

 ――いや、だって、あの禄朗が! 道端で肩がぶつかっただけの少年や注意してきた担任に容赦なく掴み掛かる禄朗が! いじめられている女の子を助ける、なんて。はっきり言って全く結び付かない。

「人って変わるもんだなぁー……」

 戸惑いを隠せないまま思わず呟く。

「えっと、でも、助けてくれたっていってもそんな正義の味方みたいな感じじゃなく、何ていうか……すごく禄ちゃんらしく」

「例えば?」

 興味津々で尋ねると、華ちゃんは頬をほんのりと桜色に染めた(やばい、可愛すぎる)。

「……私がいじめられてても、その事には何も触れないんです。『やめろ』とか『いじめるな』とか……そういう直接的な事は1つも言わないんです。一言だけ『お前らがいると空気悪い』って、その男の子たちをボコボコに」

「うをっ! 華ちゃんストップ!」

 その続きを言っちゃうと、ほんのり桜色の思い出話が非常に穏やかじゃない風に聞こえるから。やっぱり進藤禄朗、根元は昔から変わっていないらしい。

「あ、あの、もちろん止めました。助けてくれるのは嬉しいけど暴力はよくない、って。ただ……私の言う事聞いてくれるはずもなかったですけど。『すぐメソメソ泣くお前も悪い』なんて怒られちゃう事もありました。でも、禄ちゃんのおかげでいじめられる回数はだんだん減っていったんです」

「やるねぇ禄ちゃん」

 やり方はどうあれ、とりあえず女の子1人救ったわけだ。

「でも中学に入った頃から、禄ちゃん……変わりました」

「……変わった?」

 ――ふと、その瞳が寂しげに曇る。

「私と――っていうか他人と関わる事をすごく避けてる気がするんです。確かに昔からそんな気さくって感じではなかったですけど……話し掛ければぶっきらぼうでも応えてくれたし、たまに笑ったし、理由もなく暴れる事だってありませんでした」

 でも、と華ちゃんは続けた。

「中学に入ってからの禄ちゃんは……変です。誰も寄せ付けない眼をして周りを睨んで、ちょっとした事ですぐ人に殴りかかって――私が話し掛けると『うるせぇな』って、突き放したように言うんです」

 華ちゃんの小さな肩は、僅かに震えていた。

「昨日禄ちゃんがすごく楽しそうに笑ってて、正直びっくりしました。あんな禄ちゃん久しぶりに見たから……目が離せませんでした」

「だから遠くからこっち見てたんだね」

「ごめんなさい。さっきも先輩たちが1年生の廊下にいたから、禄ちゃんに用があるのかなとか色々考えると……どうしても気になっちゃって、私――」

 華ちゃんは視線をあげ、私を見つめる。

「どうして禄ちゃんが変わっちゃったのかわからなくて……前みたいに、私といる時も笑ってほしいんです」

 冷たい風が吹き、細い木にかろうじて残っていた葉はパサリと足元に落ちた。本当に今にも雪が降りだしそうだ。

 ――私は、華ちゃんにどんな言葉をかければいいんだろう。

 小さい頃から傍にいた大好きな人が、やがて変わっていく。自分に笑顔を見せなくなる。

 人間変わるのは当たり前だから、とか。ずっと同じ関係のままいられるはずないから、とか。頭の中で考えれば、自分を納得させるための言葉はたくさん出てくるのだけど。

 頭じゃない、胸の奥がぎゅっと痛くて、やっぱりもうどうしようもなく悲しいんだ。

 何か言わなくちゃ、と思う。

 でも、隣に座る小さな彼女の気持ちはびっくりするくらい鮮明に想像できて、息が詰まった。

「…………」

 どうしよう。

 何も言えない。



 結局予鈴が沈黙を破るまで、私は言葉が見つからなかった。



「……教室帰りましょうか」

 控えめに微笑みながら、華ちゃんが言う。

「……ごめん。私、全然話相手になれなくて」

「えっ、そんな事ないです……! こっちこそ……勝手にぐちぐち言ってごめんなさい。やっぱり溜まってる事聞いてもらうとすっきりしますね」

 と、歩きながら華ちゃん。

 うーわー。この子、本当に良い子です。輝いています。

 何も言えない自分のふがいなさが、一層身に染みた。

「……あの、そういえば先輩」

 校舎に入ると同時に、華ちゃんが言った。

「さっき禄ちゃんに用があってあそこにいたんじゃ……」

「あ!!」

 やばい。すぽーんと記憶から抜けていました。私は、禄朗に24日の事を伝えるという目的があってわざわざ3階まで来たのだ。……そういえば七緒は禄朗に会えたのかなぁ。

「……ねー華ちゃん」

「はい」

「来週の24日って暇?」

 きょとん、と華ちゃんが私を見つめる。

「えっと……その日は6時まで塾があるんですけど」

「そっか。あのさ、塾の後クリスマスパーティに来られない? 禄朗も来るからさ、言いたい事とか聞きたい事、じっくり話せるチャンスかも」

「え……でも、私なんかがお邪魔して……」

 と、華ちゃんが言いかけたその時。

「テメェふざけんのもいい加減にしとけや!!」

 ……わぉ、デジャヴ?

 またもやあの怒鳴り声が、少し離れた所から風に乗って聞こえてきた。

「……本当に元気な人だなー」

 まぁ、捜す手間が略けたのはよかったんだけど。

 ただ私には、隣の華ちゃんの張り詰めた表情だけが気掛かりだった。



 禄朗は職員室前で白熱した口論を繰り広げていた。

 もちろんと言うべきか、相手はあの橋本。

「さっきから黙って聞いてりゃ、オレの事馬鹿にしてんのか!! テメェの話は時間の無駄なんだよ!」

「だから、こうしてわざわざ昼休みにお前を呼び出したのも生活態度について注意をしているだけだろう! 何度言ったらわかるんだ!」

 うん。橋本先生、とても説明的な台詞をありがとう。

 つまり橋本に呼び出された禄朗は昼休み中ずっと職員室で普段の行いについての説教を受けていて、今ついにブチ切れてしまったらしい。そりゃあ捜してもなかなか見つからないはずだ。

「ムカつくんだよテメェはよ!!」

「何だその言い方は! 先生たちだってなぁ、お前にはもう呆れ果ててるんだよ!」

 だんだん言い争いが過激になってくる。

 やっぱり場所が場所だ。2人の周りには先生たちが続々と集まって、立派な人だかりが出来つつある。

「ろ、禄ちゃん……」

 華ちゃんの瞳が心配そうに揺らぐ。

 あんな話を聞いた後だから、華ちゃんが今どんな気持ちで荒れる禄朗を見ているかはよくわかる。

 このまま禄朗に喧嘩を続けさせるのはちょっとまずい。

 やっぱりこれはまた、私が乱入しなきゃいけないのかな……。っていうか七緒はどこまで禄朗捜索に行ってんのよ!!

 軽いパニック状態の私は、心の中で叫んだ。

 こんな状況で禄朗をばっちり止めるには、七緒がどうにかするしかないじゃない。

「うっせぇなテメェの言う事なんて聞きたくねぇんだよ!」

「こっちだってお前みたいな馬鹿に言い聞かせるのはもううんざりだ!」

 うわ。結構すごい事言う。この2人の関係、何だかこじれ気味らしい。

「んだとコラ…」

 禄朗がぐっと拳を握り締める。

 隣の華ちゃんが息を呑んだ。

 きっと周囲の誰もが、禄朗が橋本に殴りかかるんだと思った。私も、思った。

「…………」

 が、しかし。禄朗はしばらく床を睨み付けたかと思うと、ふいに拳を緩めた。顔はまだ怒り満々のブチ切れた表情のままだったけど、とにかく殴りに行く姿勢を止めたのだ。

 禄朗は、覚えているんだ。

 むやみやたらに殴ったりしないっていう、七緒との約束。

 当のご本人は今プチ行方不明中だけど、その言葉を禄朗はちゃんと覚えている。

 ……ちょっと大人になったじゃん。

 不覚にも、私はほんの少しだけ感動してしまった――の、だが。

「オレだってテメェみたいな馬鹿から言い聞かせてもらう事なんか何もねぇんだよ!」

「先生に対して馬鹿とはなんだ進藤!」

 ……前言撤回です。拳が駄目なら言葉で、ってか。確かに七緒との約束は『暴力ふるうな』だけだったからなぁ。

 昼休みもあと数分で終わりだというのに、禄朗は橋本とのバトル(口のみ)を再開したのだった。

 と、その時。

「禄ちゃん……!」

 今まで不安気にこの騒動を見ていた華ちゃんが、堪えきれなくなったように呼び掛けた。

 突然聞こえたその大声に、ナイフのように鋭い禄朗の眼が驚いて見開かれた。

「…………げ。……は、華…………」

げ?

「禄ちゃん……駄目だよ、そんな……喧嘩とか、やめようよ……」

 瞳に涙を溜め、でも決して泣きだしたりはせずに華ちゃんは言う。

「……うっせぇな……関係ねぇだろ!!」

「ろ、禄ちゃん……」

 苛立たし気な舌打ちをし、禄朗は周りに集っていた先生たちを押し退けどこかへ歩きだした。

 ――うっせぇな。関係ねぇだろ。

 そう仰いましたかあの人。

「ちょっと待てコラ!」

 気付いたら、かなり大きな声が出ていた。

 禄朗が振り返る。

「それが自分を心配してくれてる子に言う言葉か!」

「はぁ? 何で急にボサボサが……」

「ボサボサ言うな!! こないだよりだいぶマシだわ! この最低男が!」

「テメェに関係ねぇだろが!」

 急に入り込んできた私に向かい禄朗が吠えた。

 だけど、もう止まらない。

「確かに私は関係ないよ、お節介おばさんだよ! でも華ちゃんは違うでしょ!? 関係なくないでしょーが!」

 禄朗は拳をぎゅっと握り締め、本当に忌々しそうに私を睨んだ。

 もしまた禄朗が(七緒との約束が頭から吹っ飛んでしまうくらいに)ブチ切れて私をグーで殴ったとしても、もう構わない。

「今の発言取り消してよ。じゃないとあんた本当に最低男だよ……!」

 殴られようが蹴られようが吊されようが、そんなのどうでもいいと思えるほど、何だか無性に悲しくて腹が立って、もやもやした。

「そんな事……」

 禄朗が今までで1番鋭い目つきで私を睨む。そして再び後ろを向き、

「そんな事テメェに言われなくたって、知ってんだよ」

 ぞっとするほど低い声で吐き捨てた。

 表情は、見えない。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↑よろしければ一言いただけると嬉しいです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ