15<嘘と、レモンの砂糖漬け>
出会って14年。好きになって4年。
七緒の顔を見るのがこんなにも怖かった事は、今までにない。
重く降り積もる沈黙。
ぽかんとアホ面の七緒。
にやにやと笑う禄朗。
はち切れそうに脈打つ心臓。
その全てに耐えられなくなった私は、わなわなと震える唇を動かした。
「な、何言ってんスかっ。私が七緒を、すっすすす好きなんて」
…やばい、裏返った上にちょっと禄朗口調混じり。
「ろくろー、いくら私が嫌いだからってねぇ、そっ、そういう……」
――そういう嘘つかないでよ。
言葉は喉まで出かかっているのに。駄目だ。言えない。
だって、嘘じゃないから。
禄朗の言う事は全てあっていて、大正解で、でも今ここでは認めたくなくて、だからといってただの嘘と一緒に誤魔化したくない気がして――つまり私は黙り込むしかなかった。
そんな私とは対照的に、すぐ傍から聞こえてくる声は何とも呑気だった。
「あ、やっぱ冗談?」
はははと笑うのはもちろん、どっこまでも無邪気で素直な東七緒君。
「一瞬ホントかと思ってびっくりしちゃったじゃん。まぁよく考えりゃありえねぇよな、心都が俺の事好きとか」
「…ん」
私は中途半端に、どちらかといえば肯定の色合いが強い音を発した。
――卑怯だ。こんなの、最悪。
が、そこで黙っちゃいないのは禄朗だ。
「七緒先輩!!ボサボサの言ってる事こそ嘘っスよ!!こいつ絶対先輩の事、大大大好きっスもんっ」
「ろくろー…お前、確かに心都とはあんましウマが合わないみたいだけど…そんなわけわかんない嘘言うなって」
な?と少し困ったように七緒。
「…うっ」
大好きな七緒先輩になだめられた禄朗はそれ以上何も言えずに、すごい形相で私を睨み付けた。
『てめぇのせいで恥かいたじゃねぇかこん畜生』。目がそう語っている。しかしここは七緒の手前、ぐっと堪えたらしく、
「……そっスね。すいません長居しすぎたっス。先輩、オレそろそろ帰ります」
目だけはぎらぎらと私を睨んだまま、禄朗は愛想よく七緒に言った。
「あー、じゃ24日の詳しい事はまたそのうち連絡するよ。寒いから風邪ひかないように気ィつけてな」
「はいっ。クリスマスパーティ楽しみにしてるっス!」
笑顔で七緒にそう言うと、最後にまた私をひと睨み。
「お邪魔しましたっ!」
風を切るように頭を下げ、禄朗は去っていった。
――さて。とりあえず……何について落ち込めばいいのかわからない。
あんな不意打ちみたいな形で七緒に気持ちが伝わらなかったのは、心から良かったと思う。
でも、私は嘘をついた。
私が七緒を好きだなんてありえない――という最大級の嘘を。
七緒もその嘘をあっさり信じた。それは、私が七緒にとって「幼馴染み」から「女の子」になる確率の低さを改めて実感させてくれる。
自業自得。私が馬鹿みたいに素直になれないせいだ。それはわかっている。わかっている、けど。
私は、ずるい。
私の気持ちを自分自身で塗り潰したんだ。
なのに、悲しいとか寂しいとか思うなんて。
こんなの、ずるいよ。
「…どうしてこー上手くいかないんだろうな」
突如、七緒が呟いた言葉に、今まで自分の世界に入っていた私はびくりと反応してしまった。
「な、何が?」
「心都と禄朗だよ。まだ会って2日なのに喧嘩ばっかりじゃん」
「あー…何ていうか、もう生まれながらの相性の問題でしょ」
「そんな他人事みたいに。間にいる俺は疲れるっつーの」
は、と眉を下げて七緒が笑う。私もつられて笑ってみた。
「あは。じゃ、ちょっと遅くなっちゃったけど、心都ちゃんのお料理教室始めますか」
「はい。…良かった、心都もう忘れてんじゃないかって思ってたんだ」
失礼な。私は約束を守る人間よ、一応。
自分の通学鞄に手を突っこみ、料理部からちょろっと失敬してきた材料を取り出す(まぁ、だって私も一部員だし、ちゃんと部費払ってるし……うん、いいだろ)。
「今日は、可愛らしいマネの定番☆レモンの砂糖漬けを作りまーす」
「可愛らしいはいらないけど」
私は七緒の訂正を無視し、レモンをまな板の上に乗せた。
「これを薄ーく輪切りにして砂糖をまぶすだけだよ。簡単でしょ。私も一緒に作るから、とりあえずレッツトライ☆」
「はーい…」
私たちは包丁を握り、レモンを切り始めた。包丁がレモンに入る、すとん、という小気味いい音だけが部屋に響く。
やっぱり私は、悲しい時に料理をするのが向いているのかもしれない。考えたくない事を全部忘れられる。
「それにしても、禄朗もすごい嘘つくよな…」
と、何ともいえない苦笑いの七緒。
「……私が…好きって?」
「うん」
七緒はいつでもまっすぐだ。本当に。
「そーだね。禄朗すごいよ」
私はレモンを切る手を休め、隣に立つ彼を見た。
「もしも嘘じゃなかったらどうするわけ?」
私はいつも通りの口調で聞いた。七緒にはきっとただの『もしも話』にしか聞こえないんだろう。
「…とりあえず、びっくり?」
「だね、びっくりだわ」
ちょっと笑って、私はまたレモンを切り始めた。さっきより少し速いスピードで。
とりあえずびっくり、その後は?私にどういう返事をくれるの?
そんな事、聞けるわけなかった。
だってこんなの、ただの『もしも話』だし。
――ざく。
「あ。」
痛みより先に、頭がひやりと冷たくなる感覚が走る。しまったぁぁと思った時にはもう、左手の人差し指から赤い血が流れていた。
「わ、どうしたんだよ大丈夫か?」
「大丈夫。…あぁワタクシとした事が」
七緒は部屋の隅に置いてある棚の引き出しから絆創膏と消毒液を出してくれた。
「とりあえず傷口洗って、洗ったら椅子に座ってて」
「…はい」
何しているんだろう、私。なんかもう、めちゃくちゃだ。
指を消毒した後、絆創膏を貼った。さすがに七緒に貼っていただくのは恥ずかしかったので、頑張って自分でやってみた。
「…大丈夫か?」
「うん。何かあんまり痛くないし、もう平気」
「や、傷だけじゃなくて」
七緒がじっと私を見た。こういう時、私は少し固まってしまう。
「心都、さっきから変だから」
「…はは。顔が?」
「顔以外も」
「……」
「ごめん嘘嘘、冗談」
七緒の優しさは、たまにちょっと痛い。
……言っちゃうか?
このまま半端な距離にぐちぐち悩むより、いっそ。
今この場で言って、結果はともかく――すっきりさせてしまおうか。
「…七緒」
「ん?」
七緒が見慣れすぎたきょとん顔で、こっちを向く。変わらない綺麗な瞳。
大好き。
大好きだよ。
「……だい…」
最初の2音を口にした後、私はハッと我に返った。
――何雰囲気に流されて告白しかけてんだ私!!!駄目じゃん!!
心の中で大絶叫。
しかし気付いた頃には手遅れで、七緒にはしっかり聞こえていたらしい。
「『だい』……何?」
「え、えっと…」
神様仏様女神様仙人様。誰でもいいから助けて!
「その、つまり…。だい…」
「…?」
「…………だい………………だい……大福食べたい」
「はぁ?」
七緒が眉をしかめる。
「いや、その…急に死ぬほど大福が食べたくなりまして」
「…お前大福嫌いじゃなかった?」
「…うん」
そう。いわゆる食わず嫌いというやつで、私は昔から大福が駄目だった。
「いや、もしかしておいしいかもしれないし…食べてみよーかなと…」
「へぇ。でも残念だけどあいにく今うちには大福ないんで」
「い、いえお構いなく」
あぁ、支離滅裂。私はまたやっちまったよ美里さん。これじゃあ人の家に来てお菓子をせびるただの厚かましいガキだ。
七緒と一緒にいるだけで、いつだって幸せな私なのに。
どうしてだろう。
やけにレモンが目にしみる。