13<観戦と、星空の下>
重く錆付いた体育館のドアを開くと、そこは12月とは思えないほどの熱気に満ちていた。
動き回る生徒、大きな掛け声、ボールが跳ねる音。
もし誰かがこの場をスケッチすれば、完成した絵には「青春」とか直球ど真ん中な題名が付きそう。つまりそれくらい、放課後の体育館の雰囲気は元気溌剌だったのだ。
今日は柔道部とバレー部が場所を半分ずつ分け練習しているようだ。その周りには、友達待ちか恋人待ちか、はたまた季節外れの入部希望なのか、練習風景を見学している人もちらほらいる。
そしてついさっき部活を終え、七緒の練習姿を拝むべく体育館へとやってきたこの私。
とりあえず入り口付近に立ったまま、左側で活動中の柔道部を眺める。どうやら今日は2人ずつ組んでの練習らしい。
いかにも柔道やってます、って感じのガタイのいい部員の中で、七緒の姿はすぐに発見できた。
「あ。」
…七緒、小さっ。
私とも大して変わらない身長や肩幅に、照明の光を受け茶色っぽく透ける髪。
使い古した柔道着さえ着ていなかったら、何の疑いもなく可愛らしい女子マネだと間違えられるだろう。
しかし、自分よりかなり大柄な練習相手に向かう七緒の表情は真剣そのもので。これから何かを打ち破ろうとする人間独特の、ピンと張り詰めた雰囲気を静かに発していた。真っすぐな瞳は、あの不思議な、人を動けなくする強い眼差しを持っている。
もちろん私がちゃっかり見学に入ってきた事なんかに気付く様子は少しもない。だけど今は、それに対して寂しいだとか虚しいだとかいう感情を抱く事は全くなかった。
むしろ、このまま。
この暑苦しい体育館の中、眩しいくらい好きな事に打ち込む七緒を、ずっと眺めていたい。
と、空気が微かに揺れた。
ほんの一瞬の出来事。
七緒の手が動き、相手の胴着をしっかり掴み、
「……!」
投げる―――そう思った時にはもう、相手の体が無駄なく動き七緒をかわしていた。
あまりの素早さに、私はもう頭がついていかず。
何が起きたのかわからないままただ息を止めて、戦う幼馴染みを見つめた。
その強い眼差しが。
相手を捕えようとする腕が。
私の心に焼き付いていく。
バタン、と聞くだけで痛そうな音をたて七緒が投げられた頃、私の思考はようやく追いついた。
「もう1本、お願いします!!」
七緒の迷いのない声が、体育館に響いた。
「お疲れ様です」
見慣れたジャージ姿で体育館から出てきた七緒が、少し驚いた顔で私を見る。
「わ。びっくりしたー…心都、来てたんだ」
「かれこれ1時間くらい前からね。さり気なく見学してた」
「へぇ。全然気が付かなかった」
呟く七緒の横顔は、もういつもの美少女フェイスに戻っていた。たださっきまでの柔道少年の名残として、左目の下に小さな掠り傷があるだけだ。
「悪りぃなそんなに待たして。じゃ、行きますか」
そう言って七緒は、すっかり日が落ちた冬の校庭を歩きだした。
「結構、ううん、かなり楽しかったよ。私は」
だって、久々に七緒の柔道姿を見られたんだしね。
「そうかぁ?つか1時間前って事は、俺が見事に投げられたとこも見たんだ」
「うん」
はは、と少し困ったような顔で笑う七緒。
「俺、昨日強くなるって言ったばっかなんだけどな。かっこ悪り…」
「――かっこよかったよ?」
校門をくぐるのとほぼ同時に、私は言った。
少し恥ずかしいので俯きかげんだったけれど、とにかく、ちゃんと隣に聞こえるように。
お世辞ではなく。
慰めでもなく。
「ほんと。かっこよかった」
真剣に相手に向かう七緒。
投げられても投げられても諦めずに起き上がる七緒。
まっすぐな七緒。
全部、心からかっこいいと思ったんだ。
「――……」
あまりの反応のなさに不安になった私は、恐る恐る隣の彼の表情を見遣った。
「……」
「……あのさ。せっかく人がかっこいいって言ってんだから、もう少ーしいい感じの顔してよ」
眉毛は八の字、普段の三割り増し真ん丸い目で口をぱかーんと開けた七緒は、半信半疑な様子で言った。
「…や、何か心都にそうやってちゃんと誉められたの初めてな気ィしたから…びっくりした」
「別に初めてじゃないでしょ。私、今日の朝もちゃんと言ったじゃん。『カッコヨカッタネ七緒☆』って」
「あれは明らかに馬鹿にしてる感溢れる棒読みだったろ」
七緒は、うっすらと星が輝き始めた空を見上げ、
「……そうだな。そう言ってもらえりゃ、あんだけ派手に投げられた甲斐があったかな」
ぽつりと呟く。
「それはよかった」
と、私も短く返した。
普段は美少女顔の七緒。だけど昔から、柔道をする時だけは私の目に誰よりもかっこよく見えるよ。七緒はずっと七緒で、やっぱり「かっこいい」んだよ。
そう言いたかったけど、私は私でやっぱり昔から、この微妙な恥ずかしさに耐えきれない人間で。
「…ふへっ」
「何だよ笑うな!しかもふへって」
どういうわけかつい噴き出してしまい、雰囲気はぶち壊し。その自分のアホさ加減を少し悔やみ。
そして。
やっぱり私はそんな七緒が大好きなんだ。そうあらためて実感した。