9<激突と、君の名は。>
「ナメてんのかテメェ!!」
その聞き覚えありまくりな怒鳴り声は、少し先の階段付近から聞こえてくるようだった。
恐る恐る覗いてみる。
「おいコラ、さっきからふざけた事ばっか抜かしてんなよ!!」
「そっちこそ何度言わせる気だ進藤!他学年の教室にはきちんとした用がある場合のみきちんとした格好で行く、これが学校でのルールだろう!」
「なんでテメェに指図されなきゃなんねぇんだよっ」
案の定、教師と激しい言い争いを展開中の進藤禄朗だった。
「2年にちゃんとした用事があるって言ってんだろ!!本っ当にうぜぇなテメェはよ!!」
禄朗が今にも掴み掛かりそうな勢いで怒鳴りたてる。とてもじゃないけど昨日男にフラれて泣いていた少年と同一人物とは信じ難い。
「うぜぇとは何だ!全く、どうしてお前はいつもいつも…」
一方相手の方は、鬼の理科教師橋本。銀縁眼鏡の奥で神経質そうに動く目が、バスケ部顧問というボジションには恐ろしく似つかわしくない。
そしてそのバスケ部員の田辺曰く、『進藤の担任で最近よく衝突してる』らしい。確かに今少し見ても、仲良しで信頼関係バッチリな先生と教え子には明らかに見えない。
周りの生徒たちはその2人の横を避けて通り、見て見ぬフリを決め込んでいる。
まぁ当然といえば当然だろう。あんな凶暴で短気で薔薇とか咲かせちゃう危ない1年生、私だって出来れば関わりたくはない(色んな意味で)。
が、しかし。
「だからっ2年2組に用があるんだよ!先公の説教聞いてる暇なんかねぇっつってんだろ!!」
「なんだその言葉遣いは!それが先生に対する態度か!」
彼がこんな所で喚いている理由と目的。それに薄々感づき始めている今、私は何となく動く事ができない。
「…っオレ、どうしても会いてぇんだよ!」
……うぉ。禄朗、信じられないくらいに切なげな表情。少女漫画ならふわふわと点描が漂うところだ。
そう。彼は今、大好きな人に会うためここにいるのだ。
が、橋本の一喝がそんな甘酸っぱいムードを打ち壊した。
「どうせ大した用事じゃないんだろう!!ぐだぐだ言わずにさっさと自分の教室へ戻れ!」
――ぶち。
「……」
今、なんだかとても不吉な音が。
そしてその後の禄朗の行動はまさに予想通りだった。
「……っざけんな!!」
禄朗のグーが、空を切り高く振り上げられる。
もちろん、昨日彼を止めた七緒は今ここにいない。
間違いなく、限りなく、この上なく、危険だ。
「のをっ!!ススストップ禄朗!」
突如間の抜けた大声を発した私を、禄朗が見遣る。その拳は、青ざめた橋本の顔面の一歩手前で止まっていた。
「誰あんた」
禄朗が苛立たしげに訊ねる。昨日会ったっていうのに。私、どうやらすっかり忘れ去られているらしい。
禄朗も橋本も、明らかに「なんだコイツ」的な目で私を見ている。
――さて。…どうしよう。
昨日の今日で、ついしゃしゃり出てしまったけれど。咄嗟に動いた事があだとなって、これから何をすればいいんだか全く思いつかない。
「えーと…」
とりあえず口を開いてみる。
「あの、先生。私、彼が何の用事でここにいるか知ってます。……あっ。っていうかー彼、私に会いにきてくれたんですよ、うん!」
「はぁ?」
禄朗と橋本が同時に聞き返した。
「私と禄朗クン、学年の壁を越えてすごい仲良しなんです!今も私に会うために朝っぱらから2年の階まで来てくれたんですよ。こんな大騒ぎになってすみませんでした。もう禄朗クンってば相変わらず短気なんだから、デモソコガ素敵ナンダケドネウフフ」
しまった、最後の方が嘘モロバレな棒読み。っていうか鳥肌立ってきたぞ本当に。
引きつった表情で何か言おうと口を開いた禄朗を封じるため、私は早口で続けた。
「あの、だからもういいですよね先生、ハイ!――失礼しました!」
ビバ自己完結。
呆然とする橋本を残し。
まだ何か言いたげな禄朗の襟を掴み(手を掴もうとしたら死ぬほど嫌な顔されたので)。
私は落ち着いた空間を求め、ひどかった髪を更に振り乱し、一目散に走りだした。
「ちょっ、おいテメ…っマジなんなんだよ!離せ!」
辿り着いたのは、ここ1階の被服室前。あまり使われる事がないので静かに語るには丁度いい場所だ。
私が手を離すと、禄朗は首元を擦りながら吠えた。
「何すんだよいきなり!!」
至近距離で、しかも1対1で聞くこの怒鳴り声は耳にキンキン響き、全力疾走後の体にはキツいもんがある。
私はゼェゼェと乱れる呼吸を整えながら言う。
「あ、あのねっとりあえず殴っちゃいけないから!」
「は?」
「ねぇ、七緒に会いにきたんでしょ?自分の事が原因で先生殴ったって知ったら、七緒が喜ぶわけないでしょーが!」
七緒の名前を出すと、禄朗はこっちがびっくりするくらい反応した。
「おい、七緒先輩と知り合いなのか!?」
その目はきらきらと輝いている。
「一応同じクラスで…っていうか私も昨日あの場にいたんだけど。覚えてないんだ」
「オレの目には七緒先輩しか入ってこねぇ。はっきり言ってお前はアウトオブ眼中」
と、きっぱり言い切る禄朗。
……おい。何か…今のは少ーしイラッときたぞ――、っと。
「ちょっと…お前って何、お前って。昨日は敬語使ってたくせに!あの時七緒の学年・組・名前教えてあげたのも私なのに!」
ついガキっぽさ丸出しな喧嘩口調になる。
「あぁ、そういやいたな。あの時のダサい女か」
「…ダ……っ!?」
ださいおんなださいおんなださいおんな………その言葉が頭の中でぐるぐると回る。
「ちょちょちょっとっ!!失礼にもほどがあるだろが!」
「うっせぇなぁーボサボサ頭」
「………!」
うっわ―――ぁ……。
なんだこいつ……今、人が1番悩んでいる事を言っちゃったよ……?
白目気味で震える私に対して、禄朗は何事もなかったかのように会話を続ける。
「なぁっおい、お前七緒先輩と知り合いなんだったら会わせてくれよ!今どこにいるんだ?教室か?なぁなぁなぁ!」
…マジでブチ切れる5秒前。
「おいボサボサ!!聞いてんのかよ!?」
――ぶち。と、ついさっきと同じ音が聞こえた気がした。
ただし、今度はもっと近い所――自分のこめかみ辺りから。
「うっっさ―――い!!黙れろくろー!!」
「おい平仮名で呼ぶな!!このボサボサが!」
「平仮名で十分だろ!つかボサボサとかゆーな!!私には杉崎心都って立派な名前があんの!」
「ボサボサをボサボサって呼んで何がいけねぇんだよ!!どうでもいいから早く七緒先輩に会わせろ!」
「なんっで私があんたたちの仲人しなきゃいけないわけ!?死んでも嫌だっつーの!!」
「んだよ性格悪りぃな!!」
「いやあんたにだけは言われたくないから!!」
「…何してんの?」
と、デッドヒートの最中、場違いすぎるのん気な声をあげたのは。
「な、ななななななお!」
「七多すぎだから驚きすぎだから」
顔に似合わず意外と鋭い突っ込みを繰り出す、「争いの根源」こと東七緒だった。