7<消えゆくモノと、少しの本音>
「うわエロ息子の料理ひどいなー」
「だからその呼び方やめろって」
「あら、学ぼうとする心意気が立派よ〜。心都、お婿さんにするならこういう人よ?」
「ママンそこで私に振らないで☆」
現在7時30分。ここ杉崎家のリビングで、私たち4人は食卓を囲んでいた。
「どうせお料理教室するんだったら今日のお夕飯は2人でお願いね」とお母さんに半ば無理矢理包丁を握らされた(危ない)のが約1時間前。
それから七緒と何とか作った『肉じゃがと言えば肉じゃがに見えなくもないモノ』が本日のメインディッシュだ。
「…作ってもらっといてあれだけどさ。何かこれ本当ビミョー……」
『肉じゃがと言えば(以下略)』を一口食べた明美さんがぼそりと言う。それを聞いた七緒はフッと偉そうに鼻を鳴らした。
「今回の失敗は俺だけの責任じゃねーもん」
「何それ私のせいとか言っちゃうわけ?」
「確かにじゃがいも煮過ぎて溶かしたのは俺だよ。でもその前に何かわけわかんねーけどしらたきをめっちゃくちゃに切り刻んだのは心都だからな?」
「そっ、それは――…」
それは人参を切る私の手を見た七緒がおぉさすがは一応料理部員じゃーんとか言いながら寄って来て可愛い顔近付けるせいで(再び・危ない)馬鹿みたいにドッキドキして側にあったしらたきまでぶった切っちゃったから、だっつーの。
……とは言えない。
「今回は責任半々だな」
「くっ…」
反論できねぇ(あら嫌だまた言葉遣いが)。火花を散らす私たちの傍で、呑気な母親組は「仲が良いわねぇ」と顔を見合わせ笑っている。っていうかいつの間にビール開けたんですかお二人さん。
「ふふっ、もういっそ冗談抜きでお婿さんになってもらいなさいよ〜」
大分酔いが回った(本当にいつから飲んでいたんだろう)お母さんがにこにこしながら言う。
「そーだなぁ、そしたら心都もつまんない嫁姑問題で悩まなくてすむな。あたしが可愛がったげるから」
素敵な笑顔で親指をぐっと立てる明美さんも、明らかに面白がっている。
「…そりゃどーもです」
私は妙に落ち着いていた。親に好きな人との仲をからかわれているというのに、もうさっきのしらたきの時みたいには動揺したりしない。
なぜなら。
「人の将来勝手に決めんなー」
隣でゆるい反論をしている「好きな人」こそがこの状況の中1番動じていないからだ。つまり、七緒は私と冷やかしを受けたくらいでは動揺したりドキドキしたり、あまつさえ可愛らしく恥ずかしがったりはしないわけで。毎度の事ながらそれは奴が私をそういう対象として全く意識していない現実を意味する。
だったら私だけわたわた慌てるのなんて馬鹿らしいじゃないスか、ってなもんで。
想い人・東七緒君の鈍感加減のせいで10代の少女としての初々しさというか恥じらいをちょっぴり失いつつある私なのであった。
「あっ、そうだわ聞いてよ明美〜。この娘ったら今年はクリスマスパーティ参加しないから私たち2人だけでやれって言うのよ〜」
お母さんが私の頭の上にポンッと手を置く。
「マジ?」
「あー、うん。ほら今年は七緒も部活で来られないし、久しぶりにマブダチ水入らずでどうかなって」
「男か」
キラリと目を光らせ明美さんが言った。
「はい?お、おと…?」
「心都にもついにクリスマスイヴを一緒に過ごすような男ができたんだね!?あの、3年前のパーティでワインをジュースと間違えてがぶ飲みした挙げ句べろんべろんに酔って『今すぐ新しい顔を焼くヨ』って延々とジャ●おじさんの物真似してた心都にも!」
「ぎゃあぁ明美さんそんな昔のエピソードいらないからっていうか男じゃないからっ」
ちなみに。私は全く記憶にないけど、結構似ていたらしいです。ジャ●おじさん。
「ふぅん、お節介おばさんな心都にもやっと青春時代が来たかと思ったのに」
と、けろりと宣うのはもちろん七緒。
「男じゃなくて悪かったね。美里とか田辺君と楽しくパーティの予定なんですぅー」
「あらそれじゃあやっぱり今年は2人きりでやろうかしら」
「まぁたまにはいいかもな。またあの若かりし頃に戻った気持ちで。ぱーっとハメ外そうゼ☆」
「そうね、ぱーっと!」
外さないでください39歳。という私と七緒の突っ込みが届く事はなく、意外と酒豪な母2人はまた新しいビールを開け始めた。
「――で。結局こうなるんだよな」
「…うん」
私と七緒はげんなりと呟いた。目の前には、床に転がりぐぅぐぅいびきをかくお母さんと明美さん。
「ねぇ起きてよ、もう9時だよ!」
呼び掛けも効果なし。ただ明美さんが「このエロ息子…ついに教師にまで手ェ出しやがって」と寝惚けた声をむにゃむにゃあげただけだった。
「この酔っ払い…っ」
七緒は堪え難そうに拳をぶるぶるさせたけれど、私は明美さんが見ている夢の内容を想像してしまい笑いを封じ込めるのに必死だった。
「しゃーない…俺1人で帰るわ。明日朝練で早いし」
「明美さんどうするの?」
「目ェ覚めたら勝手に帰んだろ。悪いけどそれまでここに置いといてやってくんない」
「うん、それは構わないんだけど」
私は眠りこける2人に布団を掛けながら、窓の外を見た。
「外暗いけど平気ー?」
「は?」
「最近かわいい女の子狙った変質者が多いからね。そこまで送ってこーか」
「それは嫌味ですか」
「まっさかー」
だって、フリルのエプロンが最高に似合っちゃう七ちゃんだし。いくら5分足らずの道だろうと、こんな暗い中を1人で歩かせたら、お節介おばさんは気が気じゃないわよ。
…いや。本当はそれだけじゃないんだけど。
「僕は女じゃありません。あぁ何かこんなような台詞前にも言った気がするーこれがデジャヴってやつか」
「それは多分今日あなたが禄朗に何回も訴えた言葉だから。……じゃ、せめてドアまで見送ってやろうかなー」
そりゃあね。
いくら恥じらいを失おうと、女の子として見られていなかろうと、好きなんだから。
やっぱり少しでも長く一緒にいたい、とか思ってしまっているわけですよ。
素直に直接そう言えないのが、なんとも切ないけれど。
「じゃあね、七緒。また明日」
靴を履く七緒の背中に向かって手を振る。
「じゃーなー。お邪魔しました」
律儀な挨拶の後ドアを開け杉崎家を出て行く、寒そうなジャージの後ろ姿。
「あ」
それが突然ぴたりと止まり、振り返った。
「あのさー」
七緒はドアから入ってくる冬の空気に両手を擦り合わせながら言った。
「うぬぼれだったらゴメンナサイ」
「何」
「今日美術の時間に俺の24日の予定聞いたの、あれってもしかして田辺たちのパーティに誘ってくれるつもりだったりした?」
「あー…うん」
私はワンテンポ遅れて頷いた。なぜなら七緒がいつもより真剣だったからだ。
「そっか。…いや、何かずっと気になって考えてたんだ」
こんな事ずっと考えるなんてあんたどれだけ暇なんだ。とは思わなかった。
むしろ、少し嬉しくて、少し泣きそうで。
だから私も、いつもより素直に言えたのかもしれない。
「――今年で最後かもしれないじゃない。その…一緒に、クリスマスだーとか騒げるの。美里に言われて気付いたんだけど、来年からは受験とか色々あるし」
「…あぁ」
「で、だから、その…一緒に過ごせたらいいなーとか…思った」
間違っても可愛気のある口調ではなかったけど、これが精一杯、今言える気持ちだった。
傍にいるのが当たり前で。
それはこれからも変わらないと、思った。思いたかった。
だけどやっぱり、幼馴染みには限界があるんだ。
私はずっと一緒にいたいよ。
隣で君に、笑っていてほしいよ。
七緒は私の言葉をきちんと聞いてくれて。
そして言った。
「……部活、燃えててさ。終わるの7時くらいなんだよ」
「……うん」
「だから参加するの結構遅くなっちゃうけど。…それでもいい?」
一瞬、思考が――というか私の全てが停止した。
「き、来てくれるの…?」
「汗くさかったら悪いけど」
申し訳なさそうに笑う七緒の顔を、まともに見られなかった。
失いつつあると思った私の恥じらい。
どうやらまだ残っていたようだ。