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9<雨の日と、本音>

 美里の言う通り、午後の授業が終わる頃には雨になった。

 ロッカーに折り畳みの傘を置いていて良かった。今朝は天気予報をチェックせずに家を出てきたから、まさか必要になるなんて思いもしなかった。

 七緒も置き傘があったようで、2人揃って傘を開いて、学校を出る。


 冬の雨の中、七緒と並んで歩く帰路は、なんだかいつもの道とは少し違うように思えた。

 お互い傘をさしているせいで、微妙な距離があく。

「七緒、最近受験勉強の調子はどう?」

「んー、ぼちぼち。お前は?」

「私も。でもあと一ヶ月後には入試だもんね。灰色の受験生ライフもいよいよ終わりかー」

「灰色ねぇ」

 七緒がちょっと口の端を上げて反芻する。お前なんだかんだこの1年間結構遊んでたじゃねぇか、というような顔だ。何よ、文句あんの? 確かに遊んだり無駄なことしたりもあったかもしれないけど、その分勉強だって頑張ってきたっての。

 私もそんな意志を込めて軽く睨んでやったら、あますことなく伝わったようで、目を逸らされた。


 受験が終わり、卒業して高校に上がる。それはつまり、15年間近くにいた七緒と離れ離れになってしまうということ。

 その事実がわかっているから、私はこの「灰色の受験生ライフ」が終わることを喜んでいいのか、いまだによくわからない。

「まぁでも、早く終わらせたいよな」

 七緒が言う。

 私はすぐに頷けなくて、ちらりと隣に視線を遣る。青色の傘から覗く七緒の目は真っ直ぐに前を向いていた。

 あぁ、彼はもう、自分の輝かしい未来をちゃんと見据えているんだなぁ。

「……うん。ほんとにね」

 私もこくりと頷く。

 そこにきちんと気持ちが伴っていたかどうかは、正直、自信がない。


 それから数分間、私たちは無言だった。別に話題がなかったとか、急に険悪な雰囲気になってしまったとか、そういうわけではない。

 隣の七緒が、何かを切り出すタイミングを見計らっているのを、私は思いっきり感じていた。そもそも「話したいことがある」と今日の一緒の下校を誘ってきたのは彼の方なのだ。それなのに、七緒はなかなか本題に入らなかった。

 彼がこんなに慎重に、そして躊躇しながら、自分の言葉を胸に閉じ込めておくのってすごく珍しい。いつも割とストレートに自分の思っていることを言うタイプなのに。

 私はここで「結局話って何なの?」と言うことも簡単だったけど、それはしたくなかった。七緒が私のことでこんなに頭をぐるぐるさせて、何やら気遣っている。その気持ちを強引に片付けてしまいたくない。

 それに、怖くもあった。ここまで来るともう先程美里の言っていた『てめーめんどくせぇんだよ別れてくれ』説が真実味を帯びて胸に迫って来たからだ。

 もし本当にそれだったらどうしよう。私は平常心で聞けるのだろうか……。


 ぶるりと背筋を震わせたその時、私の足元に黒い何かが躍り出た。

「うおぁぁぁ!」

 驚いて、思わず七緒の肩にしがみつく。

 私たちの前を通過した黒いかたまりは、そのまま猛スピードで通りを横切り、住宅街の方へと消えていった。

「猫だ」

 それを目で追いながら、七緒が言った。

 拍子抜けする。

「え、なぁんだ……。てっきり悪い妖怪かと」

「なんだよそれ。ただのずぶ濡れの黒猫だよ」

「ずぶ濡れ……。かわいそうに。雨宿りできるのかな?」

「首輪してたから、家に帰るんじゃねぇの」

「あぁ、そう……」

 そこまで言って私は、自分がいまだ七緒の肩口にしがみついたままの状態であることに気付いた。

「ごめん」

 ぱっ、と反射的に両手を上げる。満員電車で痴漢の冤罪をかけられそうになった男性が咄嗟に『触ってません』とやるポーズみたいだ、と我ながら思った。いや、触ってますけどね思いっきり。

 七緒は特に動じる様子もなく、飄々としていた。

 私は、驚いた拍子に地面に放り投げてしまった自分の傘を拾った。

 そういえば私が急に思いっきりしがみついた瞬間、七緒は全然よろけたりしなかったな。昔々、小さい頃に膝をすりむいた私に肩を貸してくれたときは、もうフラフラのよろよろ、息も絶え絶えと言う感じで、最終的には2人して転んで大号泣だったのに。

 素直に感心した。

 そのことを本人に伝えようか否か迷って、顔を上げてみると、七緒は一瞬視線を逸らした。

 そして躊躇うような間の後、きちんと目を合わせて口を開く。

「あのさ……心都」

「うん」

「こないだの話なんだけど」

 ついに今日の本題が来たようだった。

「うん」

「心都、びっくりしたよな。大勢のマッチョに囲まれてさ。あんな状態だとは思ってなかっただろ? ……悪かったよ」

 これには驚いた。七緒は私のもやもやの原因を一応わかっているらしい。鈍感王の彼にしてはとんでもない進歩だった。

 感動すら覚える。

 それと同時に、胸がすぅっと軽くなっていく。

 七緒、なんだかんだ言って私のことよく見てくれている。気持ちをわかってくれているんだ。私のこと、ちゃんと「彼女」として大切に考えてくれているのかな……ねぇ、そう思っちゃっても、良いよね?

 単純なもので、ついさっきまで強張っていた心が急速にゆるむ。顔がだらしなくにやける。

「ううん、私が勝手に2人きりだと思い込んじゃってただけだし……。ていうか、ごめん、私ってば浮かれちゃってたのかも。その……つ、付き合って初めて2人で休日に会えるんだーとかって。ちょっと舞い上がって思い込みも暴走気味になってた。これからはちゃんと人の話は最後までおとなしく聞くようにするよ」

 幼稚園児のような目標を私が発表し終えると、七緒は困った顔になった。

「いや……そうじゃなくて」

「え?」

 七緒は少しの逡巡の後、意を決したように口を開いた。

「……本当は、違うんだ。最初、心都を誘った時は、柔道部の奴らは来る予定なんてなかった」

「ん?」

 彼の言わんとすることがよくわからない。じゃあなんであの日あの部屋にはあんなにマッチョが勢ぞろいしていたの? 魔法のように降って湧いたわけ? マッチョが?

「俺がさ、前日に急きょ誘ったんだ」

 七緒が低い声で言う。

 ……えぇと。それって、つまり。


「七緒。私と2人きりが、嫌だったの?」


 思ったよりも冷静な口調になった。



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