7<欲求と、胸の痛み>
「え……? じゃあ昨日は結局そのまま柔道部のマッチョ軍団と一緒に勉強したの……?」
昼休みの教室。例の如く向かい合って美里に近況報告をする私。
つい先日と同じ光景だ。ただ前回と違うのは、美里の顔がありえないほどドン引き状態ってことだ。
そして私も。
「…………うん……。でもみんな頭良くてさぁ……数学でちょっと不安だったところとかばっちり理解させてもらえて、すごぉく実りある一日だったヨ……。もう、感謝感激雨嵐……」
前回とは比べ物にならない暗いトーンでぼそぼそと話す。
美里は溜息をつくと、呆れたように私を見た。
「何それー。じゃあ最初から七緒君はお家デートのつもりなんか全くなくて、元々あった柔道部の勉強会に心都を誘っただけってわけ? デートって浮かれてたのは心都の勘違い?」
美里の無駄のない簡潔なまとめは、私の心を深くえぐった。
そう。全ては私の勘違いと勝手な舞い上がり。
七緒の話をきちんと聞かずに2人きりでの勉強会だと思い込み、勝手にドギマギして、真実を知って拍子抜けして。なんともお粗末な顛末だ。きっとそれ以上でも以下でもない。
だから私はこれを教訓に、「次から気を付けマッスル! 人の話は最後まで聞きマッスル!」と気持ちを切り替えればいいんじゃないかと思うんだけど。
一日たった今でも、それが出来ない。どうしてこんなに悲しい気持ちなんだろう。
その原拠が自分でもいまいちわからなくて、それがまたもやもやに拍車をかけていた。
美里はその綺麗な瞳で私をじっと見つめ、慎重に口を開く。
「……確かにいつものパターンで話をちゃんと聞かないで早とちりした心都も悪い。でも今回は七緒君にも非がないわけじゃないと思う」
その言葉にハッとする。体の中心部に電流が走ったような感覚。
「……なんで?」
私も負けじと慎重に問う。
興奮するのはまだ早い。今こそ、人の話は最後まで聞かなきゃ。
「だって普通、付き合いたてのこんな時期に誘われたら一瞬でも期待しちゃうでしょ。しかもその時の話の流れ的に、受験後のデートの話題からの勉強のお誘いだったなら、そこは柔道部と合同じゃなくて、心都とはまた別日に約束するべきだったんじゃないかしら」
心強い味方を得た気がして、私は震えた。震えながら笑みがこぼれた。胸が熱を持ったように熱い。
「だ、だよね? やっぱり……美里もそう思う?」
「うん、思う思う。しかもその場で心都を部活仲間たちに『彼女』って紹介するならまだわかるけど、それも特になかったんでしょ?」
「そ……そう! そうそうっ……!」
美里の言葉に、自分の心の中で何かの部品がかちりとハマった気がした。
そうだ。よくよく考えれば私は今回、それが一番ショックだったんだ。
七緒は私を特に「自分の彼女」として紹介したりせず、完全に幼馴染みとして接していた。
確かに私はみんなと初対面ではなく、顔見知りの同級生ではあったので、わざわざ自己紹介なんて流れにもならなかったけど。
──でも、なんかちょっと……一言くらいあったって良かったんじゃない?
たとえばマッチョA君が「杉崎は東んちの近所で幼馴染みなんだよな」と言ったあの時や、マッチョB君が「いいなぁ、俺も女子の幼馴染みが欲しかったなぁ」と言ったあの時に。
自分の中で昨日から渦巻いていたもやもやの理由がようやくわかって、私は呻いた。
「おおぉ……」
「大丈夫? なんか指先とかすごい震えてるけど」
「だいじょうぶ……」
私は歯を食いしばり、両手で顔を覆った。こうでもしないと言語化された様々な遣り切れなさが口から大音量で飛び出てしまいそうだった。
「付き合いたての彼氏にそんなん誘われたら普通2人きりって思うじゃん……まさか部屋いっぱいにゴリゴリ筋肉衆がお出迎えだなんて思わないじゃん……私あの光景は多分一生忘れない……」
「うんうん」
「私、何着てくか死ぬほど悩んだり唇てっかてかになるまでリップ塗りたくったり、本当に馬鹿みたい……ピエロだよピエロ……」
美里が優しく私の背中をさする。
「あの野郎、こっちの乙女心も知らずに、昨日も今朝もずっといつもののんき面でほんと腹立つったらありゃしない……。あぁ美里、受験終わったら私の家で夜通し七緒の悪口大会しない?」
「それは遠慮しとくわ……。ねぇ心都、なんか急にすごい攻めの姿勢に転じてるけど、元はと言えば心都の先走りが今回の大部分の原因って忘れちゃダメよ?」
「そ、それは重々承知してますけども!」
ぐっと唇を噛み締める。
もちろんそれは大前提。今回のことは私がかなり悪い。
それを踏まえた上で、こんなにも七緒に頭突きをかましたい衝動に駆られてしまうのだから──やっぱり私って相当性格が悪いのかもしれない。
「ところで当のご本人の七緒君は? 今日何か喋った?」
「いや、まだ何も……。朝も特に接するタイミングなかったし」
先程から教室内に七緒の姿はなかった。
別に今すぐ首根っこ掴んで何か言ってやろうってわけじゃないけど、それでももどかしさが募る。
ふと目を伏せれば蘇るのは、昨日の彼の顔。
いつも通りの様子で私を玄関で出迎えてくれた。柔道部の仲間とも私とも、同じように楽し気に話していた。別れ際も、いつものように「おう、また明日」とあっさり片手を上げた。
ひとつずつ思い返すたび、どうして。
どうしてこんなに胸が痛いんだろう。
「ねぇ、美里……」
「うん?」
「私って可愛くないよね……」
私は自分でも気付かないうちに、期待していたんだ。
休日に2人きりで過ごして、七緒が私をちゃんと彼女として見てくれて。
それでやっと七緒と「恋人」になれる気がしたの。
「心都……どうしたの?」
「いや、私こないだ美里に言われた時はカマトトぶった反応しちゃったけど、実は結構七緒とキスとかしたかったのかも」
「……」
「はは、とんだどスケベ女っすわ……」
「心都……その言い方マジでやめて」
私はずっと、七緒と両思いになりたかった。大好きだって伝えたかった。
それがこの間ようやく叶ったのに、すぐにまた次の欲求が表れてしまうなんて──本当にバチ当たりだよね。