6<お出迎えと、力自慢コンテスト>
がちゃり、と施錠が内側から外される音がして、玄関が開く。
私はごくんと唾を飲み込んだ。
どうして。
小さな頃から通い慣れた東家なのに、どうしてこんなに緊張するの。
そしてもっと見慣れた七緒が姿を現した瞬間、私の心臓はとんでもないことになった。
どくん、なんて可愛らしいもんじゃない。
どどどどどどど、と狂った鐘のように連打されて、その威力は「私、死ぬのかな?」と真剣に覚悟を固めさせた。
そんなこちらサイドの動揺は何処吹く風、七緒が普段通りの表情で軽く右手を上げた。
「おっす。遅かったな」
その何気ない仕草でさえ眩しくて眩しくて。
私は目をぎゅっと細めながら、どうにか同じように挨拶を返す。
「……おっす」
私は今、自然にやれただろうか。
もしかしたら普段よりも少し声が高かったかもしれない。目が泳いでいたかもしれない。あげた手の先が震えていたかもしれない。
そんな心配が次々と胸をかすめていく。
そして七緒はやっぱり悔しいくらいにいつも通りの口調で、言った。
「もうみんな来て先に始めてるぞ」
一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。
「……え?『みんな』?」
「え?」
と、七緒。
「え?」
と、私。
七緒の部屋に入ると、そこはまるで力自慢コンテストの控室のようだった。
衣服の上からでもわかる、盛り上がった上腕二頭筋、大胸筋、大腿四頭筋、いかつい顔面、野太い声……。そんな猛者達が6、7人、決して広くはない部屋に大集結していた。
よくよく見なくてもわかる。みんな同級生の柔道部員(いや、引退後だから元部員か?)──つまり七緒の部活仲間だ。
そんな巨漢たちが部屋の中央のテーブルに勉強道具を広げ、窮屈そうに肩を寄せ合っていた。
彼らは入室してきた私に視線を向けると、一斉に口を開く。
「あ、2組の杉崎じゃん」
「ういーっす」
「なんで杉崎がここに?」
「東んちの近所で幼馴染みなんだって、お前知らねぇの?」
「あぁ、そういや何度かうちの試合見に来てたりしてたもんな」
「いいなぁ、俺も女子の幼馴染みが欲しかったなぁ」
「バーカお前、そんなのがいたところでお前の顔面じゃ試合に応援に来てくれねぇしその後にも発展しないっつーの」
ぎゃははは……野太い笑い声が部屋いっぱいに響き渡る。
私はその間ずっと状況を把握できず、ただ雰囲気に流されるがままに「は、はは……?」と曖昧な笑みを浮かべた。
マジで何これ。頭がついていかない。
私って力自慢コンテストに応募したっけ? 予選って筆記だったっけ? そしてその会場って七緒の家だったっけ?
「心都、座る場所あるか?」
七緒が辺りを見回し、「お前らガタイ良いんだから足伸ばしてねぇでちょっと詰めてやれよ」と呆れた様子で言う。
私はそんな七緒の袖を引き、部屋の隅まで連れて行った。
「……? 何」
と、見慣れたきょとん顔の七緒。
いやいや。今回ばかりはこっちがきょとんだわ。
「あ、あのぉ、今日は一体どういった催し物で……?」
震える声で尋ねると、七緒はますます不思議そうに目を眇めた。
「何言ってんだお前。ちゃんと説明してあったじゃん。今日は大人数だって」
「説明? い、いつ……?」
「えーと、あれは……俺が『うちで勉強でもする?』って聞いて、お前が『するするする!』ってでかい声で返事した後かな。『よし、ちょうど今度柔道部の奴らと家で勉強会するから、心都も参加だな』って」
ぽかんと開けた私の口から、声なき声が漏れる。
嘘でしょ? そんなの聞いてないよ? と一蹴できないのがツライ。だってあの時、私は七緒に誘われた喜びで完全興奮状態、胸はドキドキ、拳を突き上げてガッツポーズまでして。その後の言葉なんて多分聞こえていなかった。
なんだろう。このやり場のない思いは。
「め、眩暈が……」
くらくらと壁に手をつくと、七緒がぎょっとした顔になる。
「体調悪いのか?」
「いや……いつも美里とお勉強会する時はお紅茶飲みながら苺のタルトとかレモンのチーズケーキをお供に、薔薇の香りがするお部屋できゃっきゃうふふとやってるもんだから、こういう雰囲気に慣れてなくて……」
「え……それマジで言ってんの?」
「……ごめん、ちょっと嘘」
美里と勉強する時、別に必ずしもケーキがおやつなわけではなく、普通にポテチとかアイスとかも食べる。麦茶も飲む。でも美里の部屋が薔薇の香りっていうのは本当。
私は呆然とその場に立ち尽くす。
部屋の中央では、柔道男子の面々がわいわい言いながら私の為に少々空間を詰めて席を空けてくれている真っ最中だ。
そして私が体調不良ではないことを確認し終えた七緒は、少し安心したように言った。
「柔道部の奴らって、見かけによらず結構みんな勉強できるんだ。特に心都の苦手な数学が得意な奴が多いから、きっと今日は不安な単元をたくさん聞けると思う。まぁ、ちょっとむさ苦しさは否めないと思うけどさ、そこは我慢してくれってことで」
その口調は屈託なくて優しくて、彼が私の為を思ってこの場に呼んでくれたことは明らかだった。
だから私は確信する。
今回のことは、私が悪い。
私が七緒の言葉をろくに聞きもせず勝手に2人きりだと思い込んで、ひとり動揺していたのだ。
七緒は何も悪くない。
この大人数の勉強会だって素敵な機会だ。
──それなのに。
「あ、ありがとう……」
お礼を言う自分の声が、暗くてか細い、まるで幽霊のようで。
七緒のいつも通り過ぎる表情を見るたび私の中の何かがへなへなと抜けていって、膝から崩れ落ちそうになってしまうのは、なぜだろう。