5<囁きと、混乱>
「えーっ!お部屋デート?もうそんな段階?」
美里が素っ頓狂な声を上げたものだから、私は慌ててその可愛らしいピンクの唇を両手でふさいだ。
「美里、声大きい……!」
何しろここは昼休みの教室。七緒はもちろん、大勢のクラスメイト達がいる。
これは私にとってあまり拡散OKな類の話ではなかった。
だって、晴れて恋人同士になってから初めてのデート──と胸を張って呼べるのかどうかはちょっと微妙なイベントではあるけど──だ。死ぬほど嬉しいけど、第三者に知られてしまうのはやっぱりちょっと照れくさい(そしてその後の七緒の反応も怖い)。
「んん。だって心都、ついこの間ようやく付き合い始めたと思ったのに、何よその進展の早さ……」
私の手を口元から引き剥がして、美里が反論する。
「ちょっと詳しく聞かせなさいよ。いつ?何時に?何の名目で?」
その目は鋭い光を煌々と発していて、去年のクリスマスイブに発揮された美里の女探偵っぷりを思い出させた。私はなぜか若干びくびくしながら答えてしまう。
「来週の日曜に七緒の家で……お昼過ぎから、一緒に受験勉強を……」
こんな面白味のない返答さえ、美里のボルテージをぎゅんぎゅんに上げたらしかった。
きゃっと叫ぶと、彼女は私の両手を掴む。
「心都、それは乙女の一大事よ」
「はっ?」
「当日は絶対可愛くしてかなきゃダメ。その一日だけは、とりあえず自分が受験生だってことを忘れなさい」
「いやでも美里、勉強しに行くんだよ」
「心都」
美里が先ほどまでとは打って変わって、落ち着いた声で私を呼んだ。
そして、その華奢な右手を自分の口元の横にやり、目配せをした。
内緒話のサインを察した私は、身を乗り出す。
そして、
「!」
ひそひそと告げられた美里の言葉を聞いて、顔から火が出そうになったのだ。
「なんか違う……これも、これも変……」
自室の姿見の前で、私はうわ言のようにぶつぶつと呟く。
足元には洋服の山。
「うああ!わかんない!何着てきゃいいの……!」
ついに私は絶望して叫んだ。
あっという間にその日はやってきた。本日、1月2週目の日曜日──つまり、七緒の家で共に勉強をする予定の日、だ。
約束の時間まであと1時間ほど。
本来だったらるんるん気分で準備を進めるはずのところだけど、私は途方に暮れて膝から崩れ落ちる。
鏡にうつる自分の顔は、やはり混乱していた。
私は七緒にこのお誘いを受けた時、ただただ単純に嬉しかった。
七緒の彼女になれたのは夢や妄想ではなく、現実だってやっと信じられたから。
七緒も私のことを恋人と思ってくれているんだよねって実感できたから。
だからこのデートの持つ意味というか、中身みたいなものをあまり深く考えていなかった。
──『カップルが2人きりで部屋にいるんだから。ちゅーくらいはするような展開になるでしょ、ふつう』
美里に囁かれた言葉が頭の中でこだまする。
「うおぅ……!」
食いしばった歯の隙間から雄たけびが漏れ出た。
全身の血が頭部に集中する。
思い出しただけでこんな状態になるほどに、美里に言われた一言は私にとって予想外で、衝撃的だったのだ。
いや、だって、ねぇ、ありえないでしょ?
七緒だって絶対そんなつもりで部屋には誘っていない。
だって七緒ってそういうキャラじゃないし、私たちってそんな関係じゃないし──と長年の癖で考えて、はたと気づく。
そうだ。私たちはもう今までの関係とは違う。
15年間の幼馴染みとしてのパターン、そして5年間の片思い中のパターンは、きっともう繰り返されない。
恋人同士として過ごす今日は一体どんな1日になるのか。
それはあまりにも未知すぎて私を混乱させた。
とりあず服を決めなくては。
私はよろよろと立ち上がり、再び両手に服を取った。
──スカートにした方がいいのかな?
──でもお出かけデートでもないのにひらひらのミニなんて履いていったらちょっとわざとらしすぎるかな。
──でもさすがにジーンズはないかなぁ。
頭が痛くなるほど悩んで、結局折衷案として若草色のニットと紺色のハーフパンツにした。
「よ、よぉし、これなら……」
気合入りすぎていないし、かといってラフすぎてもいない。
ニットに毛玉がないかどうか隈なく確認し終えた頃には、ひどく疲れ切っていた。
洗面所で髪をセットして、これでもかというほどリップを塗りたくる。
「あら、どうしたの心都。揚げ物でも食べた?」
玄関へ向かう途中、お母さんに指摘された。
「唇がぬらぬらしてるわよぉ」
「……」
結局、ティッシュで軽くオフしてから家を出た。
七緒の家へ向かう5分足らずの道が、永遠にも感じられた。
一歩一歩足を踏み出すほどに、心臓が速くなる。
遅くてもあと6、7時間後には、またこの道を通って家へ戻ってくるはずだ。その時私はどんな気持ちでここを歩いているのだろうか……。
ぴんぽーん。
聞きなれているはずの東家のチャイムが、なんだかいつもと全く違う音のように感じられた。




