4<家路と、危機>
後ろから背中を叩くと、七緒は「うおっ」と叫んでつんのめった。
……そこまで強くしたつもりはなかったんだけど。
「普通に呼び止められねぇのかお前は」
七緒がぎろりと恨めしい顔でこちらを見る。
「ごめんごめん。七緒が帰るのが3階の窓から見えて、ついダッシュしちゃった」
「3階から……!?」
すんげぇ脚力だな、と七緒が呟く。確かに普段は運動神経の悪い私なのに、たまに発揮されるこのパワーには我ながら驚く。
それはきっと七緒が関わったとき限定の力なんだと思う。今だって無性に七緒と一緒に帰りたくて、2段抜かしですっ飛ばして来ちゃったよ。どうしてここまで七緒に会いたかったのかは、自分でもよくわからないんだけど。
そんな思いを込めて彼をじっと見つめてみると、
「な……なんだよ」
七緒がちょっと身構えた。
「べつにぃ」
付き合ってほやほやの彼女がこうして至近距離で見上げているというのに、どうも彼にはガン飛ばしているようにしか見えないらしい。ちょっと、ぐれそう。
恋人同士って何を話せばいいの? という疑問が先ほどから頭をぐるぐる回っていたけど、実際に七緒と2人並んでみればなんてことはない、いつも通りの会話があった。
受験の話や、クラスの話、テレビの話、朝ご飯に出た卵焼きの話。
──そう、一見いつも通り。だけど、確実に普段と違う部分がある。
「……心都、お前なんでずっとゴ●ゴ13みたいな顔してんだよ」
「なんか……今日は太陽光がやけに眩しくて……」
「……そうなのか」
嘘だった。本当は、七緒が眩しかったから。眩しくて眩しくて目が上手く開かない。
私は妙にドキドキしていた。
隣にいるのは、今までの15年間と同じ人物、幼馴染みの七緒だと頭ではわかっているんだけど──やっぱりこの人が自分の彼氏なんだわと思うともう普段通りではいられなかった。
このドキドキは、もちろん恋心がもたらす、どちらかといえば心地の良い物に違いないけれど、それと同時に、ある種の不安も私の胸に湧き上がっていた。
ゴ●ゴの顔で隣を歩いている私は、ちゃんと七緒の「彼女」をやれているのかな?
こんなにドキドキしているのって私の方だけなのかな?
隣の七緒をちらりと盗み見ると、彼は至って普通の様子でそこにいた。
……やっぱり、こんなに平常心を保てていないのは私だけかぁ。そう考えたら少しへこんできた。
もしかしてさっき禄朗が言ったとおり、七緒と恋人同士になれたのって私の妄想なんだろうか。年末はひどい風邪で朦朧としていたし、その時に見た幸せな夢が現実とごっちゃになっているのかも。うわ、怖っ。そう考えるとぞっとする。
「心都、公立の入試って何日だったっけ」
ふいに七緒がそう言った。
「2/15だよ。開条は?」
「2/11。じゃ、そんなに時期が離れてるわけじゃないんだな」
公立校と私立校の違いで、受験の日程には若干の差が出る。だけどどうやら今年は、ぎりぎり同じ週にどちらの入試も終了するようだ。
「試験終わったら、どっか行きたい所とかあるか」
驚いて彼の顔をまじまじ見ると、ちょっと照れたように目を逸らした。
うわわ。七緒がこんなこと言うのって珍しい。
嬉しいけど、なんで急に……? そう問いかけそうになって、やめた。
そっか。単純なことだ。七緒が私の「彼氏」で、私が七緒の「彼女」だからだ。
どうやら私の妄想じゃなかったみたい。
ふつふつと胸にしあわせが込み上げる。
「色々ありすぎて絞れない……それまでに考えとくね」
「おー」
ぶっきらぼうに答える七緒は、まるで意図的にそんな口調を作っているようで、なんだかたまらなく可愛かった。
「来月下旬か……遠いねぇ……」
待ちきれなくて胸が破裂しそうだよ。
でも間違いなくそれまではデートなんて我慢だろうなぁ。それはしょうがない。なんてったって受験生なのだから。
「あ」と七緒は何かを思いついたように口を開いた。
「そんじゃ今度俺んちで勉強でもする?」
今度は意図的ではなく、とても自然ないつも通りの飄々とした言い方だった。
でも、私の心臓を打ち抜くにはじゅうぶんすぎる威力がある。
「えぇっ! それって……」
勉強デートってやつじゃない?
心の中でそう言うと、あまりの素敵な響きにきゅんきゅんが止まらなくなった。
「す、するするする! しまーすッ!」
「うわ、うるさっ。耳元で叫ぶなよ」
まだ付き合ってひと月も経っていないというのに、何度も何度もドキドキしてきゅんきゅんして、身が持たない。
あぁ、私そのうち七緒にころされるかも。




