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33<恋と、夢>

 それまで雪の上に力なく膝をついていた私は、のろのろと起き上がった。

 自分ではゆっくり動いているつもりなんてないのに、全てがスローモーションになったような感覚だった。


 七緒と向き合う。

 目の前の幼馴染みは、私をギロリと睨みつけていた。

 物騒な顔だ。でも、なんだかほんのり頬が赤い。怒っているわけではなさそう。

「七ちゃん」

「……七ちゃんって呼ぶな」

 毎度毎度のこの返しも、今日はいつもよりぎこちない。

 雪が全ての音を吸収してしまったように、辺りは静まり返っていた。

 その怖いくらいの静寂の中、ただ、一定のリズムだけが胸に響く。


 これは私の心臓の音? それともまさか七緒の?


「私、七緒が好き。大好き」

 溜め込んだ長年の思いを全て吐き出すかのように、私は連呼した。

「すっごい好き。ほんと好き。超好き」

「……」

「一生七緒と会えないのと一生お米食べられないのとどっちか選べって言われたら多分お米食べられない方を選ぶと思うくらい好き」

 気付いたら、とめどなく涙が溢れていた。

 何度好きと言っても、大粒の涙を流しても、この胸の七緒への感情は底をつくことはない。

 どんなに伝えても伝え足りない。

 そうわかっていても、今、思いを声に出さずにはいられなかった。

「マジで好き。めっちゃ好き。好きすぎて死にそう」

「……死ぬなよ」

「七緒は? 私のこと好き?」

 七緒は、ますますぐっと力のこもった目で私を睨んだかと思うと、

「……あーっもう! なんなんだよ! アホか!」

 わしゃわしゃわしゃ! と、両手で雑に私の頭をかき回した。

「そうじゃなかったら、こんなくそ寒い中、こんな雪まみれで、こんな恥ずかしいこと言うかよ!」

 髪の毛を滅茶苦茶にされながらも、私は七緒を見つめ続けた。

 七緒の目は、まっすぐ私に向いている。


 今まで何度も、彼にはひどい拍子抜けを食らわせられてきた。

 一点の濁りもない言葉や笑顔で私のときめきレベルを限界まで高めておいて、それをあっさり空振りさせるという無意識の特技を彼は持っていた。

 そんなことが続いてはこちらだって無意識に、ちょっとやそっとでは期待しないようにバリアを張ってしまう癖がつく。

 だけど自分の日本語能力を信じるなら、今回ばかりはもう、そのまんまの意味で丸ごと受け取るしかない。

 バリアを解いてもよさそうだ。


 ──七緒って、私のことが好きみたい。


「う……うおぅ……」

「なんだよその雄叫び」

「どうしよう、涙が止まらない……」

 私は、また都合のいい夢を見ているのだろうか。

 だとしたらこの後私を待っているのは、歯が欠けたり高いところから落ちたりするしょーもないオチになるわけだけど。

 私の頭をぐしゃぐしゃにする彼の両手を、がっちりと掴んで固定する。

「っていうかやめて。ヘアーが乱れるでしょ、ヘアーが……」

「何がヘアーだよ。やる前も後も大して変わんねーよ」

「ひどい! なんてこと言うの……」

 私は涙でボロボロの顔で、七緒を睨みつけた。

 けれど彼の憎まれ口のおかげで、私は号泣状態から徐々に感情を落ち着かせつつあった。


 鼻をぐずぐずとすすりながら、目の前の幼馴染みに向き直った。

「本当はこんなはずじゃなかったの……さっきも言ったけど、私もっと可愛くなって、自分史上最高のコンディションで告白する予定だったのに……。っていうか、本当だったら、あの夏祭りのときに言おうとしたんだよ。でも七緒が、高校受かったら遠くに行くとか言い出すし、もうそれどころじゃなくなって……しかもてっきり子リスちゃんと付き合ってるとばっかり……だから私……」

「……」

「あっ! そうだ!」

 突如、ある日の記憶が脳裏を駆け巡り──気付いたら私は光の速さで七緒の頭部を叩いていた。

「いってぇ! 何すんだよおい!」

「今思い出したけどあんたあの時、私のことバカって言ったでしょ!」

「はぁ?」

「屋上で!」

 忘れもしない、あれはまだ七緒と子リスちゃんが付き合っていると勘違いをしていた頃。『その子のどこが好きなの?』という私の問いかけに、彼は『バカなところ』と答えたのだ。

 その時は、七緒の言う『バカ』に、歳下彼女である子リスちゃんへの愛情がぎゅっと詰まっているのだな──と、切なくも納得した私。

 だけどそれが自分のことだったのだとしたら、少々話は違ってくる。

 もっと他に言葉があるだろというほのかな怒りと、早々に気付けなかった悔しさと、あと、やっぱりかなり不本意な嬉しさ。

 それがごちゃまぜになって混乱した結果が、七緒の頭部への打撃となってしまったのだった。


 七緒は、ようやく私の言う『あの時』を理解したようだった。

 目の周りが赤い。

「……っお前、今そういうこと言うか普通!」

「言うよ!」

「信じらんねぇ……ほんとバカじゃねぇの!」

「あっ、またバカって!」

「っていうかお前こそ、『なんで好きなのかなんて正直もうわかんないくらい』好きな相手のことよく今まで何度も何度も罵ったりボカスカ殴ってこれたな!」

「!」

 今度は私が顔を茹でダコのようにする番だった。

 こいつこそ、なんだかんだ言ってあの屋上でのやり取りをきっちり覚えていて、今ここで持ち出してきている。

 私へのダメージは絶大だった。

「あんた、それ言うか! 言っちゃいますか!」

「言う!」

「だって七緒があまりにも鈍感で的外れなことばっかり言うから! 乙女心を全然理解してない奴に恋する方の身にもなってよ!」

「はぁ? なんだよそれ知らねーよ!」

「っていうか、七緒こそ! 私が塾の友達と他校の男子の話してるとき急に不機嫌になっちゃったりして、今思えばあれ完全に嫉妬だったんだね! ははーん! あんたさては結構ガキっぽいジェラシー感じちゃうタイプか!」

「なっ……」

「よかったね私があんた一途なバカで! もし山上から告白された時オッケーしてたら七緒泣いちゃってたんじゃない?」

「泣かねーよバカか! そ、それ言うならお前こそ! 俺が1年生の女の子の告白をお断りした時、澄ました顔で『もったいないね』とか言ってどんだけ強がりだよ!」

「ぐっ……ぐぬぬ」

 まるで答え合わせをするように、私たちはお互いの過去を掘り返し、痛いところをグサグサと突き、塩を塗り合った。

 傍から見たら、なんて滑稽なやり取りだろう。

 だけど一度火がついてしまった私たちは、簡単には止まらない。

 お互い一番弱みを握られたくない相手に、とっておきのネタを渡してしまったようなものなのだ。


 10分ほど言い争いが続いたところで私たちの疲労はピークに達し(何しろこのバトルは、記憶を辿り、頭をフル回転させながら相手を攻めて、更に相手からの攻撃に顔から火を吹き出しながら身悶えする、という3ステップから成るのだ。普通の口喧嘩の倍疲れる)、自然と終わった。

 大声を出し続けたせいで喉が張り裂けるように痛い。

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら、私たちはその場にへたり込んだ。


 公園に設置された街灯が、パッと点灯して辺りを照らした。

 確かここの灯り、ある程度日が落ちきると自動的に点くようになっているんだっけ。

 もうそんな遅い時間なのか……。

 今日一日のことを思うと、あっと言う間だったようで、果てしなく長かったようにも感じられ、不思議な気分だ。

 そして未だに、この状況に対してどこか現実味がない。

 ここ数分の間に起こったミラクルなんて、少し気を緩めたら、私の体温でみるみる溶けていく足元の雪のように儚く消えてしまうのではないだろうか?


「ねぇ……」

「ん?」

「……私たち、これから恋人同士ってことでいいの?」

 疲労困ぱいといった感じでぜぇぜぇ呼吸を整えていた七緒が、ぴたりと動きを止めた。

「私って、七緒の…………か、かか、かかか彼女?」

「……お前って、」

 七緒がゆっくりとこちらを向く。

「なんでわざわざそういうこと聞くの?」

 怒ったような困ったような、複雑な顔をしていた。

「だって、なんか信じられないんだよね。本当に私で良いのかなって思って……。可愛くないし口悪いしあんまり素直じゃないしバカだし色気ないし……」

「俺が今まで言ってたこと、聞いてなかった?」

 七緒は立ち上がると、自分の膝下についた雪を払った。

 私とは目を合わせず、とてもぶっきらぼうに、けれどハッキリ言った。

「『で良い』んじゃなくて、『が良い』んだよ」

「……」

「……大福、食う?」

「……持ってるの?」

「いや……買いに行く?」

「うん」




 ──夢じゃないんだ。

 だって、七緒の声はこんなにもハッキリと届くし、私は歯が欠けたり高いところから落ちたりなんて決してしない。

 


 私は、七緒と両思いになる日をずっと夢見ていた。

 何度も何度も想像して、ニヤついていた。

 両思いになった瞬間、きっと嬉しさのあまり発狂して笑いが止まらなくなるんだろうなと思っていた。

 

 でも実際は違った。

 気持ちが通じ合ったんだという実感が湧いたとき、静かな幸せが胸に広がって、とても穏やかな気持ちになった。

 街灯に照らされて、優しさが溢れて、心にじんわり染みて──あぁ、七緒を守りたいなと思った。





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