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31<足跡と、「恋をすると女の子は」>

 道場の窓から外を覗くと、相変わらず雪は降り続け、もうだいぶ白い景色になっていた。

「うわぁ、結構積もってる……」

「まさかこんなに降るなんてな。確かに朝から寒かったけど」

 去年と同じホワイトクリスマスイブだね。そう言おうとして、やめた。

 だってそれを言うと去年のイブの夜を私と一緒に過ごしたこととか、大福の約束とか、色々よけいなことを七緒に思い出させてしまうと思ったから。

 もう別の大切な女の子がいて、きっとこの後その子と楽しいクリスマスを過ごすはずの彼に、わざわざそんな記憶を蘇らせる必要もない。


「そういや心都……お前、なんでまだ制服なんだよ?」

 七緒が不思議そうな顔で私を見た。

 その疑問は当然といえば当然だ。だって今日は終業式で、学校が終わったのは昼前の早い時間。それからもうかれこれ4時間程経過している。

 学校から直接山上の元へ向かったらしい七緒はともかく、イブの暇人である私まで未だに制服姿でここにいることは、彼にとって疑問だったに違いない。

「学校の帰りにちょっと寄り道してたから。甘いものが食べたくて」

「あー、栗原とかと?」

「……いや……。美里ね、誘おうと思ったんだけど……」

 と言いながら、私は今日の帰り際の友人の姿を思い出した。

 やけに急いで帰りの身支度を整えた彼女は、教室を出る間際、田辺に意味深な視線を投げた。田辺もそれに答えるかのように、目玉をぎょろつかせた。そして2人は揃って下校していった──。まさかこれからデートなのかしらなんて甘い推理は微塵も浮かばないような、何やら使命感あふれる緊張した面持ちで。

 年末に生まれた今年最大の謎。この短時間のゴタゴタで忘れかけていたのに、またもや悶々としてしまう。


 突然黙り込んだ私を、なんだなんだと七緒が見遣る。

「……実はさ、放課後、美里と田辺が連れ立って出てったの」

「へぇ」

 七緒は意外そうに目を丸くした。

「あの2人がねぇ」

「でも美里、田辺のクリスマスの誘いは断ったって言ってたんだよね。しかもなんか2人ともミョーに怖い顔しながら帰ってたし。謎だよ」

 七緒は、うーむと難しい顔で腕組みをした。

「……ま、人生、何が起こるかわかんねぇからな」

「……そうだね。クリスマスイブだし……?」

 そう言いながら、私も首を捻る。

 言葉とは裏腹に、どうも腑に落ちない。そんな華やかな結論で片付けられる話ではないような気がするのだ。

 やはりなるべく早いうちに機会を見て、美里に聞いてみよう。私はあらためて決意を固めた。

 すると、七緒がハッとして顔を上げ、独り言のように呟いた。

「これがイブの魔法ってやつか……?」

「何それ」

「いや、さっき山上がさ、」

 ここまで言って、七緒は口を閉じた。

 じっと私の顔を見たかと思うと、怒ったような困ったような微妙な表情になって、そっぽを向いてしまった。

「え? 何?」

「やっぱなんでもない」

 なんだそれ。

 突然の独り言の中のワードが「イブの魔法」とやらで、更にその後の対応が「ぷいっ」だなんて。しかもそれらの行動が特に違和感もなくハマってしまっているだなんて。

 やはり、私を含め、日々女子力アップに励んでいる世の乙女たちに喧嘩を売っているのか。


 私は七緒と視線を合わせようとして、彼の左隣に回り込んだ。

「なになに、気になるじゃーん」

「なんでもねーよ」

 七緒も負けじと、それを振り払うためにぐるりと体を捩る。

「いーじゃん、教えてよー」

「しつけぇな。なんでもねーって言ってんだろ!」

「んまぁ、なんなのその言葉使い! そんな子に育てた覚えはないわよ!」

「育てられた覚えもねぇよ!」

 ──バシャ。

 不吉な音が下方から聞こえ、一瞬、その場の空気が固まった。

 視線を下ろす。

 私の足元に置きっぱなしになっていたバケツが転がり、辺りは水浸しになっていた。

 どうやら私、勢い余って足で引っ掛けてしまったらしい。

「……」

「……」

「……」

「……ご……ごめん……」

 両手を合わせて謝罪する私を、七緒が「しょうがない奴」というような目で見た。

 結局5年前と同じ。床が水でびしょびしょで、寒い中、私と七緒は雑巾を持ってこの後始末をする羽目になった。


 結局、床を綺麗に掃除して、更に師範に挨拶していたら、なかなか長い時間話し込んでしまい、全てが終わって外に出た頃にはもうすっかり夕暮れ時になっていた。


「うぉ、やっぱ積もってるなー」

 地面の雪をさくさくと踏みしめながら、七緒が言う。

 いつの間にか雪は降り止んでいた。

 ごろごろの雪だるまが作れるほどではないけど、いつもと同じような感覚では歩けない。それ位の積雪だった。

 道の端で既に溶けかかった雪が、夕日のオレンジ色に反射して、とても綺麗だ。

 なんとなく歩調を緩めながら、俯き気味にぼうっとその光を眺めていると──突然、頭に軽い衝撃が走った。

 驚いて顔を上げると、七緒がいたずら顔で笑っていた。この幼馴染みが私に小さな雪玉をぶつけたのだ。

 おい、情緒とかセンチとかそういうの一切なしか?

「何すんの」

「避けろよ、こんくらい」

「そんな偉そうに言うなら……お手本見せろ、っての!」

 言いながら、私は七緒に雪玉を投げつけた。しかし悲しいかな、私の力任せの投球は彼にあっさり読まれ、避けられてしまった。

 くそっ。ムカつく。

 ──本当に、なんなんだろう、この幼馴染みは。

 さっきまであんなに男の子っぽい綺麗な瞳でこっちをドキドキさせたかと思えば、急に天使の可愛さを見せたり、はたまた急にただの悪ガキみたいになる。この振り回されている感じ、胸キュンと限りなく紙一重で、でもやっぱりなんだか腹立たしい。


 私は歩きながら、隣の七緒をジトッと睨みつけた。

「……っていうかあんた、もっと急がなくていいの?」

「なんで?」

「いや、ほら……なんか大事な予定とかあるんじゃないの? この後」

「別に、大して急いでないけど」

 そうしれっと答えられると、拍子抜けする。

 だって今日はクリスマスイブ。可愛い恋人である子リスちゃんとのデートは一体どうしたというのか。

 しばらく黙って考えて、私はハッとした。

 今日は終業式ということもあって、午後を丸々使ってたっぷり活動をする部活もある。

 そのため、夜か、もしくは冬休み初日である明日──クリスマス当日にデートを予定する校内カップルもそう少なくないはずだ。そしておそらく、七緒たちも。

 子リスちゃんが部活に所属しているかどうかは知らないけれど、きっと私のこの読みは正しいに違いない。だって、そうじゃないと七緒のこの無駄な時間の使い方は説明がつかない。

「そっか、七緒、急いでないんだ」

「うん」

 私が発した独り言ほどの小さな呟きに、七緒は不思議そうな顔で頷いた。



 いつの間にか公園の入口付近の道まで来ていた。

 ここを過ぎてあと少し歩けば、家はもうすぐそこだ。

 いくら七緒が急いでいないといっても、いつまでも私が独り占めするわけにはいかない。

 日が落ち切るまでには、きちんと子リスちゃんの元に帰してあげなきゃね。

 ──だけどその前に、少しだけ。

 数分でいいから、時間をもらいたい。


 今日は本当に色々あった。1日でたくさんのことが起こりすぎて、その全てが濃密すぎて、頭が痺れてしまいそうだ。

 でも、私は数時間前に黒岩先輩に誓った大切なことを、もちろん忘れてはいない。

「七緒」

「ん」

「私、好きな人がいるって、前に言ったでしょ」

「あぁ」

「その人のことは、もう結構長い間好きだったんだけど……でも自信がなくて。好きな人に、自信持って好きって言いたくて……だからずっと、可愛くなるために自分なりに頑張ってたの」

 横に並んで歩く七緒は前を向いたまま、私の話を聞いていた。

「まぁ、それも空回りばっかしてたけどね。でも、少しずつ、色んな大切なこともわかってきて……」

 私が七緒を好きだった5年間は、決して無駄なんかじゃないと思いたい。

 だってこの恋は私に、数え切れないほどたくさんのものを教えてくれた。


 胸が切なくなるくらいの嬉しさ。

 どうにもならない悲しみと、思い。

 手と手が触れて、まつ毛が震えた夜。

 高い壁も乗り越える、強い心。

 少しだけ自分自身のことも好きになれた、小さな瞬間。


 今も、全部私の中にある。

 だから、この気持ちをなかったことには絶対できない。

「それで……私、今日やっと告白しようと思ってるの」

 どちらともなく、足が止まる。

 私たちが歩いて来た白い雪道には、2つの足跡がある。

 幼い頃から何度もこうして並んで歩いてきた。幼馴染みの他愛もない会話をして、時には口喧嘩をして、時には笑い合って。

 私にはそれがとても嬉しいことであり、また、自然なことでもあった。

 だけどそれは確実に変わろうとしている。

 変えてしまうのは私なのか、それとも七緒なのか──。きっとどちらも、だと思う。


 七緒はようやく私の目を見てくれた。

「……そっか」

 それがとても穏やかで綺麗な瞳だったので、私はなんだか落ち着くことができた。

「でも私、よりによって今日すごいボロボロなんだよね。雪の中走って2回も転んだし、汗かいたし、頭ボサボサにされちゃったし、雪玉ぶつけられるし」

 あんたがぶつけたんだけどね、と忘れずに付け加えると、七緒は一瞬バツが悪そうな顔をした。

「せっかく多少なりとも女子力上げたくて今まで頑張ってたのに、いざ告白しようとしたときにこんな格好なんて……マズいかなとは思うんだけど。でもまぁ、しょうがないよね」

 本当は、もう少しマシな見た目のときに言いたかったけど。

 美里に教えてもらったブローとか、この間初めて買った可愛いシュシュとか、ピンクのリップとか、近頃ようやく慣れてきたビューラーとマスカラとか、こんな雪の日にぴったりなフワフワのコートとか……色々駆使したかったけど。

 でもこうなってしまった以上は仕方ない。

 だって、黒岩先輩と話したあの瞬間から、私の中のジャッジマンが「今日だ」って叫んでいるんだもの。

 今日ズバッと言って、バッサリ振ってもらえば、すっきり素敵な思い出にできると思うんだもの。

 あぁ、私って自己中心的だ。こんな投身自殺みたいなことに巻き込んでしまう七緒には、本当に申し訳ないと思う。


 七緒は、じっと私を見た。

 きっと、ある程度勘の鋭い人だったら、この状況で今から告白されるのが自分だということがなんとなくわかるのかもしれない。だけど七緒はそんなものとは対極にいる人間だ。私の告白相手が誰だかなんて、もちろんわかっていないだろう。

 だから、少なくともあと数分後に彼に与えてしまう衝撃を思うと、なんともいえない気持ちになる。

 まぁ、この期に及んで「鈍感!」だなんて罵る気は毛頭ないけど。


「……可愛いとか綺麗とかよく言うけどさ。それは見た目とかのことじゃないと思う」

 七緒が落ち着いた口調で言う。

「上手く言えないけどさ。お前は、こんな雪の中ボロボロになりながら走ってきてくれたじゃん。びっくりしたけど……やっぱすげー嬉しかったよ」

 私は驚いて七緒を見つめ返した。

「今日だけじゃなく、お前のそういう一生懸命なところとか、まっすぐなところとか……15年来の付き合いの俺はいつも見てたから知ってる。たとえ髪がボサボサで雪まみれでも、それがお前のそういう行動の結果なら……そのことがマイナスになるなんて絶対ない」

 彼はとても慎重に、言葉を選んで話しているようだった。それ故に、「上手く言えないけど」の前置き通り、とても回りくどい言い方になっていた。

 彼の言わんとしていることがようやく半分くらいわかってきて高揚するような、でもまだよくわからなくて戸惑うような。そんな微妙な表情になっているであろう私に向かい、七緒は静かに続けた。

「だから──大丈夫だよ。自信持て。心都はちゃんと……『可愛い』から」

 ……何よ、それ。今まで散々、お節介おばさんだの妖怪だの変態だの言ってきたくせに。

 今ここでそんなこと言われたら、もう私、嬉しすぎて泣けてきちゃうよ。

 一度ゆっくりと瞬きをした。

 きっと今泣き出したらしばらく止まらなくなってしまうと思い、ぐっと涙をこらえる。

 それと同時に、胸の奥にじんわりと、あたたかいものが広がる。

 私はずっと、七緒にその言葉を言ってもらいたかったのだと思う。

「ありがとう、七緒」


『恋をすると女の子は可愛くなるらしい』──だなんて、絶対に嘘だと思っていた。


 でも、今なら信じられる気がする。

 私はここに来てまたひとつ、七緒に大切なことを教えられてしまったようだ。

 正式な失恋まで秒読み段階だっていうのに、こんな幸せな気持ちになれてしまうなんて大誤算。

 心があたたかい。

 だから私は久々に、心からの笑顔を七緒に向けることができた。


 ──ありがとう。これで本当に、ようやく言えるよ。


「……お前、そーいう顔はあと数時間後の告白するとき用に取っとけよ」

 と、七緒が呆れたように言う。

 そんなに幸せ溢れる締まりのない阿呆面になってしまっていたかしら。思わず両手を顔に当てる。

 けれど、真面目くさった神妙な顔を作ろうとしても無理だったので、私は無理に頬を引き締めるのをやめた。

 それにやっぱり、5年温めた大切な思いを伝えるときは笑顔でいきたいもんじゃない?

「それが『今』だよ。私の好きな人、目の前にいるから」

 七緒は無言のまま、変わらず私を見ていた。

 落ち着いているというのとはまた違う。硬直していた。

 こいつが何を言っているのか全くわからない──そんな表情だった。

 私は軽く呼吸を整えると、彼の綺麗な瞳をまっすぐに見つめ、言った。


「私、七緒のことが、大好き」





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