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26<イブの日と、第六感>

 クリスマスイブの朝の空気は、耳が痛くなるほど、くちびるが震えるほど、澄んでいた。

 こんな寒さが大好きな私。家から一歩出た瞬間、大きく大きく深呼吸をした──のだけど。

 ──ぞくり。と異様な感覚が背中を走った。

 な、なんじゃこりゃ。

 思わず身震いして、自分自身の体を抱きしめる。お気に入りの緑のマフラーも、学校指定のPコートも、ちゃんと身に付けているのに。

 青々とした空を見上げても、胸は粟立ったまま。

 第六感というやつだろうか。

 今日、何かとんでもないことが起こるのではないかという不安が襲ってきて、私は途方もない気持ちになった。







 2学期最終日である今日は、終業式とホームルームのみで即下校となる。

 長い校長の話と、更に長い担任教師の話を、心ここにあらず状態で聞き終えれば、いよいよ冬休み。次にこの教室に来るのはもう来年になる。そして3学期に入ればきっとあっという間に卒業だろう。そう考えると、いつもは嬉しい長期休みも、なんだか少し寂しい。

 ガラにもなくしみじみとした思いで室内を見渡していると、そんなセンチメンタルとは全く無縁そうな迅速さで教室を出て行く姿が目に入った。

 七緒だ。彼は手早く荷物をまとめると、クラスメイトとの年内最後の挨拶もそこそこに、足早に出て行ったのだ。

 どうせ子リスちゃんとデートだろう。付き合って最初のイブなんだもの。そりゃあ待ちきれないビッグイベントに決まっている。

 ──ケッ。

 私はツバでも吐きたいような気持ちでその背中を見ていた。

 もちろん私は七緒の幸せを応援している。幼馴染みとして、そしてひとりの女の子として。

 だけど、でも! こうあからさまに恋に浮かれている様子を見せつけられると(私が勝手に目で追っているだけだと言われたらそりゃそうだけど)、やっぱり一瞬「ケッ」となりたくなる気持ちは、間違いなくあるのだ。


 あぁ、駄目だ。私はひとりブンブン首を振り、虚しい気持ちを打ち消した。

 まだ昼前で時間も早いし、景気づけにちょっと寄り道して何か食べて帰ろうかしら。うん、甘い物が良いな。ミルフィーユとか大福とかクッキーとか。

 私は近くの親友に声をかけた。

「美里、一緒に、」

 何か食べてかない? まで言えず。私の言葉は慌ただしく美里に遮られた。

「ごめん、心都っ! 私ダッシュしなきゃ!」

「え?」

 いつからそんな陸上部ばりの使命が彼女に課せられたのだろう。

 美里は驚くべきスピードで身の回りの荷物をまとめると(さっきの七緒の三倍速って感じ)、勢いよく席を立った。

 いつもは陶器のようになめらかで白い頬が、珍しくうっすら上気している。

「本当にごめん! また連絡する!」

「う、うん……。じゃ、よいお年を……」

「えぇ! 心都もね!」

 呆然としながらその背中を見送る。

 教室を出る直前、美里は出入り口付近の席に座る田辺に何やら目で合図を送り、顎をしゃくった。まるで「おう、行くぞ、早くしろ」とでも言うように。

 そして田辺も色黒顔の中の目玉をぎょろぎょろさせた神妙な面持ちで頷くと、2人揃って足早に教室を出て行った。

「えっ、え? えー!」

 と、一部始終を見ていた私は、もうあんぐりと口を開けてしまった。

 あの2人、一体どうなっているのだろう?

 美里は田辺のイブの誘いを断ったと言っていたはずだけど。つい2日前の話だ。あの時の彼女は嘘をついて隠し事をしているようには全く見えなかった。

 もしかして急遽、何かの事情が変わったのだろうか?

 でも、突然イブに行動を共にしなければならなくなった事情って何? そして、どうして私に隠している風なのだろう?

「ううーん……」

 謎だ。12月24日にして、今年いちばんの謎が出てきた。

『もしかして付き合うことになったの? これからデートなの? いやーん、オメデトー!』という推理には全く至らないのが、田辺に対して非常に申し訳ないけれど。

 だってあの時の2人の目配せ、とてもじゃないけど恋人同士のそれには見えなかったんだもの。




 ずいぶん長いあいだ首をひねっていたようだ。気付くと教室内に残っているのは私だけになっていた。

 なんだろう、また虚しさが倍増した。

「…………帰ろ」

 ひとり呟くと、ガランとした室内にやけに響いた。

 下駄箱までの道のりを、とぼとぼ歩く。

 とりあえず年が明けたら、あけおメールついでに美里に探りをいれてみよう。

 またやんわりとはぐらかされるかもしれない。でも美里は最近の行動に見え隠れする諸々の秘密を、「そのうち教えてあげる」と言っていた。もしかして新年一発目の清々しい気持ちで尋ねれば、案外あっさり教えてくれることもあるかも。そうであってほしい。だって、こんな謎が3学期まで持ち越しだなんて、むずむずして蕁麻疹が出そうだ!


 そんなことを考え、俯きながら1階の廊下を歩いていると、耳慣れた話し声が聞こえてきた。

「禄ちゃんってば……クリスマスイブくらい、橋本先生との喧嘩やめればいいのに」

「うっせぇなぁ、あいつが悪りぃんだよ。ただ通知表渡すのにもいちいち嫌味言いやがって。『進藤、今学期はずいぶん成績を上げたようだが一体どんな裏技を使ったんだ?』だとよ」

「だから、そんなちっちゃい挑発に律儀に乗ることないってば……。橋本先生は禄ちゃんに嫌味言うのが生き甲斐みたいなところがあるんだよ」

「そんな生き甲斐クソくらえだ、あの野郎」

 華ちゃんと禄朗だ。

 顔を上げると、少し先を歩く2人の後ろ姿が見える。

 心配そうにたしなめる華ちゃんに対して、禄朗の方はカッカと息巻いている。

 私の位置からだと背中だけで顔は見えないけど、2人の会話は臨場感ありありでハッキリと耳に届く。

「へっ。手ェ出さなかっただけ大したもんだろ。1年前の俺なら間違いなく半殺しにしてたぜ」

「そんなこと言わないで。でもね、今日だって2人の睨み合いで10分はホームルームが伸びてたよ」

「ナメられてたまっかよ」

「もう。だから……そういうこと言わないでってば。そんなおバカな理由でホームルームのあと職員室に呼び出されてお説教だなんて……禄ちゃん、本当に時間もったいないよ」

「んじゃ、その俺をわざわざ廊下で待ってたお前はもっとバカってことだな」

「ふふ」

 表情は見えなくても、華ちゃんが柔らかく微笑んだことがわかった。ふんわりと空気がゆるんで、優しい雰囲気が満ちる。

「だって、2学期最後の日だもん。禄ちゃんとのお勉強会も多分今日が今年最後でしょ? 待ってるに決まってるじゃない」

「そうかよ」

 ぶっきらぼうに答える禄朗。

 しかし、その憎たらしい口調の中に照れ隠しのような色が隠れているのは、きっと気のせいじゃない。

 華ちゃんは相変わらず優しく微笑んでいるようだった。

「……もうそろそろ図書委員の子を睨みつけて威嚇するのはやめてね、禄ちゃん」

「あんなの、いつもあいつらからガンつけてくんだよ。珍獣でも見るような目しやがって」

 そんな会話を交わしながら、2人は3階の図書室を目指し階段を上っていった。

 私は声をかけないまま、その後ろ姿を見ていた。

 今年の夏前から始まった華ちゃんと禄朗の「お勉強会」──どうやら既に2人の日常に欠かせないものになっているらしい。その努力も着々と実になり、今や学力テストの結果が学年の先頭集団の常連となったコンビだ。

 もっとも華ちゃんのあの「お勉強パワー」は、「恋のパワー」の影響がかなり大きいに違いないけれど。

 とても微笑ましくて、私まで温かな気持ちになる。


 しかし、廊下で佇み、ひとしきりニヤけた後──やっぱりムクムクと襲って来る、胸の虚しさ、寂しさ。

 あぁ、いいなぁ。

 美里も、田辺も、華ちゃんも、禄朗も──七緒も、子リスちゃんも。

 なんだかんだみんな良い感じだ。青春だ。

 気付けば窓から見える校門は、仲良く下校中のカップルだらけ。

 恋人たちのクリスマス、ってか。


 ひとり甘い物が食べたくてたまらないロンリーガールな私は──さて、この後どうしよう。









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