24<ケンカ番長と、見学>
9時ぴったりに駅前の時計台の下へ着くと、そこには既に山上がいた。
西有坂中の黒い学ランを着て、肩に柔道着を担いでいる。
その姿は相変わらず昭和の漫画のケンカ番長のようで、私は彼に捨て猫(雨に濡れている)をオプションとしてそっと差し出したくなった。
「おっす、杉崎!」
山上は私に気付くと、元気良く右手を上げた。
「よしよし、ちゃんと正装で来たな」
彼の指示通り、私も今日は制服だった。もちろん山上と違ってマフラーで防寒対策はしっかりさせてもらっているけど。
せっかくの休日にまでなんで全身紺色の芋くさい格好をしなくてはいけないのか、なんて不満は早々に吹っ飛び、私は山上に問うた。
「山上……もしかしてこれから西高に行くの?」
西高は山上の志望校。柔道の有力選手である彼は、特例として既に休みの日には西高の部活に参加していると聞いたばかりだ。
「へっへー。大当たり!」
山上が満面の笑みで頷く。どうしてこの人はこんなに楽しそうなのだろう。
「なんで私も一緒に? 私、西高志望じゃないしましてや柔道部に入る気もないんだけど……」
「まぁ、いいからいいから!」
と、強引に背中を押され、私は駅構内へ歩みを進めた。
彼の目的が全くわからず、私の心は戸惑いでいっぱいだった。
これってもしや、世に聞く強引な勧誘活動? 部室に一歩足を踏み入れたが最後、怖そうな先輩に囲まれて入部を迫られ、変な誓約書を無理矢理書かされ、3年間こき使われる部活生活になるのでは?
嫌な想像がむくむく膨らむ。
もしも強引に勧誘されても、きっぱり断ろう。いざとなったら窓を蹴破ってでも逃げることを、私は密かに決心した。
電車で3駅、約15分。
私たちの住む地域からそれほど遠くない場所に、西高は位置している。
県立高校の中でも歴史があり生徒数が多く、建物の規模も大きい。見上げるほど高い7階建ての校舎が、コの字に3つ。白い壁が汚れてところどころ茶色っぽくなっているけれど、それがまたこの学校の歴史の深さを物語っているようで、なんだか趣深く感じる。
屋上からはいくつかの垂れ幕が下げられていて、それぞれ「○○部 全国大会出場決定」「○○部 △△コンクール何位入賞」などと、輝かしい記録が書かれていた。
部活が盛んで、文化祭や体育祭なんかの行事も毎年とても盛り上がる高校だと噂に聞いていたけど、やっぱり本当らしい。
現に休日の朝だというのに、グラウンドや校舎の中から部活中と思われる生徒の掛け声がたくさん聞こえてくる。全然休日っぽくない。
私はドキドキしていた。
中学とは明らかに雰囲気が違う。
校門の横には簡易的な小屋のようなものがあって、その中には警備服を着たおじさんがいた。守衛として、不審者が敷地内に入り込まないようにここでチェックをしているのだ。
「はよーッス!」
体育会系全開な挨拶を、山上が大声でする。
私もそれに続いて頭を下げ、
「お……おはようございます」
どもった。あぁ、これだから文化系は駄目ね。
どうやら守衛さんと山上はとっくに顔見知りらしかった。朗らかな笑顔で会話を交わしている。
「お、山上くん。今日も元気だな」
「うす。自分、声がでかいのだけが取り柄なんッス」
「何言ってんだ。柔道部の期待の星が」
「ははは! 勘弁してください」
「今日はお友達も一緒に練習に参加か?」
急に話題の矛先を向けられ、私は言葉に詰まった。
「そ、そうなんでしょうか……?」
守衛さんの質問にはっきり答えられず、曖昧に首を傾げる。
だって、何をするために今日自分がここに来たのか、私自身全くわかっていないのだ。
山上は豪快に笑うと、私の頭に手を乗せていった。
「違います。どう考えても格闘技向きには見えないでしょ」
なんか馬鹿にされているような気がするなぁ。
ジトッと睨んだ私の視線に気付くと、山上はまた面白そうに笑った。
だけど、こんなに年の離れた大人と気軽に笑って話せる今日の彼はとても輝いて見えて、なんだかまた圧倒的な差を思い知らされた気がしたので、私は文句を言う気も起きなかった。
山上の顔パスで校門を突破した私は、辺りをきょろきょろと見回した。
校門から校舎までの通路には花壇が設置されて、黄色と紫のパンジーが咲いていた。きちんと手入れされていて、とても綺麗。園芸部みたいなものがあるのだろうか。
少し進んだ奥には駐輪場がある。それを見つけて一瞬驚いた。中学は自転車通学禁止なのだけど、そのルールをこっそり破って近くの公園に駐輪している男子生徒なんかが、たまに見つかって怒られている。だから、こういうふうに敷地内に堂々と自転車を止めて良い場所があるっていうことに馴染みがなくて。よくよく考えれば、高校なんだから当たり前だよね。
そして、少し離れたベンチの横に、自動販売機があることにも感激した(これも、中学にはないんだもの)。
目に映るもの全てが新鮮で、大人びて、輝いて見える。
ついつい阿呆面で周りをいつまでも眺めてしまう。
そんな私の姿を、山上が少し離れてニヤニヤしながら見ていることに気付く。
しまった。これじゃガキくささ丸出しじゃないか。
恥ずかしさで、冬だというのに顔が火照る。私はぐるぐる巻きにしていたマフラーを外して鞄にしまった。
「ねぇ、今日はなんで私をここに連れてきたのか、そろそろ教えてほしいんだけど」
「俺は柔道部に10時半から参加なんだ」
会話が成立していない。
「……で?」
「だからそれまであと1時間くらい、杉崎に高校を案内しようと思ってさ」
満面の笑みで言う山上に対して、私の気持ちは乗らなかった。
「え……。私、さっきも言ったけど西高は今のとこ受験する予定ないんだけど」
「わかってるよ。お前は有坂志望だったもんな。でも志望校じゃなくても、高校のリアルな雰囲気に触れるときっと色々ためになるぜ」
「でもさー」
「ごちゃごちゃ言うな! はい出発!」
楽しそうな口調でそう号令をかけると、山上はずんずん先に歩いて行った。
私は少し迷った末、その背中を追いかけた。悔しいけれど、この場所で彼とはぐれたら、私は完全なる部外者になってしまう。
山上の真の意図は相変わらず読めない(強引な勧誘ではなさそうだ)けど、とりあえず今はついて行くしかない。
広いグラウンドでは、サッカー部が練習していた。
凛々しい掛け声と、集合の笛の音。きびきびとした部員の動き。風を受けてひるがえる、深い青のユニフォーム。
スポーツはあまり詳しくない私でも、とても本格的で引き締まった雰囲気があることはわかる。
「サッカー部は今日このあと他校との練習試合もあるみたいだぜ」
「へぇ。よく知らないけど、なんか強そうだね」
「あぁ、西高のサッカー部は県でもいいセン行ってるほうだな。ほら、強い高校はマネージャーの動きもテキパキしてるんだ」
確かに、サッカー部のベンチ付近にいるジャージの女子生徒たちも、汗をかいて忙しく動き回っている。イケメンサッカー部員との出会いを求める浮ついた入部動機のマネージャーは、皆無のようだ。
部活にマネージャーがいるのって、大人の世界って感じでなんだか憧れる(うちの中学にはマネ制度がなく、そのせいで去年の冬休みはジャンケンで負けた七緒がなぜか自ら柔道部に特製ドリンクやレモンの砂糖漬けをせかせか差し入れする係になっていた)。
少し歩くと、グラウンドとは別に、テニスコートもある。
ボールを打つ小気味良い音、そして女子部員のスコートが素敵で、私はうっとりした。
高校に入ってからの部活なんてまだ全く考えてもいなかったけど、これを見たらテニス部もいいなぁと思ってしまう。今までの体育の授業での経験上、球技のセンスはお世辞にも良いとは言えないけど。ひらひらスコートをなびかせながらボールを追いかけ、パワフルに打ち返す部員の姿を間近に見て、憧れない方が無理って話だ。
校舎からは、吹奏楽部のロングトーンの音色が聞こえる。
なんの楽器だろう。低音が心地よくてしばらく耳を澄ませていると、やがてその奏者は基礎練習から曲練習に移ったようだった。
聞いたことのある、堂々とした曲調……印籠が武器の黄門様のテーマだ。
その深みのある音色と曲があまりにもマッチしていて、私はこれまたすっかり心奪われた。
体育館の入口付近ではバレー部が練習中。
手首や腕、膝、体全体をしなやかに使って、信じられないほど力強いアタックを放つ。
私なんか授業でちょっとやっただけで手首が真っ赤になって音を上げちゃうのに。
館内のもう半分では、バスケ部がバッシュを鳴らしながら激しい攻防を繰り広げていた。
体育館全体が熱気を帯びて、もう「これぞ青春」って感じだ。
「ほら、これ見ろよ」
山上が指差したのは、生徒用玄関の下駄箱だった。
「あ! すごい鍵が付いてる!」
1人1人の靴入れに、4桁の数字を自分で設定するタイプのダイヤルロック式の鍵が付いていた。
「うちの中学なんて申し訳程度にフタが付いてるだけで鍵もないのに!」
「すげーよな」
「さすが高校って感じ!」
興奮のボルテージが一気に上がった。
敷地内をうろうろしていると、当然、途中で何人かの生徒とすれ違う。
その度山上は大きな声で挨拶をした。
「ちはッス!」
私もそれに促されるように「こんにちは」と頭を下げる。
高校生たちは山上の姿を見ると、
「あ、山上くんじゃん」
「今日も部活ご苦労さま」
とても親し気に挨拶を返す。
……すごい、山上って。
まだ入学もしていない(というか正確には合格も決定していない)高校で、もうこんなにも有名人で、しっかり市民権を得ているんだ。
隣の彼がますます輝いて見えて、私は尊敬の眼差しを禁じ得なかった。
次に私たちが向かったのは、校舎内の1階の中央にある広場のような場所だ。
──まず目を引くのは、そこに設置されたベニヤ板製の仁王像。
「すごーい! 何これ」
仁王像は、縦5メートル横2メートル程の長方形の板の上に、緻密かつ豪快なタッチで描かれていた。恐らく絵の具と思われる塗料で着色もしっかりされている。ポーズから表情から、社会科資料集で見た本物にそっくりだ。
ただ1つ、本物と異なる点は、額に赤い鉢巻を巻いているところだ。
「これ、今年の体育祭で優勝した応援看板なんだってさ」
「応援看板?」
「西高では、毎年体育祭で4つのチームに分かれるんだ。3学年合同で、生まれた季節による春夏秋冬の縦割りのチームでさ。そのチーム毎に、でっかいベニヤ板にそれぞれ何週間もかけて気合の入った絵を書いて看板を作る。体育祭当日はそれを1日グラウンドに掲げる。この看板がどれだけかっこよく出来上がってるかどうかも最終的な勝ち負けを決める審査の対象になるんだ。で、優勝した応援看板は次の体育祭まで1年間、この広場に飾られるんだってよ」
「へぇー!」
アツい。アツすぎるイベントだ。
さすが高校の体育祭という感じがする。
見学を終える頃には、私はもうすっかりわくわくした気持ちになっていた。