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5<カミングアウトと、宣戦布告>

【惚れる】意味:異性を好きになる。心を奪われる。


 異性じゃない場合は、どうなのですか。



 進藤禄朗(へー名前ろくろーっていうんだーとか思う暇もなかった)による熱血的な告白の後、数秒続いた沈黙を破ったのは七緒の間抜けな声だった。

「………へっ…?」

 さっき喧嘩を止めた時の気迫はどこへやら、七緒の眉はギャグ漫画みたいに八の字に下がり、目と口はこれ以上ないくらいぽっかりと開いている。効果音を付けるとしたらがちょーんってとこか。せっかくの美少女フェイスが台無しだ。

「オレ…っこんな気持ちになったのマジ初めてっス。七緒先輩みたいな強くて綺麗な女の人に、今まで会った事ないっス!」

 ぴきっ、と七緒の表情が引きつった。

「一生、幸せにします!七緒先輩となら温かい家庭が築けそうな気がするっス!」

 私の『もしかして』は、珍しくばっちり当たってしまったらしい。

 この進藤禄朗、ジャージ姿の七緒を完璧に女だと思っている。

 が、彼の暴走は止まらない。

「浮気なんかしませんし、日曜はしっかり家族サービスするっス!子供はやっぱり娘2人に息子1人っスかね」

 思考回路が停止していそうな七緒に変わって、とりあえず私が突っ込んでおこう。

 飛躍しすぎです。

 そして子供産めません。

「お付き合いしてくださいっ!」

 胸の前で拳を握り締め、瞳を輝かせながら進藤禄朗は言った。

 想い人が男に求愛されている。こんな時、私の立場としてはどうするべきなんだろう。

 ねぇ、これ、笑っていいの?女に間違えられて惚れられるのは5回目(うち4回はナンパ)の我が幼馴染みを、笑いながらからかっちゃっていいの? じゃないと――笑わないと私、辺りに漂うこの妙な緊張感に押し潰されそう。

「…えーと…し、進藤?」

 これ以上ないくらいに困った顔の七緒が、やっとまともな言葉を発した。

「“進藤”なんてそんな他人行儀すぎるっスよ、禄朗って呼んでください」

「じゃ禄朗」

「はいっ」

 名前で呼ばれて嬉しそうなろくろークン。何かもう、完全にただの恋する中学生だ。むしろそこまで素直に愛情表現できるのがちょっと羨ましい。今の私には、とても難しい事だからだ。

「そのー…お気持ちは、大変あ、ありがたいんですが」

 七緒はしどろもどろながらもそう言い、俯き加減だった顔を上げる。


「俺、男だから」


 それを聞いた禄朗は――笑った。

「はははっ、またまたそんな。それ先輩流のアメリカンジョークっスかー?」

「いやジョークとかじゃなく!つかアメリカン?」

「そんな可愛い顔で一人称俺とか言われても信じらんないっスよ。先輩はどっからどう見ても、可憐で、キュートで、華やかで、ヴェリースウィートで、男なら惹かれずにはいられようなマブい女の子っス」

 マブいって死語だよなーとか私が思っている間に、ぴきっ、と再び七緒が音をたてた。今度は引きつったわけではなく、きっと―――。

「…てんめぇ…」

 やっぱり青筋の方の音。

 当然といえば当然だけど、七緒は女に間違えられるのをものすごく嫌がる。ていうかキレる。説明しても信じてもらえない時は、特に。

「男だっつってんだろが!」

 と、七緒は自分の着ているジャージの上着をガッと捲り、

「眼球ひんむいてよーっく見やがれ!!」

 意味不明な台詞と共に露わになったのはもちろん、女らしさの欠片もない(でも何か色気がないとも言えない)真っ平らな水平線胸。

「…………。」

 さすがに今度は、禄朗も笑わない。

 その表情は何ていうか――名画ムンクの叫びのような。ただし色は一切ついていない。彼は完全に真っ白だった。

 沈黙が、頭に、肩に、心に重い。

「――へっくし…っ」

 本日何回目かわからない七緒のくしゃみが、すっかり暗くなったこの細い道に響き渡った。

「……ぉ…おと、こ…?」

 ぽつりと、禄朗が呟く。魂が抜けたかのような細く弱々しい声だ。

 ようやく冷静さを取り戻したらしい七緒は、ジャージの裾を元に戻した。

「…信じてくれた?」

 その七緒の問い掛けに返事はなく。

 禄朗は生気のない顔のままぼうっと宙を見つめている。瞳の薔薇は枯れてしまった。

「…そこまで言ってくれる気持ちはありがたいよ。でもやっぱり性別に問題ありだし――いや、それ以前に俺、今は部活一筋でいきたいっていうか、誰ともそーいう関係になる気はなくて…だから――ごめん、な」

 黒岩先輩の時と同じ、どこまでも七緒らしい返答。

 私は少しホッとして――そして、やっぱり少し悲しかった。

 けど、当の禄朗の耳にその言葉が届いていたかどうかはわからない。ショックのせいかほとんど白目状態の彼の頭の中には、さっきからあの3文字しか渦巻いていないらしい。

「おとこ……オトコ……男………七緒先輩が、男──…」

「あの、禄朗?聞こえてるか?」

 名前を呼ばれた禄朗が、ぴくっと動く。

 そして、

「う…うわあぁ!!!」

 絶叫しながら、夜道の向こうへと走り去っていった。

「あ、ちょっと…っ」

 私と七緒は、しばし呆然。

「……」

「…あーあ、泣かした」
















 同性まで虜にしてしまうほど愛らしい東七緒君は、当然ながらエプロンもよく似合う。それが私のお母さん用のあの無駄にごてごてと飾り立てられているものなら、尚更。

「…ありえねぇ」

 禄朗の告白から数十分後、私の家の台所にて。

 ピンクなフリルを摘んだ七緒の一言に、今の気持ちが全部凝縮されている。

「しょうがないでしょー。うちにはそういう系のエプロンしかないんだもん。私だって我慢してんだから、七緒も頑張って着てよ」

 いつもの彼なら怒濤の勢いで拒否しているであろうそのエプロンを、七緒は溜め息1つ吐くと諦めて着た。

「七緒、かーわいーい」

「うっせー」

 本来の持ち主であるお母さんは買い物かどこかに出掛けているらしく、家には誰もいない。早い話が今、私にとって「好きなあの子と2人きり☆」という非常にオイシイ状況なわけなんだけれど。出会って14年もたつ相手だからか、緊張感も何もあったもんじゃない。

 料理の基本っていえばまずこれでしょー、という私の安易な考えから始まった林檎の皮剥きに2人並んで取り組むだけだ。

 七緒はぼーっと両手を動かしていた。

「七緒、手ェ危ないっ」

「おわ」

 間一髪、包丁は七緒の指に触れずに止まった。

「しっかりしてよ。七緒の指が切り落とされるとこなんて見たくないからね、私」

「…うん」

「…そんな気ィ抜けた状態で料理特訓して平気?」

「…うん」

 さっきからやけに素直だ。つい数時間前まではいたって元気だった七緒がこんなふうになってしまった原因は、単純明快明々白々。

「進藤禄朗の事、気になってるんでしょー?」

 その言葉に、七緒は包丁と真っ赤な林檎をまな板の上へ置いた。

「俺――まさか泣かれるなんて思わなかったから、びっくりした。何かどーしたらいいのかわかんなくて」

「……わかんないって事は、付き合っちゃう可能性もあるわけ?」

「だから、それはないって」

 七緒は困った顔で、

「でも禄朗は真剣に気持ち伝えてくれたわけだし、こっちも真剣に答えなきゃと思ったんだけど――やっぱ、どーすりゃいいのか……」

 と、頭を抱えた。

 禄朗の涙は、普段あまり悩むという事がない七緒に相当なショックを与えたようだった。

「…いーんじゃない、禄朗。不良ぶってるけど誠実そうだし、幸せにしてくれると思うよ。付き合っちゃえば」

 思わず口をついて出たのは、本心とは裏腹の言葉。

 何だか七緒も禄朗も、あまりに真剣なもんだから。あぁ本当に、心の底から悲しいくらい素直になれない、杉崎心都。

「…お前、なんか怒ってない?」

「全っ然。超ルンルン気分よ。怒ってるっていえばさっきの七緒でしょ。女に間違えられるのなんて慣れてると思ってたのに、『よっく見やがれ』なんつって、珍しくキレたね」

「あー…」

 七緒が歯切れの悪い返事と共に私を見る。じっと、睨むような表情で。

 何ガン飛ばしてんだよー喧嘩売ってんのか。と、私は冗談交じりに返すつもりだった。

 なのに。

 3秒後の七緒の言葉は、私を呼吸困難に陥らせた。


「心都がいたから」


「ぐほっ。……え?」

 むせた。

「――だから」

 いちいち繰り返させんなよ、とばかりに面倒くさそうな七緒。

 さっきよりも少し大きな声で、言う。

「心都の前では女に間違えられたくなかったんだよ、俺は」

 呼吸困難を通り越して、呼吸停止だ。

 ねぇ、七緒。恋する乙女は皆、自意識過剰の妄想族なんだよ。つい最近までジャージを愛用していた私が乙女かどうかはともかく。つまり私は、その言葉を自分に都合のいい方向で受け取っちゃうからね?あまつさえ心ときめかせちゃうからね?

「七緒…それってどういう――」

「だってお前すぐからかうじゃん」

 と、七緒が口を尖らせた。

「はい?」

「俺が女に間違えられると、めっちゃからかうだろ。今日も、水も滴るいい女ーとかって。だから心都の前では絶っっ対に間違えられたくなかったんだよ」

「……あー、そーいう事ね、はい」

 ときめき終了。

 今までに何回も経験したパターンだ。どうやら七緒は、人(主に私)にほのかな期待を持たせた後それを盛り下げるつまらないオチをつけるのが得意らしい。しかも、全部無意識に。だから余計たちが悪い。

「でもな、今に見てろ。そのうちすっごい背ェ伸ばして柔道も強くなって、絶対間違えられないくらい男らしくなってやるから。そしたらちゃんと謝れよー?『今まで散々からかって悪うござんした』って」

 わけのわからない宣戦布告を得意気に繰り広げる七緒に視線を遣りながら、私は心に誓った。

 もう、めったな事では舞い上がったり沈み込んだりしないからな、絶対に!

 ――だって何か悔しいし。それに、こんな奴の一言にいちいち一喜一憂していたら、きっと私の心臓がもたない。

「へいへい。わかったからさっさとお料理教室進めちゃおうよ」

 私は皮剥きを再開するために包丁を持った。

「…あのさ」

「ん?」

やっぱり、宣戦布告に一言返したい。

「……強くなってよ?マジで」

 七緒が柔道に夢中になっている姿とか、技が決まった事を嬉しそうに話す笑顔とか。

 それは、いつも、切ないくらいに眩しくて。

 だから。

「……これでも応援してんだからね」

 いつまでも笑っていてほしいんだ。

「うん」

 七緒はちゃんと頷いてくれた。

 私の大好きな、いつもの綺麗な瞳で。




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