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18<ジンジャークッキーと、恋の傷>

 駅前のおしゃれな喫茶店で、生まれて初めてジンジャークッキーを食べた。

 しょうがといえば豚肉のしょうが焼きか、すりおろして豚汁に入れるくらいしかイメージがなかった私にとって、それを使ったスイーツというのは馴染みがなく、味の想像が全くつかなかった。

 でもメニューには「当店一番人気」と書いてあるし、ケーキがやたら高いこの店の中では比較的頼みやすいお値段だったので、それをオーダーした。

 一口かじると、さっくりとした食感とともに優しい甘さが口に広がり、あとからほんのりスパイシーな風味がやってくる。

 衝撃を受けた。しょうがが全然邪魔じゃない。むしろ砂糖とバターを良い感じに引き立てている。後味がすっきりしている分、いくらでもいけそうだ。

「おいしい!」

「でしょ。私、ここのジンジャークッキー大好きなんだ」

 と、目の前に座る青山さんが言う。

 さすが、大人びている子はお菓子の好みもかっこいい。

 コーヒーを一口飲んで、青山さんはあらためて私に向き直った。

「ごめんね。せっかくの土曜日に急に呼び出しちゃって」

 申し訳なさそうにそう言う彼女の肩で、綺麗なボブカットの毛先が揺れた。


 青山さんとは夏休み中の塾の夏期講習で同じクラスだった。

 中学では隣のクラスで、それまであまり話したことはなかったけれど、夏期講習をきっかけに仲良くなったのだ。

 ──そういえば2学期に入ったばかりの頃、彼女が焼き増しして持ってきてくれた写真がきっかけ(?)で七緒と暴力沙汰の喧嘩になったこともあったっけ。あの日の七緒は最高に底意地悪かった。思い出し笑いならぬ、思い出し怒りがふつふつこみ上げる……。


 まぁ、とにかく、ただの顔見知り以上には仲良くなった青山さんだけど、それでも決して頻繁にメールをするようなことはなかった。

 だから昨日の夜、草木も眠る丑三つ時に悪夢で目覚めた私は、ピカピカ光る携帯電話のランプが告げる未読メールの差出人が青山さんであることに驚いた。

 受信時刻は23:50。昨日は七緒との今後の関係のなんやかんやに悩み疲れて23時には眠りに落ちてしまっていたから、気付かなかったのだ。

『杉ちゃん、明日ちょっと話せないかなー?』というシンプルな内容のメールに、私は思わずドキドキした。急な呼び出しの要件も気になったし、いつのまにか青山さんの中で私のあだ名が『杉ちゃん』で決まっていたことにも驚いた(この間まで『杉崎さん』だったのに)。

 でもそれより何より、大人っぽくて綺麗な青山さんと休日に落ち合ってお茶するだなんて!

 どんなお店に行くんだろう。

 どんな服を着て行こう。

 舞い上がり気味な私は、クローゼットからよそ行き用のワンピースやらスカートやらを引っ張りだしてひとり夜中のファッションショーを始めた。

 でも、どれも微妙に生地が薄く季節外れな上に、いかにも「気合い入ってます」的な格好がひどくダサく思われるような気がして、やめた。


 予想通り青山さんは、お気に入りだという素敵な喫茶店を待ち合わせ場所に指定してくれた。

 明るすぎない照明が上品な店内には、アンティーク調の机や椅子、振り子式の柱時計が置かれている。耳をすませばさりげなく聞こえるくらいのクラシック音楽のBGMが心地良い。

 そして結局私は、普段着のニットに洗いざらしのジーンズ、辛子色のぺたんこ靴、ネイビーのショートダッフルコート……というおしゃれでも何でもない格好になったのだけれど。

「しかも夜遅くに急にメールしちゃって悪かったね。昨日寝てたでしょ?」

 青山さんの胸元がキラリと光った。シックな青いブラウスの襟から下にかけて広がるビジューが角度によって輝き方を変えている。机の下で組んだ足の黒いスキニーも、スラリとしていて長身の彼女によく似合う。

 かっこいいなぁ。

 私は思わず見とれそうになって、慌てて口を開いた。

「全然気にしないで! むしろこんな素敵なお店で一緒にお茶できてラッキー」

 ひとくち紅茶を飲むと、これまたお上品な美味しさが口いっぱいに広がった。やっぱり普段家で飲むティーバッグとは違う。


「で、何々? 話って」

 青山さんはコーヒーカップを静かにソーサーに置くと、口を開いた。

「そんなに大した話じゃないんだけど……あのさ、杉ちゃん、冬休み中の冬期講習は参加する?」

「うん! また通う予定だよ」

 数ヶ月前に夏期講習に参加していた学習塾では、冬にも受験対策の短期講習が行われる。

 私のように普段は塾に通っていなくても、長期休みの間だけこの講習に参加する生徒も少なくない。特に受験本番直前の冬休みは夏に比べて受講者数も多く、クラス編成などもかなり大規模なものになる。

「っていうか青山さん、その話題超タイムリー。ちょうどおととい両親と話して参加することに決めて、今日このあと塾まで申し込みに行くつもりだったの」

 そう言って私が鞄から取り出した申し込み用紙をピラリと見せると、青山さんは笑顔で手を打った。

「良かった! 私も先週申し込んできたところなんだ。あそこの冬期講習って夏の何倍も厳しいらしいんだけど、杉ちゃんも一緒なら頑張れそう」

 嬉しいことを言ってくれる。

 青山さんって、普段は大人っぽくて切れ長の瞳がかっこいいんだけど、笑うと目尻が下がってえくぼができて、ちょっと幼くなる。

 可愛い。もし私が男の子だったら確実に今の笑顔で落ちていたぞ。

 きっとヘラヘラと締まりのない顔になっていたに違いない私に向かって、青山さんが身を乗り出した。

「ねぇ。実は、なんでわざわざ杉ちゃんを休日に呼び出してまで直接聞いたかっていうと……頼まれたんだよね、私」

 彼女は声を潜めてそう言うと、いたずらっぽく笑った。今度はえくぼができなかった。

「頼まれた? 誰に?」

「ほら、夏期講習で一緒だった、他校の鈴木と加藤とかって覚えてる? あいつらも冬参加するみたいなんだけどさ、こないだゲーセンでばったり会ったときその話になって。『杉崎さんも来るかどうか聞いてきてくれ!』ってしつこいの」

「あぁ、あの2人か……。プロレス魂が騒いでるだけでしょ」

 私はガックリと肩を落とす。ちょーっとだけ期待して損した。

 夏期講習で同じクラスだった、プロレス好きの鈴木・加藤コンビ。私の不本意な十八番であるアン●ニオ猪木の物真似がなかなかヒットだったらしく、夏期講習最終日のプチ打ち上げ会では涙を流して笑い続け、別れ際も「またいつかぜったい披露してくれよな!」と何度も念押しされた。

 どうやらその熱はまだ冷めていないらしい。もちろん会いたがってくれているのは嬉しいけど、こんな求められ方、乙女としてはなんかちょっと……複雑だ。

 しかし、私の反応が予想外だったらしい青山さんは、再び大きく身を乗り出した。

「いやいや、そんながっかりすることじゃないって。私も最初は正直ただの猪木目当てなんだと思ったんだけど、それにしては真剣味があってさ。特に加藤なんて結構マジっぽいよ。これモテ期だよ。モ・テ・期!」

「ううん、それはどうかなぁ……」

「全然嬉しそうじゃないねー。あ、もしかしてもう好きな人いるの?」

 青山さんの問いに、私はグッと言葉に詰まる。

「いるっていうか、いたっていうか……」

「何それ何それ。なんかドラマティックな話?」

 期待されているようで申し訳ないけど、面白い話はできない。こんなのたった漢字2文字の出来事なのだ。

「実はついこないだ失恋したんだよね」

「あちゃー。そうだったんだ。じゃあ今一番辛い時期だね」

 青山さんがちょっと目を細めてしんみりとした口調になる。

 大人っぽい彼女には、やはりそんなビターな経験が何度かあるのだろうか。

「杉ちゃん、その彼とはなんで別れちゃったの?」

 衝撃を受けた。

 ──そうか。彼女のような大人っぽい子にとっては「失恋=恋人同士の別れ」なのか。

 うじうじと長年熟成させすぎて日の目を見ずにカビが生えたような私の片思いとは次元が違う。

「いや、片思いだったんだよね……しかも驚くなかれ、5年間だよ5年間」

「ほんとにー!? 超一途! 純愛じゃん!」

 やっぱり女の子同士というのはこのテの会話が一番盛り上がるものだ。私も青山さんもだんだん恋話モードに火がついてきた。

「5年間も好きで、告白しようと思わなかったの?」

「それが無理だったんだよー。そんなラブラブな雰囲気じゃなかったから」

「なんで? 仲良くなかったの?」

「仲は、悪くはなかったとは思うんだけど……男兄弟的な感じっていうのかな。口喧嘩も多かったし、あとたまにちょっと殴ったり頭突きしたり暴力的な喧嘩も……」

「マジで? 杉ちゃん、好きな人殴るの?」

 ワイルドだろぉ?

 私は紅茶を一気に飲み干すと、おかわりをオーダーした。いい飲みっぷりだねーと青山さんが褒めてくれた。

「今になって思えば、本当に後悔は尽きないよ。だから今、頑張って諦めようとしてるの。いや、頑張らなくても諦められるように頑張ってるっていうか……」

 自分で自分の言葉に混乱してきた。

 私は頑張りたくない。

 諦めることを頑張りたくない。

 頑張らないと諦められない恋なんて諦めたくない。

 でも七緒には絶対幸せになってほしい。

 だからやっぱり諦めなくちゃいけない。

 あぁ、あれだけ爽やかに七緒と握手しておきながら未練がましい自分に嫌気が差す。

 もしも今、楽に恋を諦めるためのマニュアル本とかあったら私きっと買っちゃうよ。5000円くらいまでなら出しちゃうよ……。

 頭を抱える私を見かねたように、青山さんがポンと肩を叩いてくれた。

「じゃあ尚更じゃん。終わった恋の傷を癒すには、新しい恋だよ」

 カラリと明るい口調に、少し救われた気がした。

 新しい恋か。

 思えば私、初恋が七緒だったわけだから、それ以外の人を好きになったことってまだないんだ。

 もし新しい恋を見つけられたら私はどうなるんだろう。想像もつかない。


 重めの悩み事があるときの悪い癖で、私はお上品な紅茶についつい大量の砂糖とミルクを入れてしまった。



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