12<ちょっとホラーと、対処法>
泣くだけ泣いて、泣き続けて、私の嗚咽が「うわーん」から「うう」レベルにまで治まってきた頃。
ぐぅ、と間抜けな音がお腹から響いた。
時計を見るともう12時半。すっかり昼休みの時間だ。
「こんな時でもお腹って空くんだね……」
「しょうがないわよ生きてるんだもん。心都、どう? そろそろ教室行けそう?」
美里の言葉に、私は首を縦に振る。
大号泣の甲斐あってか少しスッキリした。相変わらず心は痛むけど、さっきまでのように我慢できない程ではない。
「もう大丈夫だと思う。ありがとう美里」
「今日の夜はちゃんと目冷やしなさいね。じゃないと明日悲惨なことになるわよー」
お岩さんみたいになった自分の顔を想像してかなりゾッとしたので、「はい」と素直に返事をする。
美里には本当に感謝してもしきれない。
下手ななぐさめや気休めの言葉は一切私にかけずに、ただ泣かせてくれた。一緒に悔しい顔をしてくれた。
このおかげで、だいぶ気持ちが軽くなった気がする。
さて。しかし。
スッキリしたとはいえ、いつも通り笑えるかというとそれは全く別の話だ。
3年2組の教室のドアの手前で、私は思わず尻込みしてしまった。
「……こ、怖っ……」
「心都?」
「美里、どうしよう。教室に入ったら七緒がいるよね? きっといつも通りののん気な顔で」
「そりゃあ、いるでしょうねぇ。同じクラスなんだから」
想像しただけで、胃がキュッと痛く、心はズズンと重くなる。
一体どんな顔していればいいんだろう。
もう一片の望みすらない恋心を抱えたまま、七緒と顔を合わせるのだ。
私はいつものように笑って会話できるのかな?
──いやいや。だからさっきもそうだけど、「できるのかな?」じゃなく、できなきゃダメだ。
彼女になれなかった私のポジションは、もう『良い幼馴染み』であるしかないんだもの。
大丈夫。なんだかんだ私だってもう子供じゃないんだし、きっと実際七緒を目の前にしたら上手くやれる。『女は女優だ』って昔の偉い人も言っているし。あれだけ泣いた後だもの。作り笑いだってよゆーのよっちゃんのはずだ。
えいやっと気合一発、昼休みの教室に足を踏み入れると、そこに七緒の姿はなかった。
「え、なーんだ……」
ちょっと拍子抜け。
でも良く考えればそうだよね。昼休みなんだし、七緒が必ずしもここにいるとは限らない。
力んで入室した自分がバカみたいだ。
──と、軽く息をついた瞬間。
「心都、ドアの真ん中でつっ立ってると、邪魔」
後ろからの聞き慣れた声に、反射的に振り向く。
背後の七緒と目が合っていたその時間は、まるで永遠のようであり、コンマ1秒のようにも感じられた。
「……!」
ぐりん! と捻挫でもしそうな勢いで首を回す。
思いっきり目を逸らしてしまった。
体はそのまま、首だけアサッテの方向に(人体の限界を超えた範囲で)向けている私に、七緒の怪訝そうな声が降りかかる。
「……何してんの」
「べ、べつに?」
「その姿ちょっとホラーなんだけど」
「……」
もはや何も言い返せない。
私はそのままの体勢で、今度は足だけのカニ歩きを駆使して自分の席まで移動した。
「変な奴……」
と、聞こえてきた七緒の呟きは無視だ。無事着席して、首を定位置に戻す。
「さ、美里、お昼食べよ!」
──前言撤回だ。
いつも通りに笑って話すどころか、目も合わせられない。
なんだこれ。
七緒と目が合うと、とてつもなく胸が痛んで、息が止まる。
寂しさと悲しさがこみ上げた後、更に一瞬遅れてやってくる、また別の感情。
その正体に気付いてしまったから、私はお弁当箱を広げたまま、愕然としていた。
「……」
おいおい。なんだこれ自分。
とんでもなく嫌な女じゃないか。
私は私が思っている以上に、人間ができていなかったようなのだ。
その晩、私はベッドに寝転んで、目に冷たいタオルを当てた。
熱を持った瞼に、ひんやりした感触が気持ちいい。
しかし、目元がすっきりするのとは裏腹に、私の心は沈んでいた。
今日、七緒と目を合わせたときに感じた気持ち。
胸に突き上げる寂しさや悲しさと同等の、強い気持ち。
──どうして、私じゃダメだったんだろう。
──私に対して呆れて向けられた七緒の瞳は、子リスちゃんといる時にはどんな色を宿しているんだろう。
──年下彼女を優しく見守る、穏やかな瞳かな。それとも、彼女のあまりの可愛さにメロメロになっちゃってハートマーク状態かな。
──もはや自分の想像力に任せるしかない。
──私だってそんな目に見つめられたかった。
──『彼女』として七緒の隣にいたかった。
あぁ、なんて醜い嫉妬心! 汚いジェラシー!
「……うあーっ! やだやだ! やだー! 最悪!」
自己嫌悪に耐えきれず足をジタバタさせる。ベッドから埃が舞うのも気にせず、ジタバタジタバタジタバタジタバタやり続けると、両足がつりそうになった。
身体的にまで苦しみが来ては堪らないので、ひとまず足を静かに降ろす。
自分の中のドロドロした感情を目の当たりにして、もう、心底絶望だ。
私って、こんなに嫌な女の子だったの?
七緒の幸せを応援することすらできないの?
もはや『彼女』どころか『良い幼馴染み』にもなれそうにない。
とりあえず考えなければいけないのは、今後のことだ。
しばらくは七緒と目が合わせられそうにない。七緒だって、私と向かい合う度にホラーな角度で顔を背けられていたら良い気分はしないだろう。
だったら、できる限り彼と接触しないようにするしかない。
私がこの状況に慣れていくまで。
醜い嫉妬心が薄れていくまで。
七緒の側に近寄るのは避けよう。
うん、それしかない。
強い決心と共に、私は立ち上がった。
ぬるくなってきたタオルを冷やし直すためだ。
洗面所に入る直前、お母さんが声をかけてきた。
「ねえ心都、今日は何かあった?」
帰って夕飯をとるなり自室に籠って濡れタオルで目を冷やし続ける娘を心配気に見ている。
私はタオルを冷水に浸しながらそれに答えた。
「お母さん……。私は現時点でものすごく底意地の悪い、心が狭ーい女の子だよ……。心の都なんて名前付けてもらって、名前負けもいいとこよ」
「あらあらー。そんなことないとお母さん思うわよ?」
「ううん事実なの。……でも! そんな自分を恥じる気持ちくらいはまだギリギリ持ち合わせてるから!」
タオルを捻って絞りあげる。自分の中の嫌な感情を潰すように、力の限り。
「だからなるべく、自分の醜さが露出しないように、周りに迷惑かけないように慎んで行動していくつもりだから……! 自分のためにも、生まれたばかりの可愛いカップルのためにも……!」
ふと鏡を見ると、ぶつぶつ口を動かしながら鬼の形相でタオルを絞る自分の姿があった。
……どうして私じゃダメだったんだろう、だなんて。
さっきは本当に馬鹿げた自問自答をしてしまったものだ。
そりゃこんな女イヤだよなー。
いくら一緒にいる時間が多くとも、うっかり恋愛感情が芽生えたりしないよなー。
うんうん。七緒の価値観は正しかったわけだ。
ひとり頷くと、ちょっと心が軽くなった。
こうやってひとつずつ少しずつ、納得していけばいい。
時間をかけて、自分の中の嫌な感情が消えるのを待てばいい。
そうしたらきっといつか、昔のように七緒の『良い幼馴染み』に戻れるよね。
──今はまだ、胸も瞼もヒリヒリ痛いけれど。