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11<失恋と、ホットココア>

 私の5年間の恋が、おそらく今、静かに終わった。

 辛い、ショックだ、悲しい……そう感じるよりも先に、意外とあっけなかったな──とぼんやり思う。

 私の毎日は、ほとんどが七緒への恋心でいっぱいだった。

 七緒の笑顔が眩しくて、七緒の言葉が嬉しくて、ときには悲しくて。

 些細なことに一喜一憂しながら、いつか気持ちを伝える日を目指して、ジャージから制服に着替えては毎日髪を梳かしていた。

 だからこの恋の終わりは、私の生活の中の大きな一部が欠落することを意味していたのだ。


 にも関わらず、私は意外と落ち着いていた。

 だって、涙が出ない。

 写真撮影の順番が回ってきて、カメラの前の椅子に腰かけ、何を考えるでもなく丸いレンズを見つめる。手慣れたカメラマンに「はい、笑って」と声をかけられ、無難に口角を上げる。

 失恋って、もっと取り乱して泣きわめいちゃうものだと思っていた。我ながら不思議だ。

 だけどこれは今の私には有難かった。


 ──パシャ、とシャッターが切られる。


 あー、笑えて良かった。本当に良かった。

 一生の記念に残る卒業アルバムに、泣き腫らしてボロボロの顔で写るなんて絶対嫌だもの。



「心都、こんなすみっこで何してるの?」

 体育館後方でひとり佇む私の元に、心配げな表情の美里が近付いてきた。

「もう全クラス撮り終わるわよ。そろそろ教室に戻らないと」

「うん……」

「……どうしたの? ……なんかボーゼンとしてるわよ」

 美里の言葉でようやく気付く。

 あぁ、そうか。私って今、呆然としているんだ。決して冷静だとか落ち着いているだとかいうわけじゃない。

 私の中であまりにも衝撃的なことが起こって、それを全く受け入れられていないんだ。

 だから何の感情も湧かずに、ただぼうっとすることしかできないんだわ。


「……私、美里に謝らなきゃいけないなぁ……」

 おそらく苦笑いみたいな変な表情になっているだろう私を、美里はますます怪訝そうに見つめる。

「何を?」

 応援してもらっていた恋が、残念ながら実らずに終わってしまった。親友への申し訳なさが徐々に胸に広がってきて、いっそう情けない顔になる。──ふがいない。

 あまりにも悲壮感が漂ってしまっては、また美里に気を使わせてしまう。

 苦笑いでもいいから、とにかく笑顔をキープだ。深く息を吸って、私は美里に向き直った。


「あのね、簡潔に言うと……さっき失恋しました!」

 美里が大きく目を見開く。

「ごめんね、美里。今までたくさん応援してくれてたのに駄目だったわ。七緒、彼女できちゃったみたい」

「……え、嘘でしょ?」

 静かな声で美里が言う。

 私以上に状況が飲み込めていなさそうな表情だ。

 あはは、と中途半端に私は笑った。

「本当なんだなコレが。──ほら、前にも話題にしたことあったよね、1年生の七緒ファンの、子リスちゃん。あの子がさっき話してるの聞いちゃって。なんか既に恋人歴1ヶ月らしいよー。七緒もさぁ、早く言ってくれればいいのに変に隠したりして水くさいよね。それくらい私ちゃんと祝福するのに。そりゃやっぱり、失恋したわけだから悲しいは悲しいけど」

「…………」

「でもさ、なんか、さっき子リスちゃんと初会話しちゃったんだけど、もう超可愛いわけよ。窓の外から一生懸命背伸びして写真撮影を覗いてて、私に見つかって先生にチクられると思ったみたいで『内緒にしてネ先輩』だって。なんかもう駄目だよね、ずるいよアレは。女から見ても文句なく可愛いもん。あんなの好きになっちゃうよね、普通」

「心都……」

 次から次へと言葉が溢れる。自分の思考が追いつくよりも先に、沈黙を埋めるように口が動く。

 美里は戸惑いを隠せない表情のままだけど、私は嘘を吐いているつもりは全くない。多少のやせ我慢や綺麗事に聞こえるかもしれないけど、これは大部分で本心だ。

「だからあまりにも完敗すぎて、逆に涙も出ないし嫉妬心すら起きないよ。相手が子リスちゃんでラッキーだったのかも。素敵なカップルだもん。これからはただの幼馴染みとして、勝手に温かい気持ちで2人を見守らせてもらうわ。また七緒におせっかいおばさんって言われちゃいそうだけど、」

 そこまで話して、思いがけずに少し言葉に詰まる。

 今までの人生で何度も言った、あるいは言われてきた「幼馴染み」という単語。

 私と彼の関係を最も端的に表す簡単な言葉だ。

 だけど今日は口にした瞬間、妙な違和感を覚える。

 ──ただの「幼馴染み」に、私は本当になれるのだろうか?

 だってこんなにも大きな気持ちを抱えたまま、それを全てなかったことにするなんて。

 恋愛感情を一切挟まない、まるで小さなころのような「幼馴染み」に戻るなんて。

 そんなことが本当にできるのかな?

「……」

 ──いやいや、「できるのかな?」じゃなく、できなきゃダメだ。

 私はこれから自分自身を変えていかなければならない。今後のポジションをきちんと考えなくてはならないと思うのだ。


 長年、私の中の大きな一部としてあったこの恋心。

 楽しいことや嬉しいことがあったら全部彼に話したいと思ったり、彼の笑顔を私が作りたいと思ったり、何かあったら真っ先に助けてあげたいと思ったり──。

 今までは、七緒に一番距離が近い幼馴染みの女という免罪符でギリギリ誤魔化されて許されていたその感情も、もう完全にアウトなものだ。

 だって、今後、それは彼女の役目だから。

 七緒のことを大切に思うのなら尚更、私は望んではいけない。


「だから……しょうがないよね」

 そう言った自分の声が予想以上にか細く震えていて、驚く。

 目の前に立っているはずの美里の輪郭がぼやけて、ゆがんで、はっきりと見えない。

「私は七緒のただの幼馴染みで……『彼女』には、なれなかったから」

 美里が優しく肩を抱いてくれる。

 でも、一度溢れてしまった涙は、簡単に止まらない。







「はい、心都」

 と、言いながら美里が差し出してくれたのは、ホットココアの缶。

「あ、あり、がとう、うっ」

 嗚咽がおさまらず上手く喋れない。それでもなんとか缶を開け、甘い香りを感じながら口をつける。

 ココアの温かさが体に染みわたって、止まらない涙がまた加速する。

「ううう……っ、甘いよ……おいしいよぉー……」

「うんうん、そうね」

 隣に腰を下ろした美里が静かに頷く。

 裏庭の隅の古ぼけたベンチ。私たちはそこに並んで座り、温かい飲み物を煽っていた。

「……ねぇ。4限、サボっちゃったね。ごめんね美里……」

 ぐずぐずと鼻をすすりながら、友人に詫びる。

 結局あのあと体育館から教室に戻らず、美里に手を引かれてここへやって来たのだ。

「良いのよ別に。どうせもうすぐ昼休みに入るんだもの」

 しっかり者の美里がこんなことを言うなんて珍しい。

 しかし、サボらせてしまったのは本当に申し訳ないけど、ここへ連れてきてくれたことには感謝せずにはいられない。

 だってこんな大号泣おさまらない状態のままでは、とてもじゃないけど教室に戻れない……というか、七緒と顔を合わせられない。

「でもおかしいわよ」

 静かなトーンのまま美里が言う。

「な、何が……っ」

 ひぐっ、と喉が鳴る。私は小さな頃から、泣きすぎるとしゃっくりが止まらなくなるタイプだ。

「私、七緒くんは心都のことが好きなんだって思ってたのよ、絶対」

「美里ぉ……さすがにそのなぐさめはちと無理があるよぉ……」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をさらに歪め、私は言った。

「つまんないなぐさめとか気休めじゃないわよ。本当にそう思ってたの。むしろなんで心都は気付かないのかなって不思議に思ってたくらいよ!」

 美里は怒ったような口調だった。華奢で白くて綺麗な手を、胸の前でぐっと固く握りしめている。

「最近の七緒くんずっと変だったでしょ? あれはどう見ても心都へ幼馴染み以上の感情が芽生えてるけど自分自身それが理解できなくて混乱してる顔だったわ! だから絶対近いうち両想いだと思ってたのに、上手くいくと思ってたのに。わけわかんない!」

「そんな……そんなこと」

 もしも美里の言うように、万が一、七緒が少しでも私を「女の子」として見てくれている兆しがあったのだとしても、今となっては何の意味もない。

 七緒にとっての大切な女の子は、今はもう子リスちゃんただひとりなのだ。

 彼の中で、私に対する気持ちが、子リスちゃんを思う気持ちを越えられなかった──それだけが事実だ。


「ごめんね、いつまでもぐずぐずしちゃって……。すぐ泣き止むから」

 美里がキッと私を睨んだ。

「バカ。泣いていいの。今泣かなかったらいつ泣くのよ!」

 私のためにこんなに悔しい顔をしてくれる親友がいて、なんだか幸せなのかもしれない。

 もちろんそんなこと本人に言ったら「何言ってんのよ急に。今考えるべきはそんなことじゃないでしょ!」って呆れられちゃいそうだけど。

 美里の言葉で、自分の中の何かが吹っ切れたような気がした。

 うわーん! と、子供みたいに大口開けて、私は泣いた。




 私の恋。長くて短かった初恋。

 終わっちゃったんだなー。

 その実感が今ようやく迫ってきて、もう、胸が痛すぎる。








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