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7<怒りの呼応と、痛恨の一撃>

「朝っぱらから元気だなー、お前ら」


 山上が私たちを指差し、からからと笑う。

 早歩きで抜きつ抜かれつの争いを繰り広げながら罵り合っていた私たちは、ピタリと動きを止めた。言いようのない恥ずかしさに襲われる。

「や、山上……」

 久しぶり、と山上が笑顔で片手を挙げる。

 私は思わず目を伏せた。

 山上と会うのは約3ヶ月ぶり──私の七緒への想いをあらためて伝え、山上の告白をハッキリ「お断り」したあのとき以来だ。

 気まずい……というわけではないけど、なんとなく居心地が悪く、彼を直視できない。

 もちろん山上の方は全くそんな様子はなく、以前と変わらず快活に笑っている。


 みっともない争いを見られた七緒は、バツが悪そうな表情で乱れた襟元を正した。

「山上、なんでこんな時間にこんな場所にいるんだよ。お前んとこの学校は反対方向だろ」

「へへ、今日西有坂は創立記念日で休校なんだよ」

「じゃあどうして制服なの?」

 思わず私が尋ねると、山上は笑顔のまま言った。

「まぁ、ちょっと野暮用でな。色々あんだよ」

 彼がこんなふうに曖昧な返答をするなんて、あまりないことだ。気になったけど、恐らくちゃんとした理由があるのだろう。

 私たちはそれ以上追及しなかった。


「杉崎、元気そうじゃんか」

 ポン、と山上が私の肩に手を置いた。

 何よ急にあらたまって。

「……? うん、元気だけど」

「そうだなそうだな、元気すぎるくらい元気だ。良いことだ」

 そう言うと山上は私の耳に顔を寄せ、とても小さな声で囁いた。

「でもまだまだ告白はできてねぇみたいだな」

「! な、なんでそんな……」

「見てりゃわかるよ」

 にんまり、面白がるような笑みを浮かべた山上が言う。

 ええ。おっしゃる通り、私と七緒の関係、相変わらず色気も何もあったもんじゃないわ。朝から早歩きでギスギス口喧嘩しているくらいだしな!

 だけどだけど、そう当たり前のように言われると、なんか悔しい。ちょっとは反論したくなる。

 私は山上の首根っこを掴み、今度は逆にその耳に自分の口元を近づけた。先程まで感じていた彼に対する妙な気まずさは、もう微塵もなかった。

 私はヒソヒソと小声で告げる。

「確かにそうだけど、で、でも、全く前進がないわけじゃないんだから」

「ほーぉ?」

「ニヤニヤしないでよっ。マジなんだからね。ちょっとずつだけど、気持ちが近づいてるっていうか、私の努力も全く報われてないわけではないっていうか、」


 ──その瞬間、頭頂部に激しい衝撃があった。


「グフォ」

「なーにコソコソしてんだよ。あんま油売ってると遅刻するぞ」

 通学鞄(当然ながら、結構な大きさと重さがある)を肩に掛け直し、七緒が涼しい顔で言った。

「ありえない! ふ、ふつう鞄で殴る? か弱き乙女を!」

「乙女? どこにそんなもんいるんだよ」

 へっ、と七緒が最高に憎たらしく笑う。

「ここだよ、ここ! ここ!」

「見えねー。視力落ちたかなー俺」

 なんて底意地悪い奴なんだろう!

 大体、まだ始業までは少し余裕がある。私はこいつに殴られなきゃいけないほどの愚行なんて絶対犯していない。

「キィィ!」

 怒りと悔しさで地団駄を踏む私の傍で、山上は大爆笑していた。



「そういや山上、雑誌見たよ。お前でっかく載ってたなぁ」

 怒りを全身で表す私のことは完全に無視で、七緒が山上に話しかけた。

 山上は、彼にしては珍しくなんだか微妙な表情で頭をかいた。

「まぁな。なんか扱いが大袈裟だよなぁ。あんな写真載せられてもどんな顔したらいいかわかんねーよ」

「いや、いい顔して載ってたよ。すげーじゃん。うちの部員にもあれ見てすっかりお前のファンになった奴が……」

 と、ここまで言って、七緒は「うあ」と顔をしかめた。

「どうしたの七緒」

「太一に頼まれてた雑誌、家に置いてきちまった」

 太一というのは、先週七緒に「山上さんのサインをもらってきてくれ!」と強引に『月刊 中学柔道』を渡してきたゴッツい柔道部員、通称クマ吉君(といっても呼んでいるのは私だけ、しかも心の中でこっそりと、だけど)のことだ。七緒はしぶしぶその頼みを引き受けたものの、わざわざ山上を呼び出すなどという手間のかかることはせず、「今度何かで会うことがあったらそのときついでに書いてもらうよ」というスタンスだった。

 つまり、ばったり山上に会えた今日は、サインをもらう絶好のチャンスだったのに。

 七緒が軽く溜息をつく。

「あーぁ、普段はなるべく鞄に入れっぱなしにしておいてたんだけどな。今日に限っていつもより教科書類が多くて重かったから置いてきたんだ」

 その「いつもより重い鞄」で、あんたはさっき私のことをぶん殴ったわけですがね。


 話の主役のはずなのに、きょとん顔なのは山上だ。

「なんだ東、俺に何か用でもあったのか」

「山上のサインが欲しいって言ってるやつがいるんだよ。雑誌のお前が載ってるページに、宛名付きで」

 ぶは、と山上が心底可笑しそうにふき出した。

「サインって、なんだよそりゃ。俺は芸能人じゃねぇぞ。面白い奴だな」

「良かったら今度頼むよ」

「あぁ、わかった。俺なんかのサインでよけりゃいつでも書くよ。筆記体のかっこいーのじゃなく、普通に記名するだけだけどな」

 サイン書くよ、なんて芸能人でもない普通の人間が言ったら、場合によっては嫌味な感じに取られかねない。しかし山上はあまりにも爽やかに明るく言うものだから、そんな印象は全く受けず、むしろ自然なことにすら思えた(むむ、これは既に彼からスターの風格が出始めているということか?)。


「そんじゃ、俺こっちだから」

 Y字路の別れ際、山上は私に向かい意味深な笑みを浮かべた。

「杉崎、さっきの言葉ちょっとだけ信じてやるよ」

「え?」

「全く前進がないわけでもないみたいだな」

 私が何か言い返す前に、山上は「んじゃな、東」と七緒に手を振り、行ってしまった。

「なんだ今の」

「わ、わかんない……」

 私は七緒の問いに口ごもりながら、頭の中では今の山上からの言葉を反芻していた。

 全く前進がないわけでもない──山上は、私の発言を認めてくれたようだった。

 それはそれで喜ぶべきことなんだろうけど、我ながら「なんで?」という感じだった。最初は半信半疑だった山上を改心させるような出来事は、今の数分間に特になかったような気がするんだけど。

 爽やかな朝日の中、謎を残し、山上は去って行った。


「……」

「……七ちゃん」

「七ちゃんて呼ぶな。なんだよ」

 私は自分の口元を両手で囲い、メガホンを作った。

「七ちゃんのバーカ、アーホ、女顔、天使顔ー。美少女に間違えられて男からナンパされる率80%ー」

「…………お前、喧嘩売ってるな?」

「うん。あんぽんたん、おたんこなすー。ご老人に道を尋ねられるとき『お嬢ちゃん』って言われる率90%ー」

 彼の怒りがふつふつと温度を上げ、限界点に達する少し前を見計らい、私はすかさず疑似メガホンを外した。先程の七緒よろしく、最高に憎たらしい笑顔を浮かべながら。

「はい。今の私の言葉、なかったことにして」

「は?」

「取り消して。忘れて。だから怒らないでね」

「何言ってんだお前」

 ついに気でも狂ったのか? と言いたげな七緒の怪訝な視線。そんなものにはビクともせず、私は彼の前に立ちはだかった。

「あんたがついさっきやったことをそのままお返ししたまでだけど! 急に身勝手に発言撤回される気持ちがわかったか!」

 山上の登場でうやむやになっていたけど、私は七緒の「昨日のことは全部忘れろ」発言を、これっぽっちも承諾なんかしていない。

 あんなに人の心を揺さぶることを言っておきながら、ずるいよ。

 その言葉がガツーンと響いて立ち直っちゃった昨日の私はどうしたらいいわけ?

 七緒は心底うんざりしたような表情で、私を睨んだ。

「まだその話ほじくり返すのかよ! しつこいなお前も」

「し、しつこい?」

 そんなこと言われたくない。

 だって、そもそも七緒が一方的すぎるのがこの言い争いの始まりなのだ。私はただ、納得できないことを追及しているだけ……なんだけど。

 それでも一瞬ひるんでしまったのは、彼の「しつこい」に、我ながら若干の心当たりがあるからだろうか。

 そう、私ってしつこいのだ。

 何しろ5年もこの幼馴染みが好きで好きでたまらないくらいなんだから、そのしつこさとしぶとさといったらゴキブリ並だ(以前山上に肯定されたこともあったっけ)。

 自分でもよくわかっている。

 わかっているから、私は大きく頷いた。

「しつこくて何が悪い!」

「おい、開き直りか?」

「あんたが忘れろって言っても、忘れないからね! 死ぬまで覚えてる! 末代まで伝えてやる! そして呪ってやる!」

「なんで呪われなきゃなんねぇんだよ!」

 心外だ! といった感じの七緒。

 だけどこちらだって心外だ。

 忘れろなんて一方的に告げられて、「はいそーですか」と頷けるわけないじゃない。

 というか、七緒って、普段はこんなメチャクチャな理論を突き通さない奴だったと思うんだけど。

 本当に、最近の彼はおかしい。おかしいったら、おかしい。


 結局、校門をくぐって教室に入り、お互いの席に座るまで、私たちの不毛な口喧嘩は続いたのだった。







 あぁ。こんなふうになるために、朝から七緒を待ち伏せしていたわけじゃないのに。

 七緒のバカ。

 あんたが変なこと言い出すから、お礼のタイミング、完全に見失っちゃったよ。

 あのとき、保健室での七緒の言葉が、どれだけ私を救ってくれたか──どれだけ感謝しているか──ちゃんと伝えたかったのに。

 ありがとうって言いたかったのに。






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