5<帰路と、星の輝き>
制服に着替えて帰り支度を終え、ひとり校門へと向かう。
当然、辺りに七緒の姿は見えない。やっぱりもう帰ってしまったんだろう。なんだかすごく怒っていたもんな。
お礼や謝罪の言葉を伝える暇もなかった。
じんわりと胸に広がる後悔を噛みしめながら校門をくぐると、
「──心都、大丈夫?」
現れたのは、美里と田辺だった。
バーバリー調のチェックのマフラーが良く似合う美里は、心底心配そうに私を見ている。
一方田辺は眉を八の字にして、美里に半ば引きずられるようにして私の前へと立たされた。
「ほら、田辺くん。さっさと謝る!」
そう言って美里が田辺の頭を思いっきり押さえつけた。
「いてて。栗原、いてえよ。そんなグイグイ押さなくても」
田辺が情けない声を出す。
「あなたがカッコつけて妙な技を出そうとしたせいでボールが心都にぶつかったんだからね」
「う……杉崎、悪かったよ。ほんとごめん。もう中途半端にキャプ●ン翼の真似するのはやめにするわ」
この2人のやりとり、なんだか親子みたいだなー。美人で強気な母と、弱目の息子。
見ているうちに私は面白くなってしまい、笑いをかみ殺しながら田辺の頭を上げさせた。
「いいよ、大丈夫。ぐっすり寝てスッキリしたし、もう全然痛くないから」
「ほんとかよぉ」
田辺がホッとした表情で、またまた情けない声をあげる。こりゃ、私が倒れてから今までの時間、かなり美里に叱られたっぽいな。ちょっと同情するぞ、田辺よ。
「っていうか2人とも、私が起きるまで残っててくれたの?」
既に夕暮れ時。授業が終わってからゆうに2時間は経っている。
「だって心配だったもの。元気になった顔見てから帰りたかったし」
「ずっと校門で待っててくれたの?」
「うん。帰りがけにちらっと会えればいいなと思ってたから。保健室で2人っきりのところ邪魔するのも無粋でしょー」
ふふ、と美里が含み笑いをする。
「なんかほんと、心配してくれて、しかも色々気も使わせちゃってごめんね……」
「何言ってるのよ心都。……本当にもう体調は大丈夫なのね?」
「うん、おかげさまで」
なら良かった、と美里が安心した表情になった。
「じゃあ心都、今度は私がゴメンする番ね」
「え?」
謝られる覚えなんて全くないものだから、私は思わず首を傾げた。きっとかなりの間抜け面になっていたと思う。
美里は綺麗な眉を下げて、私を見つめた。
「心都がこの間の模試の結果返却以来悩んでることは気付いてたんだけど、あまり人に話したくなさそうなのもわかってたわ。でも心都どんどんゲッソリしてくし、このまま何も出来ないのも嫌だったから……七緒くんに喋っちゃったの。七緒くんならきっとなんとかしてくれるって思ったから。心都の気持ちを軽くしてくれるんじゃないかなって」
そう言って彼女は少し困ったように笑った。
「でも勝手に話しちゃってごめんなさい。心都、私にも七緒くんにも必死に隠してたのに」
「美里……」
申し訳なさと感謝で、胸がいっぱいになる。
私はこの友人に、一体どれほど心配をかけていたのだろう。つまらない見栄で悩みを隠して(しかも結局バレバレだったわけだし)、たくさん気を遣わせてしまった。
「美里、ありがとう。心配かけてごめんね……」
美里はにっこり笑ってくれた。
その笑顔を見て、なんだか私はすごく安心することができた。
心にあったかいものが広がる。
ここ数日、どうしてあれほど気持ちに余裕がなかったのか、今となってはわからない。
私の周りは、こんなに温かいのに。私みたいな奴と真剣に向き合ってくれる人が何人もいるのに。
格好つけて虚勢を張って、ひとりで鬱々とすることなんてなかったのに。
「でも心都、なんか本当にすっきりした顔してるわね。やっぱり七緒くんがちゃんと心軽くしてくれたの?」
暗くなり始めた帰り道を歩きながら、美里が尋ねる。
「んー、すっきりしてるのは多分いっぱい寝たからかな」
「何よそれ、色気ないわね。慰めの言葉とか、ちょっと良いムードとかなかったわけ?」
美里は唇を尖らせるけど、残念ながらそのご期待には添えそうにない。
だって保健室での私たちのやりとりは、全くムードなんてあったもんじゃなく、もちろん甘い言葉もなく、むしろ────、
「……怒られた」
「は?」
「七緒に超怒られたんだよね、私」
いや、彼の言葉の意味だけを見れば、あれは褒められたとか感謝されたと言って良いと思う。
だけど七緒は間違いなく怒っていた。
アホか! と力いっぱい怒鳴っていたのだ。
「杉崎、またなんか喧嘩売るようなことしたのかよ?」
呆れ顔の田辺が言う。『また』って何よ、『また』って。
失礼な発言にムッとしかけたけど、よく考えれば身に覚えがないわけでもない。だって私、さっきも思いっきり「七緒になんか言えるわけないじゃん!」だの「察しろよバカ!」だの言ってしまっているものなぁ。
「……そ、そうかも」
「ほら、やっぱそうじゃんか。しょうもねェなぁ」
鬼の首を取ったような田辺の物言いにまたもやムッとする。
くそ、反論できない。
ふと、田辺が記憶を辿るように視線を宙に向ける。
「でも、怒ってるっていうより……俺は東があんなに焦ってんの初めて見たけどな」
「……え」
「杉崎が目ェ回して鼻血出してぶっ倒れたときな。東の奴、そりゃもう焦っててさぁ。人って人間抱えてあんなに早く走れるんだなってくらいのスピードで」
田辺の言葉を聞き、一瞬、思考が停止する。
「な、七緒が保健室まで運んでくれたのっ?」
ちょっと何それ、聞いていない。知らない。
だって七緒、そんなこと一言も言わなかった。普段の彼なら「運んでやったんだから感謝しろよ」の軽口くらい叩きそうなものなのに。
「そうよ、お姫様だっこでね。あの場面、一年生の女の子たちに目撃されてないことを祈るわね。七緒くんとってもかっこよかったから、きっとまたファンが増えちゃうわよー」
と、くすくす笑いをこらえながら美里。
反面、私は全く笑えない。膝から崩れ落ちそうになった。
憧れだったお姫様だっこ──。
そのシチュエーションを、まさかこんなところで使ってしまうなんて。理想と現実のあまりのギャップを、心がかたくなに受け入れ拒否している!
せっかくのお姫様抱っこなのに、目ェ回して鼻血垂らして……なんて、ありえない。
もう、ありえなさすぎて泣けてくるよ。
どうにか涙をこらえたくて顔を上げると、すでに空にはポツポツと星が出ていた。
あぁ、綺麗。なんだかすごく目に染みる。
「まぁ、とにかく東の奴はホントに心配してたよ。だからあんまり怒らせるようなことすんなよなー、杉崎」
と、諭すように田辺が言う。
「……うん」
七緒は私を褒めてくれて、認めてくれて、感謝してくれて。
でも私は七緒に心配かけて、怒らせて──。
細かい理由や理屈や彼の心情はわからないけれど。
このままじゃ駄目だ、と思った。
ここ数日間のうじうじして腐っちゃいそうな自分とは、決別しなくてはならない。
その晩、夕飯を食べ終わった私は、机に向かった。
最近の私に欠けていた、とても落ち着いた気持ちで。
参考書を開き、シャープペンを握る。
わかる問題は、確実に解く。
わからない問題は、ひとつずつ理解していく。
着実に、着実に。
焦って不安ばかりを強めてもしょうがない。
とにかく、やれるだけやるしかないんだ。
七緒が認めてくれた私を、私ももっと信じてみるよ。
頑張ってみるよ。
だってそうじゃなきゃ、今度こそ申し訳なくてあんたに顔向けできないもの。
ねぇ、七緒──。