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3<見栄と、不安>

 幸せとは何かと問われたら、その回答は人それぞれなのだろうけれど、私にとって間違いなく人生の中で大きな幸せのひとつとなっていることといえば、ずばり、食べることである。

 昔から朝ご飯はしっかり食べる派で、遅刻しようが急ぎだろうが1日のスタートにエネルギーを摂取しないと何も始まらないと思っているし、お昼ご飯だって学校生活のブレイクタイムであるのと同時にハードな午後への大切な活力の源だし、何より晩ご飯は1日の欠かせないメインイベントで至福の時間だ。もちろん3時のおやつとデザートも大好き。あと、料理部の完成品を部員みんなでわいわいお喋りしながら頂くのもこの上なく楽しい。

 私の人生で「食」は相当重要な部分を占めている。


 つまり何が言いたいかというと、そんな私が食欲まで失くしてしまうというのは、我ながら結構大変な事態だということなのだ。













「心都、お箸進んでないけど大丈夫……?」

 美里が心配そうに私を見つめる。

 彼女にそう聞かれるまで、私は今が昼食の時間だということも忘れボーっとしてしまっていた。手元にはほとんど中身の減っていないお弁当箱。

「えっ? あ、うん。大丈夫。ごめんごめん」

「……最近、あんまり元気ないわよね」

「そう? 普通だよ。今日はちょっと寝不足なだけ」

 私の言葉を信じきれないらしい美里は、更に何か言おうと口を開きかけた。でも、私はそれを遮って握り拳を作ってみせた。

「ほら、元気元気」

 大切な親友で大好きな美里に嘘をつくのは心苦しい。彼女が私を心から心配してくれているのがわかるから、尚更。

 だけどそれ以上に、今は美里にメソメソと泣きついて余計な手間を取らせたくない。11月に入り、学年全体がいっそう受験に向けてピリピリした雰囲気になってきている。美里だって自分のことで色々大変な時期だろうし、私の愚痴で負のオーラに巻き込むのは嫌だ。


 それに、嘘は半分だけだ。「寝不足」は本当のこと。昨日も深夜まで机に向かい、勉強に励んでいた。

 ……いや、「励んでいた」っていうのは間違いかも。

 よっしゃやるぞと問題に取り掛かっても、1つでもわからない箇所があるともう泣きたくなってしまい、何が原因でわからないのか遡っていくうちにまた1つ2つとわからないことが出てきて、最終的には不安で何も手につかなくなる。集中力も何もあったもんじゃない。ここのところ毎日そうだ。

 そんなことを遅くまでしているから朝も寝坊気味で、更に食欲もないからご飯を抜いている。

 朝を食べていないのに、お昼も不思議と食欲がわかない。頭にあるのは常に受験への不安ばかり。


 D判定の通知を受けてから1週間。

 自分でもわかる。──私、とてつもなく焦っている。


 焦って勉強時間を前より増やしてはいるけど、どうも実のあるものになっているとは言い難い。

 こんなやり方じゃマズいな、とは思っているけれど、とにかく勉強していないと不安だった。でも勉強すればするほど不安も増えていって、もうどうしたらいいのかわからない。

 せめて学校では明るくいよう。さっきも思ったように、美里や周りに余計な心配をさせるのは嫌だ。

 もちろん、人の受験を邪魔したくないっていうのが第一の気持ちだけど──、あと、正直、ちょっとだけ自分の変な意地っていうのもある。

 皆、自分で決めた未来に向かってキラキラ羽ばたこうとしている真っ最中なのに、私だけいまだこんな段階でつまづいているなんて。──格好悪すぎるじゃないか。


 お弁当はちょっと残してしまったけど、いつまでもグズグズしていられない。ボーっとしてしまいがちな頭を振って気合を入れる。

 よーし、大丈夫。明るく明るく。いつも通りに。

 笑って美里の手を引く。

「5時間目、体育だよね。着替えに行こ! ハンドボール楽しみー」

 美里はまだ腑に落ちなさそうな顔をしていたけど、私が強引にハンドボールの話を続けるのを見て、しつこく聞くのを諦めてくれたようだった。

 きっと美里にはバレバレなんだろうな──私が悩みを言いたくないってこと。

 真剣に心配してくれているのに、ごめんね。

 申し訳ないけど、今はその大人な優しさに甘えることにした。


 更衣室の前まで来たところで、はたと気付く。

「あっ、ジャージ、教室に忘れてきちゃった……」

 さすがに11月、半袖半パンの体操着のみで野外の体育はキツい。やっぱり寝不足が続いているせいか頭が回らなくなっているのかも(いや、これはいつもか?)。

「ごめん、急いでとってくるから先に着替えてて!」

 そう美里に言い残し教室まで小走りで戻る。


 途中、廊下で七緒と田辺に鉢合わせた。

 2人とももうとっくにジャージに着替えを済ませ、校庭へと向かうところのようだった。

「心都、何バタバタ走ってんだよ」

「いや、ちょっと忘れ物」

「早くしないと5時間目遅刻するぞ」

「わかってるよー。だから急いでんじゃん」

 と、私が口を尖らせかけたとき、田辺が目を輝かせ会話に割り込んできた。

「なぁなぁなぁなぁ杉崎、今日女子の体育は校庭でハンドボールなんだよなっ?」

「そうだけど。なんで知ってんの?」

「へっへー。まぁ俺の観察眼をナメてもらっちゃあ困りますよ」

 得意気に胸を張る田辺は、とてもとても、うざい。げんなりする。

 観察眼とか言っているけど、どうせさっきのお弁当のときの私と美里の会話を地獄耳でキャッチしていたんだろう。っていうか急いでるって言ってんだからもう行かせてくれよ。

 そう喉元まで出かかったけど、なんとか飲み込んだ。

「今日は男子も校庭の半分使ってサッカーだからな。つまり、俺の華麗なボールさばきを栗原に間近でアピールする絶好のチャンスだ! 燃えるぜ! 俺は今猛烈に燃えている!」

「あー、はいはい。ガンバレ。私いそいでるから行くねー」

 勝手に燃え始めた田辺の横をすり抜けようとしたとき、七緒がおもむろに私を呼び止めた。

「心都、なんかお前……」

 そう言って、彼は私をじっと見た。

「だいじょぶか?」

「え?」

「なんかいつもと違う気が……」

「な、何が?」

「眉毛がいつもより下がってるというか」

「……はぁ?」

 何だそれ。

 妙な言い回しに、思わずズッコケる。

「いやいや。下がってないよ」

「そうか? なんか、いつもと違……」

「お化粧ちょっと変えたからかなー。女子力アップしちゃったかしら、うふふ」

「化粧なんかしたことないくせに何言ってんだよ」

 失礼な。確かに日頃は中学生らしくドすっぴんだけど、少なくともあんたと夏祭りに行ったときはしていたわよ。

 乙女心を踏みにじる発言にブチ切れそうになる。

 だけどそこはグッとこらえて(一応心配してくれているわけだし)、なんとか笑顔を作る。

「別に、普通だよ。大丈夫。そろそろ本当に遅れちゃうから行くね」

 そう言って、七緒となるべく目を合わせないように教室へ向かった。


 眉毛下がってる、って。なんだよ。

 全くわけがわからないけど、少なくとも「いつも通りではない」ことを、なんとなく見透かされているのだろうか──。こういうことでは、鈍感なのか敏感なのかわからない彼だ。

 だけど、私は絶対に彼の言う「眉毛下がってる」を肯定したくなかった。

 私がこの事態を一番隠したいのは、他でもない七緒なのだ。

 だって、ぬるいサイダーを酌み交わしながら「頑張ろう」って誓い合ったばっかりだし。

「心折れてませーん!」って偉そうに宣言しちゃったのもつい最近だし。

 それなのに、今こんなに悩んでいるなんて──悩みすぎて不安で、正直どうしたら良いのかわからなくなっているなんて──最高に格好悪いじゃないか。悪すぎじゃないか。

 言えないよ。七緒。

 ダメダメな私にも、少しのプライドと面目のために、見栄を張らせてほしい。











「心都、あぶなーい!」

 美里の大声で我に返ると、周りの全てがスローモーションに見えた。

 あぁ、私、いつの間にかジャージに着替え、校庭で授業に参加していたんだ。

 ここまで記憶が飛んでるって結構ヤバいんじゃないのか。頭もずっとぼんやりするし、やっぱり睡眠と食事はちゃんと取るべきだな。反省。

 ──いや、それよりも今もっとも「ヤバい」のは、私めがけてサッカーボールが飛んできていることだった。

 おそらく結構なスピードで向かってきているに違いないボールも、不思議とスローモーションに見える。しかしそれ以上に体が重くて頭が働かなくて、避けられそうにない。

「ぐぇっ」

 見事、顔面にクリーンヒット。それと同時に体中の力が抜けていく。意識が遠のく。

 おや? と思う間もなく、さきほどボールで強打した鼻がツンと痛んで、口の中に鉄の匂いが広がる。

 あぁ、これは、鼻血か……。ダサいなぁ。

 せめてぶっ倒れるときくらい、バックに花でも散らして可憐にパタリといきたかったわ。

 そんな若干ズレたことを考えているうちにも、急速に頭の中に靄がかかっていく。


 意識を手放す最後の最後まで、ぐるぐると心に渦巻いていたのは、不安と劣等感。 

 心底自分が嫌になる。

 どうして、私、こんなにダメダメなの?












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