1<スターと、ポエマー>
「1338年、京都に幕府を開いたのは?」
「足利尊氏」
「正解。じゃあ1392年、南北朝合一を行った室町幕府三代将軍は?」
「えぇと……足利義満?」
「正解。んじゃ銀閣寺を建てたのは?」
「足利……ま、政義? じゃない、義政だ!」
「大正解」
と、隣を歩く七緒が笑顔で告げる。
よっし! と、私はガッツポーズを決めた。
もう足利さんはだいぶ完璧。尊氏も義満も義政も義持も義教も義勝も義量もかかってこいや! という気持ちだった。
学校へ向かいながらのプチ勉強会。最近、朝の通学路で七緒とバッタリ会ったときは、なんとなくこれが恒例化してきている。
まぁ、勉強会といっても、お互いちょっとした問題を出し合って一喜一憂するおふざけみたいなものではあるんだけど。
「日本史って同じ苗字の人多いから大変だよね」
私の言葉に、リング付き単語帳を片手に持った七緒がうんうん頷く。
「そこが難所だよなー。足利とか徳川とか源とか平とか」
「そうそう! あと藤原とか北条とか」
そんな会話を交わしながら、近所の公園前を通過し、横断歩道を渡り、十字路を歩く。
あと少し行けば、学校はすぐそこだ。
ふと、七緒の方を見遣る。
ついこの間まで半袖ワイシャツの夏服だった気がするのに、いつのまにかセーターにブレザーまで着てすっかり冬服装備だ。
もう10月下旬。季節はすっかり秋。
「何?」
私の視線に気付いたらしい七緒が言う。
「いや別に」
「あっそ」
あぁ、私たちって今、受験生まっただ中なんだよなー。
なんだか、しみじみそんなことを思った。
家が近所の幼馴染みだから、七緒と2人で学校へ行くことなんて今まで何度もあった。幼い頃から、いつもくだらない馬鹿みたいな話をしながら通学路をだらだら歩いていた私たちだった。
だけど今は、こんな通学途中の僅かな時間も2人で惜しんで受験勉強(と言って良いのかわからない程度のものだけど)するようになるなんて。
なにやら言いようのない気持ちだ。
自分の意志とは関係のない、何か巨大な力にぐいぐい引かれ進まされているような不思議な気分──そんなものを近頃たまに感じるのだった。
「ねぇ、七緒」
「ん」
「なんかさー、時間って着実に流れていくんだよねぇ……」
「急になんだよ、ポエマー気取りか」
「秋だからね」
「そうか」
「受験、合格したいよねぇ……」
「そうだな」
そうしたら、七緒とは遠く離れ離れになってしまうけど。
今はそれよりも、彼の夢が叶うことを私も願いたい。応援したい。彼の夢は私の夢でもあるんだから──なーんて言ったら、ちょっと格好つけすぎだろうか。
もちろん実際にお別れの時が来たら、信じられないくらい悲しくなっちゃうかもしれない。行ってほしくない! と往生際悪く思ってしまうかもしれない。
だけど今はとにかくその実感がないのだ。ここまで一緒にいた時間が長すぎて、「七緒と離れ離れになる」という状況が上手く想像できない。
だから私は、無理に整理しようとするのをやめた。
七緒のことを応援したい──その気持ちだけをちゃんと感じることができたのだから、今はそれでいい。それだけで、じゅうぶん。
学校へ到着して七緒と2人、教室へ入ろうとしたときだった。
「おーい、東」
数メートル離れた廊下の端から、野太い声が七緒を呼んだ。
つられて私も足を止める。
大股でこちらに近づいてきたのは、隣のクラスの柔道部員の男子。つまり、七緒の部活仲間だ。いかにも柔道やってるッス、というようなガタイの良さに、丸刈りの頭、浅黒い肌、大きな声。全てが迫力満点だけど、つぶらな目だけがやけに可愛らしく、人柄の良さを滲ませている。まるで森のクマさんみたいだ。
顔は知っていたけどちょっと名前が出て来ないので、彼のことはこっそりクマ吉くんと名付けよう。
「おっす、どうしたんだよ朝から」
普段と変わらぬテンションで挨拶する七緒に対し、クマ吉くんは若干興奮した様子で何やら鞄をガサゴソやっている。
「お前、見たか? 今月の『月刊 中学柔道』」
「いや、まだだけど」
「んじゃ、見たほうがいいっ」
そう言ってクマ吉くんが『月刊 中学柔道』11月号を取り出した。蛍光イエローの付箋(大柄な図体に似合わず、結構几帳面らしい)がついたページを開いて、七緒に突き付ける。
当然、後ろに佇む私にもその内容が見える。
柔道の話にはいまいちついていけないしそんなに興味があるわけでもないし、先に教室に入っていようかな。……なんて思ったのは、ほんの一瞬だけだった。
「ほら、ここ! これ、こないだの大会にもいた東の友達だろ? 西有坂中の」
よく知る顔をそのページに見つけた瞬間、私は驚きで釘付けになってしまった。
七緒も驚愕の表情になる。
「わっ、山上じゃん。なんであいつ雑誌なんか載ってんだ?」
雑誌に見開き1ページで載っていたのは、山上の写真。柔道着姿で、相手と組みあっているものが2枚と、やたら凛々しい表情で立っているものと、あと顔のアップの計4枚。下の方には短いインタビュー記事のようなものも載っている。
「七緒、山上って芸能人になるの?」
「んなわけねーだろ。『月刊 中学柔道』だぞコレ」
七緒がクマ吉くんから雑誌を受け取り、私にも見えるように広げる。
山上が紹介されていたのは、『今月のピックアップ』なるコーナーだった。
今年の春までアメリカに滞在していた帰国子女の山上くん、日本の中学校の柔道部に入るやいなやその実力をバリバリ発揮し、個人戦でも勝ち進み、団体戦でも大活躍、部を一躍強豪校へと導いた──。記事の内容は、ざっくりまとめるとこんな感じだった。
「すっげーなぁ、山上……。確かにこないだの大会でもかなりいいところまで進んでたもんなー」
七緒の目が尊敬によってキラキラ輝きだす。当然といえば当然だ。日頃から自分が愛読している雑誌に、友人がまるでスターのような扱いで載っているのだ。
私も素直に感心する。山上が強いことは知っていたけど、私が思っていた以上に相当すごい人だったんだ。
「こんな特集記事組まれて雑誌載って、きっと山上ってばモテモテになっちゃうんじゃないかなー。デビューしたてのアイドルみたいにさ」
「……言っとくけどな心都、この雑誌読んでるのなんて柔道やってるゴリゴリの男くさい奴ばっかだぞ」
「あ、そっか。じゃあ関係ないね」
「でも来年、確実に西有坂中の柔道部への入部希望者は増えるだろうな。山上効果で」
そのとき、クマ吉くんが若干遠慮がちに七緒の肩をつついた。
「あのさー……東、ちょっと頼みなんだけど、山上さんにサインもらってきてくんねぇかな?」
「は? サ、サイン……?」
「友達なんだろ? 俺、その記事読んで超感激しちゃって! こんな近くにツテがあるのに黙ってらんねぇよ! ほら、このページに『太一くんへ』って名前入りで頼む!」
そういうと、クマ吉くん(もとい、本名は太一というらしい)は山上のインタビュー記事のページを興奮気味に指し示した。
げんなり顔の七緒と目が合い、私もなんともいえずに首をかしげる。
前言撤回。
ゴリゴリの男くさい奴も、ばっちりノックアウトされちゃってるみたい。