10<金のたてがみと、河川敷にて>
例えば漫画やドラマや映画で、ライバルの少年2人が「決闘だ!」と殴り合った末にお互いボロボロのメタメタになりつつもなぜか「なかなかやるじゃんか」「お前もな」と結局友情が芽生えてしまって夕日をバックに固く握手を交わす────なんていうシチュエーションは、おそらく高確率で河川敷が舞台だ。
あんなのフィクションの中だけだろ、実際ありえない、と今までの私は思っていた。
しかし、どうやらそうでもないらしいということが今日わかった。
ライオン丸は、自分で誘導した通り、河川敷で1人待っていた。「ここでキャッチボールをしないでネ!」という子供向けの注意書き看板を背もたれに、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら。
「よう進藤。お前がこんな素直に来るなんて、」
「うるっせぇ黙れテメェ笑ってんじゃねぇよクソが」
禄朗は、ライオン丸の言葉を遮り、怒涛の罵詈雑言を連発した。
さっきまではどちらかというと静かに強く怒っていたという感じだった彼だけど、どうやらライオン丸の顔を見てオープンな怒りにチェンジしたらしい。
辺りに華ちゃんの姿は見えない。
禄朗はつかつかとライオン丸に近づいた。禄朗も中学2年生にしてはそこそこ長身なほうだけど、ライオン丸のほうがそれよりわずかに背が高い(たてがみヘアーの分もあるかもしれないけど)。
禄朗は下から上へ、斜に構えて相手を見上げながら睨みつけるような不良特有のあの姿勢でライオン丸にガンを飛ばす。
「テメェとお喋りする気はねぇんだよ。あいつはどこだ」
「6年に上がったばっかの頃、この辺りでお前と取っ組み合いの喧嘩して、そっからつるむようになったんだよな。懐かしいと思わねーか進藤」
「人の話聞いてんかよ」
相変わらずの嫌ーなニヤニヤ顔で唐突に思い出話を始めたライオン丸に対し、禄朗はイラついた様子だ。
だけど私はそれよりも、この2人の河川敷にまつわるエピソードのほうに気を取られてしまった。そんな漫画やドラマや映画のようなことが実際にあるなんて。やっぱり不良の世界はわからない。
ちなみにここまで、完全に私は空気! 圧倒的空気ッ!(……あれっ、すごいデジャブだなこの台詞)
もちろんいざとなったらすぐ参戦できるように鞄の中で参考書に手をかけ、禄朗の後方に待機している。ライオン丸を睨みつけて怒りを表すことも忘れない。華ちゃんに何かあったら、私だってもう黙っていられない。
しかしライオン丸は最初からずっとそんな私には全く触れず、完全に無き者としている。禄朗の後ろで明らかに視界には入っているはずなのに、だ。
これはおそらく、無視しているとかそういうレベルじゃない。おそらくライオン丸には私が「見えていない」のだ。視界に入っていても、その存在は見えていない。だって私はヤンキー漫画では脇役Aなんだもの。
「あーんなに仲良かった俺とお前なんだぜ。オトモダチの誘いを無碍にするなんてひどくねぇ?」
ライオン丸が禄朗に向かって言う。人を馬鹿にしたような挑発的な笑みを浮かべているけど、その眼だけは一切笑っていない。有無を言わさず、という感じだ。
「俺のチームに入れよ進藤」
「入んねぇっっっつってんだろ!」
禄朗、即答。
さすがのライオン丸も若干ひるんだように、笑顔を引っ込めた。
禄朗は低い声でさらに続ける。
「何度も言わせんじゃねぇよ。俺はもう喧嘩とか暴力とかそういうのは卒業したんだよ。色々解決しねぇこともわかったし、悲しむ人間もいるし……他にやらなきゃいけねーこともできたからな。お前ももうやめとけよなんて言う気もねェけど、やるなら勝手にやってろ。俺を巻き込むんじゃねーよ」
場違いは百も承知で──私は、少し感動してしまった。
自分が荒れることで悲しむ人っていうのは、きっと華ちゃんのことなんだろう。禄朗は華ちゃんの優しさ、健気な気持ちを(恋心は別として)きちんとわかっている。答えようとしている。
何よ何よ、禄朗。あんたもちょっと成長しているじゃないの。おせっかいクソババアは嬉しい。
だから今日2回も私に向かって「ぶん殴るぞ」と拳を向けたことは、きれいさっぱり忘れてあげる。決して根に持たないことにする!
しかし世の中そんな感受性豊かな人間ばかりではない。ライオン丸は再び挑発的な笑顔を取り戻すと、決定的な切り札を突き付けにかかった。
「進藤、お前わかってねぇんだな。俺にあんまりナメた口きくと──お前の大事なあの子が傷付くんだぜ」
言いようのない怒りがこみ上げる。頭の中がチカチカして、火花が弾けて爆発しそう。そのあまりの憎らしい口調に、私は思わず参考書を取り出して前に飛び出しそうになった。この卑怯者! と大きな声で叫びたい。
しかし、禄朗のほうが数秒速かった。彼は驚くべきスピードと勢いでライオン丸の胸倉をつかみ上げたのだった。
「テメェ、あいつに何かしたらコロスぞ」
鬼のような形相だった。
きっと、脅しなんかじゃない。禄朗は本当に殴ってしまうかもしれない。それくらいの強い怒りが彼の全身からビリビリと発せられている。
それをライオン丸も感じとっているのだろう。笑顔が消え、わずかに身構えたような表情になる。あんな怖い顔で迫られたのだから当然といえば当然だ。私だったらきっとビビりすぎて気絶してしまうと思う。
しかしやはりライオン丸、そう簡単には引かない。再び挑発的な笑顔(若干引きつってはいたものの)を作って言う。
「暴力は卒業したんじゃなかったのか?」
「……」
禄朗が拳を握りしめる。血管が浮き出て震えるくらい、強い力を込めているようだった。
彼はやがて胸倉の手を外して、ライオン丸を睨みつけた。
「へえ、本当に殴らねぇんだ。とんだ腑抜け野郎になっちまったな進藤」
こんなのひどい。
華ちゃんを悲しませないために、約束を守って暴力を卒業した禄朗なのに。
それを相手に逆手に取られて、華ちゃんを救いたいという気持ちが阻まれてしまうなんて悲しすぎる。
もちろん私だって禄朗に暴力はふるってほしくない。だけど禄朗がライオン丸を負かす以外に、この状況をどうやって打開すればいいのだろう? 「一発だけなら許す!」とか、駄目?
あぁ、どうしよう。放っておけずについてきたはいいものの、結局私はまた何も役に立っていない。
自分の不甲斐なさがツラい。
どうしたらいいのか。誰か教えてよ!
ヘルプを求めた瞬間、幼馴染みの顔が脳裏に浮かんだ。
──こんなとき、七緒だったらどうする?
必死に頭を回転させ、案を考える。
七緒だったらきっと、きちんと対処することができるんだろう。
だって彼っていつもそうなんだ。まだバリバリ暴力全開だった禄朗の恫喝現場に出くわしたときも──。
ふと、思考が止まる。
私は大きく息を吸った。
「おいこら、ライオン丸!」
自分でも予想以上の大声が出た。
ライオン丸が驚いた顔でこちらを向く。
「なんだこいつ、こんな奴さっきまでいたか?」
存在全否定ですけどー! ずっとここにいましたけどー! なんなら会うの2度目ですけどー!
まぁ当たり前だよね! あんたは脇役Aのことなんか眼中になかったもんね!
禄朗が眉をしかめる。
「ボサボサ女、テメェはしゃしゃり出てくんじゃねぇよ」
「進藤の連れかよ。……お前、つるむ人間のタイプも変わったんだな」
ライオン丸がここにきて初めて、少し悲哀のこもったような声色になった。
どういう意味だよ。かなり失礼。
しかし今深く考えては怒りの方向がまた違うベクトルに向いてしまうので、とりあえずいったん保留だ。
私はライオン丸を見据えると、大きな声で言った。
「あんた……本当はこんなことしても意味ないってわかってるんでしょ! むやみやたらに誰かを殴ったり、まわりのものに当たり散らしたり、力づくで物事を解決したり、そういうのはやめなさいよ! 何の解決にもならないってわかってるんなら尚更だよ! 馬鹿!」
私は、禄朗と初めて出会ったときの七緒の言葉をかなり大胆にパクっていた。
正直ライオン丸が本当に「わかってる」のかなんて全くもって知らない。だって今日会ったばかりだし、私にはそんなこと見抜く力なんてないし。
だけどあのとき禄朗は七緒のこの言葉でみるみるうちに更生(?)したのだ。
……だから、まぁ大丈夫だと思う! この言葉にはきっと不良の心に響く何かがあるんだ。そうでしょ七緒!
しかしその甘い考えは、数秒後ばっさり切り捨てられた。
「何言ってんだこいつ……。ライオン丸って俺のことか? 頭大丈夫かよ?」
ライオン丸が怪訝そうな顔で私を眺めた。
うーわー。私の言葉、全然響いてない。なんで? これって不良が心を改める魔法の言葉なんじゃないの? こいつ馬鹿なの? 私の言葉理解してないの?
ちょっとイラッとしかけて、すぐに気付いた。
──いや、違う。馬鹿なのは私だった。やっぱりよく考えもせず人の言葉を借りるもんじゃない。
予想外の展開に完全に方向性を見失った私。
「と、とにかく、華ちゃんを……返してもらう! あんたからすぐに無傷で!」
文法もままならないまま勢いにまかせて大声で叫ぶと、分厚い参考書を両手に構える。二刀流ならぬ、二書流?
こうなったら私が戦うしかない。禄朗には暴力をふるってほしくないけど、きっとこのライオン丸相手に言葉の説得は無理だ。だったら私が奴に勝てばいい。そうすれば禄朗は華ちゃんとの約束を破ることなく彼女を救える。
ただ一番の難点は、果たして私が彼を打ち負かせるのか? という問題だ。
ライオン丸の金髪たてがみと、たくさんのピアスと、極悪な目つきを眺める。この風貌で実は超弱いとか、ないかな……ないよな。喧嘩とかいっぱいしてきたんだろうなぁ。
私はごくりと喉を鳴らした。
そのときだった。
「禄ちゃん? 杉崎先輩?」
背後から、よく聞き慣れた可愛い声。
だけど今一番聞きたかった声。
慌てて振り返ると、そこには華ちゃんが立っていた。
涼しげな水色のワンピースを着て、右手には夏らしい小さなかごバック、左手には書店の袋を持って。ちょっとそこまでお出かけしてきた帰り道ですよ、という感じで。もちろん特に拘束されたり怪我をしていたりという様子はない。
「こんなところで何してるんですか?」
華ちゃんがきょとんとした顔で、小首をかしげる。
その台詞をそのままお返ししたい。これは幻?
更に驚くべきことに、その背後には、
「うわ、心都お前……何の真似だよ」
参考書を武器のように構えた私をドン引きの表情で見つめる、七緒。
私の頭の中は疑問符でいっぱいに埋め尽くされた……。