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9<着信と、地獄の底>

「でも、あんた本当に大丈夫なの?」

 リッチショコラまん(本当に殴られかねなかったので結局これひとつにした)を頬張りながら、私は隣を歩く禄朗に尋ねた。

「何がだよ」

「もちろん実力テストのことだよ。あんな自信満々に言ってたけど、テストまであと一週間くらいしかないじゃん」

「大丈夫も何も、やるしかねぇだろ」

 禄朗があまりにもきっぱり言い切るものだから、私は「う、うん」と間抜け面で相槌を打った。

「約束は守る男だからな俺は。もしダセェ結果になったら七緒先輩に顔向けできねぇよ」

 そう言って自らの掌にパシリと拳を打ち付ける禄朗を見て、私は何やら確信めいたものを感じていた。

 ──あぁ、禄朗も華ちゃんも、大丈夫だ。

 根拠はないけど、この禄朗の真剣な表情と、先程の華ちゃんの笑顔を思い出すと、なんだかもう絶対的に「大丈夫」と思える。

 だから私にできるのは、温かい目で影ながら見守り、応援することだけだ。

「そっか。頑張ってね」

「テメェなんかに言われなくたって頑張るに決まってんだろ」

「デスヨネー」

 相変わらず彼からの風当たりは強すぎるけど。


「……そうそう。私も禄朗に感謝しなきゃいけないことがあるんだよね」

「なんだよ気持ちわりぃ」

「禄朗にブチ切れられたおかげで、七緒とちゃんと進路の話して『頑張れ』って伝えられたよ」

「……そうかよ」

 全く興味がなさそうな禄朗の返答。だけど私はその言外に「良かったなクソ女」という言葉を勝手に感じることにした。

 だって、8月のあの日、炎天下の元あんなに猛烈な勢いで私を叱ってくれた禄朗だ。きっと進路問題でぎくしゃくしてしまった私と七緒のことを、結構な度合いで心配してくれていたんじゃないかなーと思う。だからこそ禄朗に感謝しているし、こうして報告したいと思っていたのだ。

 ──まぁ、今も別件で七緒と微妙に喧嘩中ですけどね! 急に不機嫌になった幼馴染みの意地悪面が頭に浮かび、また少し腹が立った。思い出し笑いならぬ思い出し怒りってやつだ。

 本当にあれはなんだったのか、1日経った今でもわからずじまいだ。美里は「嫉妬よ嫉妬! 恋の始まりよ!」と大きな瞳をキラキラさせながら力説してくれたけど、私にはどうしてもそう思えない。

 だって……あの七緒が、柔道命で鈍感で今まで何度もこちらを拍子抜けさせてきてくれた七緒が、私に対してそんな複雑な感情を働かせるなんて! ちょっと想像しがたい。こんなときこそ妄想癖全開で頭にお花咲かせて、素敵な可能性を信じてキャッキャできたら良かったんだけど。

 これまで5年間ひたすら彼に恋して見つめてきた私だからこそ、その可能性を否定できてしまうのだ。それがなんとも悲しい。


「お前、ぜってー泣くなよ」

 唐突に、禄朗が低い声で私に命じた。

「え?」

「七緒先輩と離れる日だよ。テメェがグズグズグズグズ泣いたら、先輩だって新しい場所に行きにくくなるだろうが」

 そう言うと、禄朗は私をギロリと睨んだ。

 七緒が遠くに行っちゃう日か──。

 高い確率で来てしまうその日のことを、今は全く想像できない。私はスッキリした気持ちで、笑って手を振れるのだろうか? 七緒はどんな顔で、生まれ育ったこの町を出ていくのだろうか? そしてその日までには、私の気持ちは彼に伝わって、この長い片思いは(良くも悪くも)終わっているのだろうか──?

 想像できない分、悲しみの実感も今は沸かない。

 でも、確かに禄朗の言うことはわかる。七緒だってこれから希望にあふれた新生活に一歩踏み出すというのに、辛気臭い顔で送り出されたくないだろう。

「わかった。泣かない練習しとくよ。……でも禄朗もだよ!」

「は?」

「あんただって泣いちゃうかもしれないじゃん」

「泣くかよ」

「わかんないよー。今はこんな偉そうなこと言っといていざとなったら大号泣かも。『七緒先輩と会えない生活なんて耐えられないッスよぉぉ』とか言って。そしたら七緒も困るだろうなぁ」

 とっさの物まねにしてはかなり上手くできた。しかしそれが本人の神経を逆撫でしたらしい。

「なめてんのかテメェ! 誰がそんなみっともねぇことするか! つーか俺が言ってんのはそういうことじゃなくて──、」


 そのとき、ピルルルル、と無機質な音が鳴った。

 禄朗がズボンのポケットから携帯電話を取り出す。

 ディスプレイの表示を確認して、彼は眉をしかめた。その間も電子音は鳴りやまない。

「出ないの?」

「うるせぇな、言われなくたって出るに決まってんだろ」

 禄朗は受話ボタンを押して本体を耳元に当てると、電話の相手に向かって吐き捨てるように応じた。

「……テメェ何の用だよ」

 うーん。『もしもし』とか『はい進藤です』とかそういうの一切なしですか。相手が誰だか知らないけど、不良だからといって許される電話の受け答えではない。

 彼は将来本当に社会に出てやっていけるのだろうか。おせっかいクソババアは少し心配である。だけどそれを口にしたらまたキレられることは目に見えているので言わない(だって殴られたくないから)。

 禄朗の電話の相手は声が大きいようで、すぐ傍にいる私にまで若干声が漏れて聞こえてきた。

『よう、進藤。さっきはずいぶんな態度とってくれたなぁ!』

 なんだかどこかで聞き覚えのある声だ。

 その挑発的な声色と意味ありげな台詞から記憶を引き出して、すぐに思い出した。

 つい数十分前に会ったばかりの金髪不良少年、ライオン丸くん(本名不明)だ。

「そんなこと言うためにかけてきたのか。テメェどんだけ暇なんだよ。用もねぇなら切るぞバーカ」

 禄朗はイラついた様子で言ったあと、ご丁寧に携帯電話のディスプレイにガンを飛ばし始めた。おいおい、そこ睨んでも喧嘩の相手はいないよー、とはもちろんつっこまない(だって殴られたくないから)!

 しかし、禄朗はさっき電話に出る前からライオン丸くんからの着信だとわかっていたようだったし、おそらく彼の番号は登録してあるということだろう。やっぱり昔は友達だったというのは本当みたいだ。

 だとしたらどうして、こんなに険悪な感じになっちゃったんだろう?


『いいのかぁ? お前。俺にそんな口きいて』

「あぁ?」

『お前の大事なものは俺が預かってるんだぜ?』

 何やら不穏な台詞。

 私は気になって、禄朗の持つ電話の傍に耳を寄せた。おそらく普段だったら禄朗にブチ切れられているであろうこの行為も、今の彼は咎めてこない。ライオン丸くんの言葉の真意が気になっているのは彼も当然同じなのだ。

「どーいうことだよテメェ」

 電話の向こうで、ライオン丸くんが低く笑う声がした。

『さっきお前のこと公園までつけさせてもらったぜ。なぁ、かわいらしい女の子だなぁ。今一時的に“お預り”してるからよ、俺を怒らせるとどうなるかわかんないかもな』

 ライオン丸くんのやけにもったいぶった言葉でも、さすがにここまで言われれば私にもその意味が分かる。

 ──信じたくないけど、まさか。

「……は、華ちゃん……?」

 思わず私の口から出てしまった名前。

 隣で、禄朗が携帯電話を強く握ったのがわかった。

「ぶっころされてぇのか」

 地獄の底から響いてくるような──今まで聞いた中で一番恐ろしい禄朗の声だった。

 いつものように「テメェ!」とか短気に怒鳴っているときの何倍も迫力があるように思える。

『進藤、河川敷で待ってるぜ。“あのこと”、良い返事期待してるからな』

 一方的に話を終えて、電話は切れた。

 ライオン丸なんて可愛いニックネーム付けるんじゃなかった。こいつ陰湿で最低な極悪人じゃないか!


 ツー、ツー、と無情なくらい規則的な音が、携帯電話から聞こえる。

「禄朗……」

「なんだよ」

「……ど、どうしよう?」

「行くしかねぇだろ」

 禄朗がいやに淡々と答える。怒り狂って我を忘れるというような感じではない。

 だけどその手は、とっくに通話の終わった携帯電話をいまだ壊しそうなほどきつく握りしめていた。そして目が異様に鋭く、いつもの何倍もギラギラしている。

 当たり前だけど──すっごく怒っている。それも並大抵の怒りじゃない。

 今もしも彼が人を殴ろうと拳を構えても、私は前のように止められる気が全くしないのだった。むしろ、止めたくないとすら思っていた。華ちゃんに何かしたら、あのライオン野郎、絶対に許せない。

「でも……なんで? “あのこと”って何? あんたここまで恨み買うようなことしたの?」

 していないよね? とは言えないのがなんともツラい。だって、学校一の問題児の進藤禄朗──暴言吐きまくり、ガン飛ばしまくり、去年までは対人暴力や無茶な因縁や器物損壊までなんでもござれ状態だった彼だ。私自身心の中で禄朗に対して「あんたいつか街中で刺されるよ!」と叫んだこと数知れず。

 だけどまさか、傍にいる華ちゃんをこんな人質みたいにして巻き込んでくる奴がいるなんて──。

 ついさっき見たばかりの彼女の柔らかい笑顔が頭によみがえって、私はなんだか泣きそうになる。


 一度は「うるせぇな」と一蹴された話題だったけど、状況が変わった今、禄朗はそうしなかった。

 彼は自分自身を落ち着かせるように、静かに話し始めた。

「……あいつとは小6のとき同じクラスで、まぁ見りゃわかると思うけど似たようなクソガキだったから、しょっちゅうツルんでたんだよ。けど別々の中学になって、そっから自然と連絡とることも減ったんだ」

「……うん」

「でも、中2になった頃から、あいつに言われるようになったんだよ。不良チームを作ることにしたから入れだとか、俺とお前ならこの地域のトップ狙えるだとか。断ってたんだけど、あいつしつけぇんだよ」

「うわ、だせぇ!」

 本音中の本音が出た。

 言葉遣いが悪くて申し訳ない。だけどそれ、もう色々と超だせぇよライオン丸!

「正直、1年の頃の俺なら誘いに乗ってたかもわかんねぇ。でも今はそんなことする理由も暇もないからな。それがあいつは気に入らなかったんだか何だか知らねェけど、『中学入って腑抜けちまった』だとか『真面目ぶってんじゃねぇ』だとかいちゃもんつけてくるようになってよ。最初はシカトしてたけどあまりにもしつこくてウゼェからそろそろ決着つけてやろうかと思ってたら……。あのクソ野郎」

 バキ、と妙な音がしたので、禄朗の手元に視線を移す。

 彼がギリギリと握りしめていた携帯電話が、今、無残にも破壊された瞬間だった。

「あーっ馬鹿! それ壊しちゃったらあいつとの連絡取りようがなくなっちゃうでしょ!」

「あいつと話すことなんか何もねぇよ。場所はもう指定してきてんだからな。ただ捕まえて自分のしたことを後悔させてやるだけだ」

 へ、と禄朗が笑った。

 当然楽しくて笑っているわけではないのだろう──怒りが全身に回りすぎて、力が有り余って、目だけがギラギラ燃えている──そんな表情。

 すごく怖い。禄朗の笑顔も、脅迫電話も、華ちゃんの身の危険も、急に訪れたヤンキー漫画のようなこの展開も、ライオン丸のダサさも、もう全てが怖くて怖くて涙が出てきた。


「ボサボサ女、テメェは家帰って飯食って寝てろ!」

 禄朗が私を振り払うように走り出す。

「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だー!」

「泣きながら並走すんじゃねぇよ! 鼻水出てんだよ気色わりぃな」

「いーやーだー!」

 たとえヤンキー漫画では脇役ポジションにしかなり得なさそうな私でも、大切な後輩が人質にとられているのなら話は別だ。

 今日は鞄の中に割と重めの参考書が2冊入っているんだ。いざとなったらこれを武器に私だって戦ってやる。


 ──華ちゃん、どうか無事でいて!

 ──そしてライオン丸、何度も言うけどあんた本当にダサいよ!











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