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7<あの子の決意と、震える手>

 それ以上ライオン丸くんのことを訊ねる気にもなれず、私はおとなしく禄朗の隣を歩いた。

 彼はなんとなく先程よりも不機嫌さが増してしまったように見える。私は年長者らしく場の雰囲気を和ませようと、ときたま「9月入ったけどまだまだ暑いねー」とか「ワックス変えた?」とか話題を提供してみたけれど、禄朗に相手にされずことごとく終了した。

 なんだよ、絡みづらいな。

 こっそり禄朗を睨みつけたら、すぐに気付かれて「何ガン飛ばしてんだゴラァ」と凄まれた。

 くっそ、短気な奴。そんなんじゃ社会に出てやっていけないぞ。


 微妙に険悪な雰囲気を引きずったまましばらく進んだところで、華ちゃんの住んでいるというマンション前に辿り着いた。

 白を基調とした20階建ての大きく綺麗な建物だ。煉瓦造りの敷地内道路の両端にはスマートにカットされた木々や花壇が置かれ、更にそこそこの広さの公園まである。

 あらま華ちゃん、素敵なところに住んでいるなー。などと感心しつつ辺りを見回しているうちに、私はあることに気付いた。

「あれ? あそこにいるの……華ちゃんじゃない?」

 数十メートル先にある、マンションの敷地内の公園。ブランコに制服のまま腰掛けている2つ結びの女の子は、遠目だけどどう見ても華ちゃんだ。どことなく強張った彼女の顔に、私はますます心配になって、禄朗の袖を引いた。

「ねぇ、なんか華ちゃん……」

 すごーく思い詰めた顔してない? と言おうとしたその瞬間。華ちゃんがおもむろに鞄から何か取り出した。

 淡いピンクの柄に、ギラリと光る鋭い刃の──カミソリだった。


「だ、だ、だ、駄目駄目駄目華ちゃんッ!」

「ば、馬鹿か華テメェ!」

 私と禄朗は同時にそれぞれ叫ぶと、2人揃って自分の鞄を放り投げて走り出した。

 おそらく人生で一番のスピードが出たんじゃないだろうか。

 私が華ちゃんの右手をガッチリ掴み、禄朗がそこからカミソリを叩き落とす。ナイス連携プレー。道中ギスギス睨み合っていたとはとても思えない。

「え? え……? 禄ちゃん? 杉崎先輩?」

 状況が飲み込めていない華ちゃんが、きょとんとした顔で私と禄朗を交互に見つめる。

「このタコ!」

 禄朗が今まで見た中で1番怖い顔で怒鳴った。

「テメェ阿呆か! そりゃ最近色々あってムシャクシャしたりヘコむのはわかるけど、だからって死ぬこたねーだろ馬鹿! 死んだらそれで終わりだっつーの!」

「そ、そうだよ華ちゃん! こんなことで死ぬなんて考えないで! 私たちまだ中学生なんだよ、これから楽しいことたっくさんあるんだよ! おいしいもの食べたり、旅行行ったり、新しい友達作ったり、恋したり……人生これからじゃん!」

 私も叫びながら涙が出そうになった。

 ここ最近の一件で華ちゃんが傷付き悩んでいたのは知っていたけど、まさかここまで思い詰めていたなんて考えもしなかった。

 もっと早く気付いて、救ってあげられたら良かった。私ときたら、彼女の話を聞くだけ聞いて、中途半端に首を突っ込んで、結局何の解決策も見出せていないじゃないか。

 自分の無力さが本当に悔しい。


 怒涛の勢いの私と禄朗に対し、華ちゃんはずっと戸惑った様子で瞳をパチパチさせていた。

「えっと……。すみません……し、死ぬって私が……ですか?」

 おずおずと、華ちゃんが言う。

「え? だって今、思い詰めた顔でカミソリ取り出して……」

「そ、それで手首切って自殺なんてしません。死にたいとも思ってないです」

 華ちゃんは両手を大きく振って、私たちの見解を全否定した。

 それを見て体中の力が抜ける。

「なーんだ……」

 良かった。ひと安心。私はホッとため息をついた。

 しかし禄朗のほうはそうもいかないらしい。先程までの取り乱しぶり(そういえば禄朗があんな風にプチパニックになるのを見たのはアレ以来だ──そう、一目ぼれした「七緒先輩」が男だって知ってしまったとき)はもうないけれど、それでもまだ怪訝そうに華ちゃんを眺める。

「じゃあこんなとこで何してんだよ? お前、現に刃物持ってたじゃねぇか」

 確かに、それはそうだ。

 とりあえず自殺ではないということで安心してしまったものの、こんなマンションの敷地内で少女がひとりカミソリを手に持って佇んでいるなんて、あきらかに『普通』の状況ではない。

「それは……」

 華ちゃんが禄朗をちらりと見て、口ごもる。

「なんだよ、ハッキリ言えよ」

「……私、喧嘩のしかたがわからなくて」

 華ちゃんが小さな声で言ったそのひとことは、やけに辺りに響いた。

「は?」

「橋本先生と『喧嘩』がしたいの。でもそんなのやったことないから、方法を知らなくて……」

「待て待て、それがなんでカミソリになるんだよ」

 禄朗が若干混乱したように額を押さえた。

 私も全くわけがわからない。まさか、そのカミソリでお礼参りよろしく橋本を成敗しに行こうとしていたとか? そんなコンビニに売っているようなピンクの柄のレディース用カミソリ一本で? それはそれで何だか色々恐ろしく、背中が少しゾッとした。


 しかし華ちゃんの返答は、私の荒唐無稽な予想の斜め上を行っていた。

「眉毛を……落そうと思って」

 おずおずと、しかしハッキリと、華ちゃんは言った。

 落とす。剃るでも整えるでもなく、落とす。

 聞き慣れないその表現は、華ちゃんのやろうとしていたことを私たちに易々と想像させるのに適していた。

「……えっと、えっと、つまり……カミソリで自分の眉毛を全剃りしようとしてたってこと?」

 私の問いに、華ちゃんがこくりと頷く。

 いつもの柔らかい笑顔で眉毛だけが完全にない彼女の姿を想像して、あまりのパンチの強さに心が大きく揺さぶられた。

「華ちゃん、それは……やめて?」

 そんな華ちゃん、絶対に見たくない。間一髪止めることができて本当に良かった。

 私は華ちゃんの両手に自分の手を重ね、もしもに備えてこれ以上鞄から刃のあるものが取り出せないようにした。そしてそのとき初めて、彼女の手が微かに震えていることに気付いた。

「……ねぇ、華ちゃん。なんでそんなトンデモ行動に……?」

 華ちゃんが悲しそうに瞳を伏せる。

「私、喧嘩のしかたがわからないから……だからまず最初に外見から喧嘩ができそうな人になって……そうすれば自然とそれっぽい行動もできて、橋本先生ともちゃんと戦えるかなって……」

「華ちゃん……」

「だって……このままじゃどうしても悔しいんです。自分にやれる方法で対抗しようと思ったけど、やっぱりこんなチマチマしたやり方じゃいまいち意味がある気がしなくて……。私、本当に本当に悔しくて悲しくて、怒りが治まらないんです。こんな気持ち初めてで……」

 華ちゃんは小さな肩をがっくり落とし、今にも泣きだしてしまいそうな雰囲気を漂わせていた。

 その姿からは、禄朗のために何か行動を起こしたいという強い思いが伝わってきて、私は思わず胸を打たれそうになった。──けれど、しかし、でも!


 ──大切な人の努力が否定された。戦いたい。強くなりたい。よっしゃ眉毛全部剃ろう。


 あぁ、恋する乙女同盟の私もさすがにそれには共感できない。できないよ華ちゃん。

 なるほど禄朗の言っていた通り、真面目でおとなしくて一途なこの女の子の思考は、それゆえたまーに少しぶっとんでしまうこともあるらしい。


 しばらく黙って話を聞いていた禄朗が、ひとつ、ため息をついた。






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