5<頼み事と、あの子の喧嘩>
禄朗が私の元を訪ねてきたのは、その翌日。
「おい、ボサボサ女」
放課後、部活を終えてさぁ帰ろうと校門をくぐった私の前へ、仁王像のように禄朗が立ちはだかった。
「ちょっと顔貸せや」
くい、と親指を引いた「表へ出やがれ」のジェスチャー。
ギンギラギンにさりげなく燃える鋭い瞳。
心なしかいつもの倍の勢いで重力に逆立った赤い髪の毛。
で、その妙な威圧感に押された私。部活の同期たちに先に帰っていてほしいことを伝えると、大人しく禄朗の後をついていった。
もちろん彼の言う通りにしたのは、そのガラの悪さに圧迫されたからだけじゃない。ちょうど私も、いまだ解決策の見つからないカンニング容疑事件の話を少し聞きたいと思っていたところだったのだ。
「何なのよ急に」
「……」
「人のこと呼び止めるならもう少しマイルドにやってよね。部活の子たちが怯えてたじゃん」
「……」
「今日はやけに髪ツンツンしてるね。ワックス変えた?」
「……」
「おーい、ニホンゴツウジテマッカー?」
私を完全無視した彼は、後ろを振り返りもせず、ずんずんと進む。
このまま黙って帰ってやろうかと私が思い始めた頃、唐突に禄朗が止まった。
そこは、学校から少し離れた交差点。信号は青なのに、彼は一向に足を進めようとしない。
「ボサボサ女」
「何?」
ナチュラルに返事をしてしまったあと、我に返って死ぬほど後悔した。
断じて、今の私はボサボサ女ではない! 朝きちんとブラシでとかしてきたし、スタイリング剤だってつけている! そりゃ女子度満点のうるつやスーパーサラサラヘアーではないかもしれないけど、ちゃんと人並みに整った髪の毛! のはず!
前言撤回するべきか否か、ほんの数秒の葛藤のあと、やっぱりやめた。
こんなことでいちいちカッカするのも大人げないし(なんたって年長者だからね私)、それよりも禄朗の要件の方が気になる。
熱い気持ちをぐっと抑え、今は黙って彼の話を聞くことにする。
禄朗は何かをためらうように難しい顔で、視線を斜め下辺りに彷徨わせていた。
しかし、やがてゆっくりと口を開いた。
「…………お前に頼みがあんだよ」
耳を疑った。
禄朗が私に頼み事だなんて、地面がひっくり返ってもあり得なさそうなことだ。
「何?」
禄朗が睨みつけるように私を見る。
「……一緒に華の家に行ってくれ」
「……華ちゃんの?」
彼は深く頷いた。
相変わらず目つきは超絶に悪いけど、その中に真剣な色が濃く表れているのが見えたから。私は何だかいつもと違うものを感じ、少しだけ身構えた。
「華ちゃん……どうかしたの?」
「……あいつ、今日の朝一で職員室の橋本のところに行って、カンニング容疑ふっかけたこと取り消すように抗議したらしい。で、橋本が取り合わなかったから、『来週の県の実力テストと来月のスピーチ大会に参加しない』って啖呵切ったらしい」
「えっ」
県の実力テストとは、毎年夏休み明けに県内全ての公立中学校で2年生のみに実施される学力試験のことだ。私も去年受けた。これは学校での定期テストより範囲が広く、内容も難しめに作られているので、結構大変なのだ。
そしてスピーチ大会とは、これまた毎年秋に市内で開催されるもので、各学校から選出された代表者2~3名がどこかのホールに集って何やら難しいスピーチを英語で行うのだ。更にその中でまた代表に選ばれた生徒が、後の県の大会に進むシステムになっている。
でも、これは正直、学校内でもかなり頭の良い人にしか関係ないイベントなので、私なんかは来月それが開催されることさえ忘れていた。そして、華ちゃんがその代表の1人になっていることも知らなかった。成績優秀な優等生だとは知っていたけど、本当に頭が良いんだな。
だけど、それらに「参加しない」発言がカンニング容疑事件とどう関係があるのだろう。いまいち結びつかない。
「な……なんで?」
私の問いに、禄朗は珍しく肩を落とすと、ひとつ深くため息をついた。
「華の奴、学年でも相当勉強できるほうだからよ、前々から橋本に『県のテスト期待してるぞ』って声かけられてたらしいんだよ。やっぱり県内全部で同じ問題解くわけだから、学校の平均点とか、自分の担当クラスの平均点とか、生徒の県内順位が高いと色々都合がいいんじゃねぇのか、よく知らねぇけど。で、スピーチ大会も、自分のクラスの生徒が学校代表になったことを橋本は結構自慢に思ってたらしいんだよ。それがなんかゴタゴタがあって急に辞退した……なんてなったらマズイだろ。つまりあいつが色んなイベントに参加しないことは、橋本に割とダメージを与えるんだ。華はそれをわかってて……こんなメチャクチャなこと言い出したんだろうな。今日一日、橋本の野郎ずっとイライライライラしてて、今にも発狂しそうな顔だったぜ」
私はつい2日前の──カンニング容疑事件の概要を語り終わった後の華ちゃんの様子を思い出した。
悲しそうな顔で何度も目を潤ませながら、それでも一度も涙をこぼさなかった華ちゃん。
その瞳の奥には静かに、強い怒りの炎が揺れていた。
私はそれを見てなんとなく、禄朗がブチ切れる瞬間の世にも恐ろしいあの目つきを思い出したのだ。
「華は橋本にそれ言った後、そのまま家帰ったらしい。教師と喧嘩してサボリ宣言して授業フケるなんて、あいつも相当だよな」
「そんな……」
これはつまり、華ちゃんなりの「喧嘩」?
暴力や暴言ではないけれど、自分の出来るやり方で教師に立ち向かうための「喧嘩」──?
「でもさ、それって結局華ちゃんが損しちゃうんじゃないのかな……」
「あぁ。カンニングに加担したって濡れ衣着せられて腹立つのはわかるけど、やり方が間違ってんだよ。あいつ頭いいくせになんでそんなことに気付かねぇんだよマジで」
禄朗が忌々しそうに舌打ちをした。
違うよ禄朗。
華ちゃんが怒ったのは自分が疑われたからじゃなくて、橋本が一方的な決めつけで禄朗の真面目な努力を否定したから。
そしてきっと、これが間違ったやり方だって知った上で、それでも我慢できなくて橋本に啖呵を切っちゃったんだよ────禄朗、あんたのことを思って。