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1<魔法と、夢見る朝食>

 インターホンに伸ばしかけた手を、ふと、止めた。

 カーキのハーフパンツのポケットから小さなミラーを取り出して、髪形と顔をチェックする。

 ゴミが付いたりむくんだりクマができたりしていないか。

 髪の毛がボサっていないか。

 おとといからおでこに小さなニキビが1つ現れてしまったのは残念だけど、なんとか前髪で隠すことに成功している。

 ──よしよし、大丈夫。

 気を取り直して東家のインターホンを押すと、ぴんぽーん、と我が家よりも少し高めの音が鳴る。

 ややあってドアが開き、七緒が出てきた。いかにも部屋着なTシャツにジャージ、寝起きっぽいボンヤリした顔をしている。

 私は目覚まし効果を狙い、片手を挙げてハンサムポーズ(ピースサインの、人差し指と中指の隙間を開けないバージョンの奴である)をとり、いつもより爽やかな挨拶をしてみた。

「オッス!」

「……おっす……」

 七緒も返してきた。でも相変わらず眠そうで、何も考えずに相手に反射的につられちゃった、という感じ。覇気がないなー。


 本日8月31日、夏休み最終日。

 蝉の声がピークに比べだいぶ静かになってきても、やっぱり日中はまだまだ暑い。

 義務教育最後の夏休みが今日であるわけだけど、いちいちそんなことで感傷に浸っていたらキリがないので全く何も感じない。今はそれより、目の前の半眼の幼馴染みだ。

「寝てた?」

「……起きてたよ。さっき、15分くらい前に起きた」

 目をこすりながら、七緒が言う。普通、目覚めてから15分経っていたらもう少し眠気も薄れているもんじゃないかな?

「相変わらず、部活の朝練がないと朝が弱弱だね」

 まぁ、朝って言ってももう10時だけどね。

 人と会話してやっと頭がすっきりしてきたらしい七緒が私に尋ねる。

「……で、どうしたんだよ朝っぱらから。宿題なら手伝わねーぞ」

「失礼な。終わってるよ。七緒こそ毎年31日にギリギリ終わらせてるけど今年はどうなのよ」

「今年はちゃんと計画立ててやったから終わったよ」

 ちょっと驚く。めずらしいこともあるもんだ。

 まぁ確かに毎年七緒が夏休みの宿題をぎりぎりまで溜め込むのは部活に熱中しすぎるせいで、今年は8月半ばで引退だったもんね。

「宿題じゃないとしたら何の用?」

「明美さんに頼まれたんだよ。七緒をシャキッと起こして朝ごはん作ってやってくれって」

「え?」

 お前はいつから家政婦になったんだ、と七緒の目が細められる。

「7時頃かな、明美さんが家に来て、お母さんとキャリーケースころころしながら発ったよ。そのときに仰せつかりました」

「……あぁ、旅行、今日からか」

 ようやく、七緒が納得したように言う。

 どうや寝起きで忘れていたらしい。

 春頃から計画が練られていた母親2人の水入らず旅行は、今日が出発日だ。この日に向けて始動していた明美さんの寒天ダイエットやお母さんの若作りな水着選びの件も懐かしい。

 日本の南の方での1泊2日の短いバカンス。ハメ外さない程度に羽を伸ばして楽しんできてほしいなーと思いながら2人を見送る私に、去り際、明美さんはこう告げたのだ。


『もう少し経ったら、七の奴を起こしに行ってやってよ。ついでに朝飯なんかも作ってくれるとなお良しだなぁ。あいつ放っとくといつまでも寝てそうだし、朝飯も焼いてない食パンとかだけで済ましそうだからさ。適度な睡眠と栄養のある朝食が受験生には必須だろ!』


「いやでも、そうだとしても、現に俺ひとりで起きられてるし朝飯くらい用意できるし。幼稚園児じゃないんだから」

「明美さんが生活リズムと良いご飯が受験生には1日も欠かせないって言ってた。1日のダラけが命取りになるって。朝ご飯まだでしょ?」

「そりゃ……まだだけど」

「よし、私もまだ食べてないから一緒に食べよ。おじゃましまーす」

 半ば強引に家に上がらせてもらった。

 後ろから「えぇぇ……?」と七緒の戸惑い気味の声が聞こえる。

 私にはわかる──これはおそらく、母親たちの計らいだ。だって2人、私に依頼するとき若干ニヤニヤしていた。

 インターホンでも起きてこなかったらこれで布団剥いでいいから! って東家の鍵まで持たせてくれた。

 ここぞとばかりに新婚さんごっこでも楽しみなさいってことか。

 ますます私の恋心がバレてしまっている可能性が上がった。でもそのことにヒヤヒヤする以上に、今はその粋な計らいに感謝。だって好きな人と2人の朝ご飯なんて、片思い中の身にとってはとても貴重な、そして何度も妄想で夢見たシチュエーションだ。


「和と洋どっちがいい?」

 食卓の上を軽く拭いたり片付けを始めた七緒に、私は持参したエプロンをつけながら尋ねる。彼はさっきみたいにごちゃごちゃ言うのを止めて、もうこの申し出を受け入れることにしたらしい。ちょっと考えたあと素直に答えた。

「……じゃあ、和?」

「ごめーん、私って和食の朝ご飯あんまり作ったことないんだよね。フレンチトーストとハムエッグとサラダとスープにするね」

「なら最初から聞かなくても……」

 いいじゃん別に。憧れるじゃんこういうの。ちょっと言ってみたかったんだもん。

「心都、さっき朝食まだって言ってたけど……2人を見送ったってことは7時には起きてたんだよな? 3時間近く食べてなかったのか?」

「あぁ、実はそのあと二度寝してさっき起きたんだよね」

「なんだよ、俺にあんだけ言っといてお前も遅起きじゃん」

「でへ」

 私は笑ってお茶を濁した。

 だって昨日は結構遅くまで勉強しちゃったし、朝7時なんかに七緒を起こしに行ってもただの迷惑だろうからまだ時間に余裕はあったし。

 夏の朝が苦手なのは、私だって同じなのだ。




 作った朝食を一緒に食べていると、自然と笑みがこぼれてきた。

 自分で言うのもなんだけど朝食は成功してとても上手にできたし(やっぱり自信のある洋食の方にして良かった)、七緒も一口目を食べた後おいしいって言ってくれたし。

 あぁ、いいなぁこの感じ。すごくいいなぁ。

 本当に新婚さんみたい。将来七緒と結婚できたら、こんなのが毎日続くのか。

 その頃には和食もバッチリおいしく作れるようになっているといいなぁ。「あなた、今日の朝はご飯とお味噌汁と魚の煮付けときんぴらごぼうとほうれんそうのおひたしよ」「あぁ、こんな朝飯が毎日食べられるなんて俺は幸せ者だよ」「あらやだ、『幸せ』はご飯だけ? 私は飯炊き女じゃないわよ」「そんなわけないだろ。いじけるなよ可愛い奴だなぁ。愛してるよ心都」なーんて。


「くふふふ」

 思わず笑い声が漏れた。

 向かいに座りサラダの皿のプチトマトにフォークを刺している最中だった七緒が、不審者に向けるような視線を私によこした。

 あぁ、妄想爆発しすぎた。──誤魔化さなきゃ。

「えっと、あまりにも……お腹すいてたから、おいしくて笑っちゃった。七緒んちの野菜すごくおいしいね。さてはうちのより良いの使ってるね」

「……普通に駅前のスーパーのだと思うけど」

「えー、うちと一緒だ。なんでこんなにおいしんだろ? ドレッシングいらないや!」

 ばりばりばり……私は何も味付けのないままレタスを咀嚼した。

 正直、我が家の野菜と別に変わらない。やっぱりサラダには味が欲しい。

 だけどさっきあの誤魔化し方をした手前、そんなこと言えない。

「あぁ、おいし! レタスおいしっ!」

「なんか楽しそうだな」

 ちょっと呆れたように七緒が言う。

 そう、私、楽しいの! というか浮かれているの!

 もう半月ほどこういう状態だ。

 原因はもちろん七緒。

 試合に勝った瞬間一番に私のことを思い浮かべてくれたというあの時の彼の言葉は、期限知らずの魔法のように今も心の中で輝き続けている。

 ただでさえ単純な私なのに、そんなこと言われたらちょっと期待しちゃってしつこいくらい引きずってもしょうがないと思う。

 ついつい笑顔になっちゃうし、いつも以上に身だしなみにも気を使うし、両想いへのやる気も出るってもんだ。


 もちろんそう正直に言えるはずもないので、私は頑張って平静を装う。

「そうかな、普通だよ。いつも通り、いつも通り」

 ふぅん、と納得したんだかしていないんだか微妙な目線で、七緒がこっちを見遣る。

「今日、夏期講習は?」

「おとといが最終日だったから、もうないんだ」

「あ、そうなんだ。一ヶ月間お疲れ」

「どもども。なんかね、忙しかったけど、私なんだかんだ今年の夏休みは一番充実してたかも。夏期講習のおかげで毎日だらだらしないで済んだし、他校に知り合いも増えたし……。あとなんといっても夏祭りも行けたしね!」

 2人で出かけた夜のことを思い出し、また自然と笑顔が出る。

 そういえば七緒に(かなり遠回しな言い方ではあったけど)浴衣を褒められたっけ。この夏休み中に彼に言われた嬉しいことをピックアップして思い出しただけで、数ヶ月はウキウキ過ごせそうだ。

 やっぱり今年の夏はかなりハッピーだったなぁ。あぁニヤニヤが止まらない。堪えなきゃ。

 そんな私を見て、七緒がふと思い出したように口を開いた。

「そういや……聞こう聞こうと思ってたんだけどさ」

「何?」

「夏祭りのとき、心都もなんか俺に話あるって言ってたよな。結局なんだったの?」

 椅子から転げ落ちそうになって、ぎりぎり耐えた。

 先程までの浮かれ気分から一転、動揺の嵐に飲み込まれる。

 そのとき私が言おうとした言葉は「好き」──告白以外の何ものでもない。

 七緒に浴衣を褒めてもらえた喜びと、幻想的な夏祭りの雰囲気。これらにやられた私は、あの時どうしても気持ちを伝えたくなってしまったのだけど──。

「ん?」

 押し黙った私を、きょとんとした顔の七緒が見つめる。

 のん気極まりないその表情と対峙していると、私の中のジャッジマンがあの時とは異なる判定を下す。

 違う。

 やっぱり今じゃないような気がする。

「う……。えっと……あの、大した話じゃないからいいや」

「え、すっげぇ思いつめた顔してたのに」

「全然! 全然薬にも毒にもならないようなどーでもいい退屈な話だから! あっ、それより七緒は夏休みどうだったの? 受験勉強と部活はもちろんだけど、遊んだりもできた?」

 必死で話を逸らす。

「まー、遊びまくりってわけじゃないけど、それなりに。」

「そういえば禄朗が、夏休みは七緒先輩とたくさん遊ぶって意気込んでたらしいけどどうだった?」

「禄朗とは夏休み中2回会ったな」

「そうなんだ! 禄朗と何して遊ぶの?」

 ちょっと想像がつかない。

「公園行ってぐたぐた話したり……つーか、どこに行って何するでもなく、あいつ写真撮るばっかりでさ。ツーショットとかなぜか俺のピンとか」

「写真……」

 うわキモッ! と言ってしまえばそれまでだけど、今の私にはそうは思えなかった。

 少し前の華ちゃんの言葉──『禄ちゃんも寂しいんだと思います』──が、頭の中で再生されたからだ。

 当たり前のように七緒と一緒に過ごせる今を、フィルムに焼き付けて残しておく。それは禄朗なりの、七緒が遠くへ行ってしまうことに対する準備なのかもしれない。

 ちょっと、気持ちわかるな。

 おそらくお互いコイツとは一生馬が合わないと思っている私と禄朗だけど、自分の人生において七緒が重要人物であるという点では同じなのだ。


 ……などというセンチメンタリズムをきっと全然理解していない当のご本人、七緒は事もなげに続ける。

「あぁ、そういえば1回、夏休みの宿題片付けに図書館行ったとき、禄朗と華ちゃんが勉強してるとこに遭遇した」

「へー!」

 これには素直に感心してしまった。

 もともとは禄朗が夏休みの補習を逃れるために始まった2人の「お勉強会」は、どうやらいまだ継続中らしい。

「偉いねー」

「だな」

 禄朗の成績も上がってきているみたいだし、なんとなくだけど彼は以前よりだいぶ華ちゃんといることを「自然」な時間として受け入れてきているように見える。

 ようやく華ちゃんの長年の健気な想いが報われ始めているのかな。

 だとしたら本当に嬉しい。











 ──それにしても。

「……写真かぁ」

 私はおもむろに携帯電話を取り出し、目の前に座る彼へ向けた。

 ぴろりん、とどこか間抜けな音と共にフラッシュが光る。

「なんだよ、急に」

「いやー別に」

 画面を確認してみると、明らかに不意打ちといった表情の七緒が、フォーク片手にこちらを見ている画像が写っている。

 いいな、私も七緒と撮りたいな。こんなんじゃなくて、2人並んでもっと親密でもっと笑顔でもっと良い感じの写真。

 でも禄朗に触発されたかのように私が急に撮ろうなんて言ったら不自然すぎるよね。


 七緒と最後にツーショットを撮ったのはいつだっただろう。

 小さい頃は家族ぐるみで遊ぶ度に2人セットでたくさん写真に収められたものだけど、さすがに最近はそんなこともほとんどない。

 携帯電話に目を落としたまま黙って記憶を辿る。

 うん、最後は多分、2年前。中学の入学式だ。式の帰り、真新しい制服を着た私たちはお母さんと明美さんに校門の前に並べられて、そこで写真を撮ったんだ。

 普通に考えれば卒業式ではまた自然に撮れるだろうけど……、なんというか、そういういかにも節目の写真じゃなく。来年から遠く離れちゃっても、それを見れば七緒との日常がいつでも思い出せて寂しくなくなるような写真。そういうのが欲しい。

 携帯電話のカメラでもいいから、中学3年間でもっと七緒と撮っておけば良かったな。


 ちらりと視線を上げる。

 瞬間、七緒がひるんだような顔をした。

「そんなにびっくりしなくても……」

「心都が急にこっち見るからだろ」

「何それ。視線動かすときに、はい今からそっち見まーすなんて言わないでしょ」

「そりゃそうだけど……そういうことじゃ、なくて」

 七緒が言葉に詰まる。

 何よ、変なの。


 ごちそう様、と唐突に宣言した七緒は綺麗に食べ終わった自分の食器を持って、立ち上がった。洗い物をするらしい。

 その姿を見た私は、つい数十秒前までのもやもやも吹き飛び、なるほど家事は分担してくれる派かー、良い夫になるなー、と再び浮かれ妄想モードへと思考を切り替えた。













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