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9<バトルと、ドキドキ>

「でも、まぁ、無謀な受験って意味では俺も似たような状況かも……」

 と、七緒が呟いた。

 私は犬小屋の中のクロを深追いすることを止めて、振り返る。

「え、どういうこと?」

 七緒は頭をぽりぽり掻き、苦笑いを浮かべた。

「相当死ぬ気で勉強しなきゃ目標達成できないってこと」

「そうなの? そんなにギリギリなラインだっけ」

 彼の成績は決して悪い部類じゃない。確かに開条もそれなりに良い学校だけど、さすがに夢物語レベルの超難関校ってわけじゃないはず。七緒の頭なら、普通に頑張って受験勉強に励めば合格だって十分見込めると思う。


 私は七緒の隣に座り直した。

 真面目な顔でオレンジジュースを飲み干した彼は、空き缶を自分の隣に置いた。コン、と軽い音が響く。

「開条って一応大学付属の私立高校だろ。両親は行きたい学校なら公立私立関係ないって言って応援してくれてるけど、うちはそんな金持ちってわけでもないごくごく普通の一般家庭で。こんなん全部『受かったら』の話だけど……やっぱり公立校に進むよりは、3年間かなり金銭面での負担が大きくなるんだよな、当たり前だけど」

 うんうん、そりゃそうだよね。

 私はこっくり頷いて、七緒に続きを促す。

「んで、ちょっとややこしい話になるけど、開条は入試のときの総合得点が合格者の上位5パーセントに入れば、成績優良特待生ってことで授業料とか寮費が大幅免除される制度があるんだ。3年間優良成績維持の条件付きで」

「あ!」

 私はポンと手を打った。彼の言わんとしていることがわかってきたからだ。

「七緒それ目指すんだ! 上位5パーを!」

「どうだ、お前に負けず劣らず無謀だろ」

 へっへっへ、と七緒が低く笑った。

 私は右手を振り上げ、

「いいじゃん! ひゅー! かっちょいー!」

 強めに七緒の肩を叩いた。ばしん! と良い音。

 彼は「お前な」と臨戦態勢で私に向き直った。

 でも私の顔を見て、冗談で言っているわけではないとわかってくれたらしい。

 からかう気持ちなんて一切ない、私は真剣だ。本当にかっちょいーと思ってしまったんだもん。

「頑張れ! 一度決めたんなら、七緒は絶対、大丈夫だよ!」

 数分前に七緒が私に言ってくれた台詞と、全く同じ言葉が口をついて出た。

 別に意図的に彼の言葉をパクッたわけではない。私も心からそう思ったのだ。

「……それさっき俺が言った」

「だってそう思うんだもん! 七緒が言わなくても私言ってた!」

「あぁ、そう」

「ねぇ、応援するね! 頑張れよっ」

「……サンキュー」

 昨日からもう何度目だかわからない私からの「頑張れ」を受け、七緒は笑顔で頷いてくれた。


「あ、そういえば」

 私はいつかの放課後、進路指導室から七緒が出てきたことを思い出した。

「もしかしてそのこと、結構先生にも心配されたりした?」

「うん。5パーはかなり厳しいぞって何度も釘差された」

 やっぱり。

 あのときの七緒の疲れ切った顔が鮮明に脳裏に甦る。

「……私もこれから個人面談、三者面談、最終面談でもれなくいっぱい反対されるんだろうなぁ」

「担任はまだ前向きに応援してくれる感じだけど、あいつが怖いぞ、進路指導担当の織田」

「マジで?」

「現実の厳しさをびしばし突きつけてくれるよ」

「あぁ……」

「負けんなよ」

「ま、負けないよ」

「無謀チャレンジャー同士、頑張りますか」

「おう」

 なんとなくテンションが上がって、お互い空になった缶で、もう一度乾杯なんかしてみた。


 きっと今までぐうたら生きてきた人生とは全く違う、本当に辛く大変な受験生としての日々がこれから始まるのだろう。

 そしてそれが終わったら終わったで、今度は七緒が遠くに行ってしまう。

 ──でも私、頑張れる気がする。

 うまく言えないけど、七緒が応援してくれるから、私も七緒を素直に応援できるから。

 だから、やっぱり絶対、乗り越えられる気がするの。

















「……あ、そうそう。話変わるけど昨日山上がさ、」

 突如七緒の口から出たその名前に、ドキリとする。

 あの山上とのやりとりをたった一晩で「綺麗な思い出のひとつ」に消化できるほど、私は大人じゃなかった。

 そんな動揺はもちろんつゆ知らず、七緒は続ける。

「試合のあと俺んとこに来てさ。引退おめでとうと、受験頑張れよって言ってくれた。西有坂中は今回勝ち抜いたからまだ引退は少し先になるみたいだな。大会終わりで色々バタバタしてただろうにわざわざ伝えに来てくれたんだよ」

「……そっか。いい奴だよね」

「うん。お互い違う高校進んでも柔道関係でちょくちょく会えるといいなー」

 ちらりと盗み見た隣の彼の表情は、とても嬉しそうだった。

 七緒には私の山上に対する中途半端な対応で怒られたし、なんか色々巻き込んでしまったこともあるし、きっと多少は心配もかけていた(と思う)し……おそらく、報告するべきだろう。

 私は意を決して口を開いた。

「……七緒」

「ん」

 のん気な顔の七緒が、私を見つめる。

 ドキドキを悟られないように、私はなるべくいつも通りの表情を作った。

「私、山上の気持ちをお断りしたよ」

「え」

「昨日返事した」

 七緒は驚いたように目を見開いた。

「……そうなんだ」

「うん」

「…………」

「…………」

 なんだ、この沈黙。

 心なしか若干張りつめたような空気を感じ、思わず俯く。


 ──これは、あれか?

 あんだけフラフラした不誠実な態度を取ってバッサリ振るなんて男の敵だぜこの非道くそ女め、ってこと?

 もしくは、てめーの色恋沙汰なんか興味ねーんだよヒロイン気取りかよいちいち報告してくんじゃねーよウゼェ、みたいな?


 あまりの空白の時間の長さに、恐る恐る顔を上げてみる。

 七緒はクロの小屋をじっと眺めていた。

 神妙そうなと言えばそう見えるし、興味がなさそうなと言えばそうとも見えるその表情は、いまいち読めない。

 やがて、七緒がぼそりと言う。

「……もったいないことしたな、お前」

「そう……かな」

「多分」

 七緒は返事もそこそこにオレンジジュースの缶をあおった。

 それはとっくに空だろうが。知ってるよ私。

「……」

「……」

「七緒、眠い?」

「え? いや、全然」

 ハッと我に返った七緒が、私を見る。

「なんかぼーっとしてるから……。疲れてるんじゃない?」

「そうかな、昨日しっかり寝たしそんなつもりないんだけど。……なんだろうな」

 少し困ったように七緒が笑った。

 どこか大人びて見えるこの表情を、近頃、彼はたまにする。

 最初は確か修学旅行で、幸運のジンクスである桜の花びらキャッチに成功した彼に、「願い事は?」と訊ねたとき。

 二度目はこの間、夏祭りで進路の話をしていたとき。

 そして三度目、今。

 前までは七緒がこの顔を見せるたび、私は小さな違和感を感じていた。

 15年一緒にいる幼馴染みが、なんだかこのときだけは知らない人みたいに見えるからだ。

 だけど今はそう思わなかった。

 私よりもうだいぶ背が高くなった彼にはこの笑顔がよく似合って、素敵に見える。とても好きだな、と思う。

 ──もちろん昨日の試合で勝った瞬間の七緒が2階席の私に向けたような、無邪気な笑顔も大好きだけど! そりゃもう可愛くてたまらんけどね! 高画質デジカメで写真を撮って額縁に飾りたくなるくらいだけどね!


「……っていうか、そうだ、七緒さぁ昨日あの時よく気付いたよね」

「は?」

「昨日の3回戦目、勝った瞬間。私、模試早めに終わってあの時ちょうど2階の観客席に着いたばっかりだったんだ。そしたらなんかすごいナイスなタイミングで勝っちゃうし、こっち見てくれるし。ビックリしちゃったよ」

「……あー」

 歯切れが悪い。

 なんだろう。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。

 上半身を捻って無理やり顔だけ彼の前に持ってきて、視線を合わせる。

 七緒がしぶしぶ、といった感じで口を開いた。

「俺もビックリしたよ。勝ってすぐ、なんとなく『心都いるかな』って思って2階席見て、すぐ『あ、そういえば今日模試で来ないんだった』って気付いたんだけど、次の瞬間、普通に心都がいるのが見えたから。最初幽霊かと思ったよ」

「えっ……」

 ドキンと胸が跳ねる。

 幽霊のくだりはこの際どうでもいい。

 勝った瞬間、私のこと思ってくれたって──本当に?

 部活仲間でも顧問でも家族でもなく、私を?

 どうして?

 婉曲や恋愛脳的補正なしにそのままの意味で受け取っても、じゅうぶん心臓を破裂させる威力のある言葉だ。

 どうしよう、胸が苦しい。

 完全ときめき乙女モードに入ってしまった私は七緒の目を見つめたまま、なるべく鼻息が荒くならないように気を付けた。

「七緒」

「……」

「それって……な、なんで?」

 それってもしかして、七緒にとって私の存在、結構大きいものになってきていると思っていいの? ねぇ七緒……。


 彼は私とじっと目を合わせたまま(というか私は七緒の前に回り込むような体勢になっていたため、そう簡単には視線を逸らせない)、やたら低い声で言った。

「……一本勝ちして浮き足立ちそうになったから、お前の阿呆面でも見て少し気持ち落ち着けようと思って」

「……はぁ?」

「緊張してる時とか具合悪い時、自分よりもっとひどい状態の人見ると平常心保てることってよくあるじゃん。その応用っていうか」

 彼が全てを言い終わる前に、私はありったけの力でその肩に拳を叩きつけた。

「い……ってー!」

「阿呆面とか言うな! ハゲ!」

「ハゲてねーよ!」

「ハゲさしてやるよ!」

「へ、やれるもんならやってみろよ」

 呆れ顔の七緒がまたオレンジジュースの缶を持ち、口元に運ぼうとする。私はそれを見逃さない。

「はいバカ! バカ決定! さっきもやってたけどそれ中身空だよね?」

「!」

「学習しない子だね七ちゃん!」

「……七ちゃんって呼ぶな」

 怒りと悔しさが表れた顔で七緒が空き缶を握り潰した。

 なんだなんだ、挑発か? 俺ってば力あるぜアピールか?

 でも残念、それスチールじゃなくてアルミだから誰だって簡単に潰せるんだよ!

「笑止ッッ!」

 べこっ。

 対抗心に燃えた私が自らも空き缶を潰したことがゴングとなり、結局、本格的な口喧嘩が開始された。

 そしてそれは、あまりのやかましさに目を覚ました母親2人が止めに入るまで、数十分に渡り続いたのだった。









 いつも通りの幕切れ、拍子抜け、憎まれ口、売り言葉に買い言葉、口喧嘩。

 ──だけど今回は少し違って。

 七緒と激しく言い争っているときも、バトルの興奮とはまた違うドキドキが私の胸を占拠していた。

 なぜなら私が七緒の顔を覗き込んで名前を呼んだあの瞬間、彼の瞳が揺れて、ちょっとだけ動揺が走ったのがわかったから。

 いやん七ちゃんってば『阿呆面』発言は照れ隠し? もしかして私たち相思相愛? ──と、ここまで都合の良い解釈は、あの鈍感野郎を相手にしてきたこれまでの経験から、さすがにできないけど。

 だけどちょっとは期待させてもらってもいいのかな。

 七緒の中で私の存在が、今までとは違った位置づけで、だんだん大きくなってきているかもしれない、って。

 いいよね?

 いいよね!

 七緒!







 ときめき乙女モード突入を自分に許した私は、とりあえずその日の夜、意味もなくハート型のクッキーをどっさり焼いて、勉強の合間にひとりで全部食べて、翌朝体重計の上で死ぬほど後悔した。













2日連続の更新でした。これで8章は終了になります。

皆さま良いお年を!

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