1<ふりふりフリルと、最後のチャンス>
本日12月24日、恋人たちのクリスマスイヴ!
去年までの私には関係のないイベントだけど、今年はちょっと違う。
なぜなら今、宝石みたいにライトアップされた街を、七緒と2人で歩いているから。
「はい、これ」
そう言って七緒が差し出したのは、
「わぁ、指輪?」
「…こーいう時はリングって言えよな」
華奢なシルバーの輪に、きらきら光る石がしがみついている。
「かわいー…!ありがとうっ七緒」
何かもう、幸せすぎて怖い。
お願い、夢なら覚めないで―――。
「ぐへっ」
笑ったところで目が覚めた。
ベッドから落ちて。
「…やっぱ夢オチかい」
寝癖頭をぼりぼりかきながら呟く。
ここはイルミネーションが光り輝くイヴの街ではなく、散らかり気味な7畳の私の部屋。
そりゃそうだよ。
クリスマスイヴに七緒と仲良く2人きりなんて、我ながら呆れるほど都合のいい夢。
だいたい、イヴなんてまだ1週間も先だし。
「あー…。今年はどうなんのかなぁ…」
「どうなるのかしらねぇ」
と、私の独り言に突然の相槌。
「おはよう心都っ」
華やかなピンクに溢れんばかりのフリルを乗せたド派手なエプロン。
それを身に纏ったその人は満面の笑みで立っていた。
「…おはようお母さん。今日のはまた一段とすんごいね」
「可愛いでしょお?」
裾を摘んでくるっと1回転――こんな、今時小さな女の子でもやらないような芸当を朝っぱらからやってのける(しかも嬉しそう)のが、我がお母様。
「おニューよ、おニュー!ほら見て、フリルの先にピンクのビーズが付いてるのよ!素敵よねぇ」
ふりふりフリル、リボン、レース…子持ちの主婦としてはどーなの的なこの趣味は昔から、それこそ学生時代からのものらしい。
幸いと言っていいのか、一人娘である私には遺伝しなかったけど。
「これまたごてごてな…ってかちょっと待って何で私の部屋にいるの?」
「あら、母親が娘を起こしに来ちゃいけないわけ?時間になっても起きてこないから声かけにきたのよっ。そしたらなーんか幸せそうな顔して寝てるから。寝言まで言っちゃって」
「えっ」
嫌な予感。
探るような、そして明らかに面白がっている表情でお母さんは言った。
「『メリークリスマスえへへへー』って。誰と一緒にいる夢見てたのかしらねぇ」
「とっ友達だよ!友達みんなでパーティする夢!」
「ふぅーん」
疑わしそうな目。
…危ない。
何しろ、私のお母さんと七緒のお母さんは、高校時代からの無二の親友だ。
もしお母さんが私の気持ちを知ったら、すぐ親友に伝えて母親同士勝手に盛り上がるに違いない。そしてその流れから七緒にも伝わりかねないわけで。
つまり、私のお母さんに恋心がバレるのは危険って事だ。
「あぁ、パーティで思い出したわ!あのね心都、実は七ちゃんが…」
「ぐはっ」
「あらやだ。何してるのよー」
タイミングよく出てきたその名前に気を取られて、顔面強打。
「ちょ、ちょっと足がもつれて…。で、七緒がどうしたって?」
お母さんは昔のアイドルみたいに両手で頬を挟み、
「明美から聞いたんだけどね、七ちゃん、俺は今年はパーティなんかぜってー行かねーって宣言してるらしいのよー」
明美さん(おばさんと呼ぶと烈火の如く怒る)――七緒のお母さんだ。
「あー…無理もないんじゃない?私だってそろそろ抜けようかと思ってたし」
「えぇ?そんな寂しい事言わないでよー」
と、眉を下げ駄々をこねるおかーさま。どっちが親だか。
さっきも言った通り親友である私のお母さんと明美さんは、学生の頃からクリスマスは欠かさず2人で祝ってきたらしい。
そしてその習慣は、お互い結婚して子供ができても変わらず。
私たちが生まれて最初のクリスマスから今まで、杉崎家と東家の合同パーティが毎年のイヴの定番となっているのだ。
パーティと言っても、どちらかの家で唐揚げやらケーキやらを食べて後は世間話をするだけのものなんだけど。
つまりその恒例行事に、今年の七緒は「ぜってー行かねー」らしい。
「うーん…まぁ当然っちゃ当然だよね」
「えぇ、どうして?」
お母さんは腑に落ちない様子だけど、私だって七緒の気持ちはわかる。
14にもなって家族とわいわいパーティなんてホームドラマみたいな事、そろそろ恥ずかしい。
昔みたいに家族ぐるみで和気靄々とはいかないんだろうな、きっと。
確か去年だって、気乗りしない様子の七緒を、彼の母が無理矢理引っ張ってきたんだっけ。
「しょうがないよ。もうチューガクセーなんだしさ」
「まぁ男の子だし…そういうの、もう照れちゃうのかしらね、七ちゃんも」
「そうそう。というわけで今年は明美さんと2人でやれば?久しぶりの親友水入らずで」
お母さんはまだ不服そうに、寂しいわーとフリルのエプロンを振ったけど、それが私の正直な気持ちだ。
確かに、クリスマスを好きな人と一緒に過ごせるのは、とてつもなく幸せな事だと思う。
でも家族同士で過ごすのは何か違うよな、と首を傾げてしまうのは――長年の腐れ縁から来る、ただの高望みなのかなぁ…。
「へっくし!!」
七緒のコントみたいなくしゃみが辺りに響いた。
無理もない。誰だって、冬真っ最中の12月に頭から冷水をぶっかけられたらこうなってしまうだろう。
3時間目の美術の授業中。つまり、今。
絵筆を洗うために用意されたバケツの水がひっくり返り、運悪く近くにいた七緒がとばっちりを受けてしまったのだ。
4年前の道場の取っ組み合いの時といい、七緒はよっぽどバケツの水と縁があるらしい(まぁ、あの時ぶっかけたのは私だけど)。
でも水を被った七緒は、髪の雫がきらきらと光って、何だかますます美少女っぷりが上がっているように見える。
これぞまさに。
「水も滴るいい女…?」
「おいこら心都。誰が女――へっくし!」
相変わらずの地獄耳。でも、くしゃみ混じりの反撃は気のせいか少し力なさを感じる。
七緒はむすっとしながらも、制服を着替えるために美術室を出ていった。
「ねぇねぇ心都」
隣の美里が、左手は筆を動かしながら(美里は左利きだ)首だけをこっちに向ける。
「心都はクリスマスどうするの?七緒君と過ごせそう?」
「寂しい私にはどーせ予定がないですヨー。今年は東家とのパーティも母親組だけの参加になりそうだし、多分暇かな」
「ちょっとぉ、そんなのん気な事言って…今年が最後のチャンスかもしれないってわかってる?」
「え?」
今まで画用紙にべたべたと絵の具を塗り付けていた私の右手は、止まってしまった。
その反応を見た美里は、「食い付いたな」とばかりに目をきらりと光らせた。
「来年の今頃は受験で忙しいだろうし、高校が同じかどうかだってわかんないじゃない。だからね、クリスマスを一緒に過ごせるのなんて、彼女にでもならない限り今年が最後かもしれないでしょ?」
「そ…っかぁ、そうだよね」
あまり考えていなかった(というか考えたくなかった)けど、来年は受験なんだ。
きっとクリスマスどころじゃなくなっているんだろう。
それから高校。七緒はどこに行くのかな。成績的には同じくらいだけど、もし学校離れちゃったらもう今までみたいには会えないかもな。
…うわぁ。何か私って――。
「先の事なんっも考えてなかったんだなぁ…」
頭がくらくらしてきた。
「だからこそ今年は一歩進むべきでしょー?」
形のいい唇を尖らせた美里は、絵筆をぶんぶん振り回した。
ピンクの絵の具が飛び散って後ろの男子の顔面を直撃したけど、なぜかそいつは嬉しそうで。
「あ、ごめーん田辺君。絵の具付いちゃった?」
「えっ!?あ、いや全然!もうかなりいい具合にほんのり染まったから!」
ほんのりどころか、顔を真っ赤にしながらわけのわからない事を口走る田辺。
「本当に?」
…出た。小悪魔美里の必殺上目遣い。
硬直状態の田辺は、すでに頷く事すら出来なくなっている。
何かあまりにも気の毒だ。
「こらこら。純情な少年を弄ぶなっての」
私が目の前で手をひらひらと振ると、美里は「弄んでないわよぅ」と言いたげに口を開きかけた。
しかし数秒後、美里は口じゃなく目を大きく見開いた。
その目がいつもの数倍きらきらと輝いて、私を見る。
「何?」
こういう時の美里は、何か「すっごく素敵!」な事を考えていたりする。
そして、その読みは的中した。
「ねーぇ、田辺君?」
美里に甘ったるく呼び掛けられた田辺は、完全に頬が緩み切っている。
「な、何?」
「田辺君クリスマスの予定なんかはどうなってるの?」
「え、俺?特に何も…」
「あらそう!」
美里の目が輝きを増す。
「じゃあ一緒にクリスマスパーティしない?私と心都と田辺君と、あと誰か――そうね、七緒君でも誘って!」
「「えぇ!?」」
私と田辺の声が、見事にハモった。
「何よぅ2人しておっきい声出しちゃって」
「だってそんな急に――ねぇ、田辺?」
首を捻って問い掛けると、そこはお花畑だった。
「…」
校内1の美少女からお誘いを受けた彼は、完全に夢見る表情で宙を見つめている。
駄目だこりゃ。
「ね、心都。七緒君誘ってみれば?来てくれたら嬉しいでしょ?」
「…うん、嬉しい」
嬉しくて泣きますよ、私。
でも七緒は。
パーティなんかぜってー行かねーって宣言したらしい七緒は、来るんだろうか。
幼馴染みのお誘いに、首を縦に振ってくれるんだろうか――?
「俺が何?」
「ぎゃっ」
いつの間にか、着替えを終え戻ってきた七緒が田辺の隣の席にいた。
「ぎゃって何だよ、ぎゃって」
ジャージ姿の七緒が不機嫌そうに私を見る。
「だっていきなりいるんだもん…そういえば制服大丈夫だった?」
「あー、水に絵の具が混ざってたみたいで染みが付いてた。クリーニング出さなきゃいけないから当分ジャージだな。動きやすくていいけど」
ジャージ姿の七緒を見ると、服は着る人によって変わるもんだなぁっていつも思う。
前に七緒ファンのお姉様方が「ジャージの天使よぉぉ」とか言っているのを聞いた。
正直、私もちょーっとだけ心の中で頷いてしまった。
だって、私が着るとただのダサい青ジャージなのに!
それが七緒は、可愛らしさがあるというか、爽やかというか──とにかく、ジャージまで光って見える。
…私、かなり重症かも。
「あのさ、七緒」
「ん?」
「えっと、24日の事なんだけど――」
と、私が切り出そうとしたその時だった。
バコン。そんな感じの鈍い破壊音が、廊下で響いた。