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6<駆け足と、2つ目の決心>

 何度も見直しをした。

 わかる問題はミスがないよう確認したし、わからない問題は精一杯知恵を絞って考えた末に「わからない」と判断した。

 最後に名前欄に目をやり、シャープペンを置き、解答用紙を裏返す。

 ふう、とため息が漏れる。


 ──終わった。


 5教科の模擬試験の、最後の1科目。比較的得意である国語がこの位置に来たため、私は終了予定時間よりもだいぶ早く全ての問題を終えた。

 腕時計を確認する。

 最終科目ということで、開始から30分が経った時点で終わった者から順次退室してもいいルールになっているのだ。

 時刻は15時過ぎ。ボーダーラインである30分はとっくに経過している。

 私は素早く(だけどできる限り音をたてないように)荷物をまとめると、席を立った。周りからはまだ紙の上を走るペンの音が聞こえている。100人ほどいる会場の教室の中で、どうやら私が一番だ。別に速さを競っているわけじゃないけど、それでも自分自身ちょっと驚く。


 大きな設問を丸々ひとつとばしているとか、ないよね?

 1枚だけだと思っていた問題用紙が本当は2枚組だったとか、ないよね?

 ──いや、ない!


 何度も見直したことを思い出して、そんな不安を打ち消す。

 大丈夫。早く終わったのは、ちゃんと私の実力だ。もともと得意なほうである国語が最後だったというのも大きいけど、それに加えて、今日は普段の倍くらいの集中力を発揮できた気がするのだ。

 七緒とのもやもやを解消して、言いたかった「頑張れ」を伝えて、すっきりした気持ちで問題に臨めたからだろうか。


 会場から出た瞬間、むわっとした夏の暑さが全身を包み込む。

 ぬるいゼリーのプールに飛び込んだかのような空気をかき分け、私は小走りで駆け出した。

 目標地点はクーラーきんきんのお家──ではなく、隣町にある市民体育館。今日の七緒の試合会場だ。

 もしも彼が勝ち進んでいれば、今から行っても試合が見られるかもしれない。

 そんな期待を込め、トートバッグを肩にかけ直し、スピードを上げた。

 ニヤケながら小走りで街中を駆け抜ける私は、きっとさぞかし不気味だったに違いない。







 走って、バスに乗って、また走って。

 私は市民体育館前に到着した。

 大きな正門の前に立ち、少し呼吸を落ち着ける。


 今朝あれだけ大々的なタックルで「勝ってきてね!」と送り出した私がまたもや現れたら、きっと七緒は驚くだろう。

 私が「模試休んで応援に行こうかなぁ」ともらしたときもプチ説教をたれてくださった彼だ。もしかして「こいつ本当にちゃんと参加してきたのか?」と心配するかもしれない。

 だけど、声を大にして言いたい。早く終わったのはあくまでも私の真の実力(これ重要)!

 別に七緒に会いたいからテキトーに試験を切り上げたんじゃない。

「うぬぼれんなよ。実力だよ。見直しまでしちゃってるからね」

 できる限りのクールな声でそう答える練習をしてから、門をくぐった。


 建物に入ってすぐのところにあるロビーで簡単な受付を済ませ、私は小走りで廊下を急ぐ。

 この市民体育館は、小体育館、中体育館、大体育館、フィットネスルーム、多目的室など様々な施設に分かれている。その中でも、今日の柔道部の大会は一番広い大体育館で行われているはずだ。

 あと数メートルで試合会場──という廊下の曲がり角で、

「ぐあっ」

 とても大きな誰かとぶつかった。

 反動で1、2メートルほど吹き飛んだ私は、その場で膝をつく。痛みは全くないけれど、「どぉん!」というまるで漫画のような衝撃にとにかく驚いて、私は咄嗟に目をつぶっていた。

「あれ、杉崎?」

 頭から降ってきた声はあまりにも聞き覚えがありすぎて、私はようやく目を開けた。

「あ、山上……」

 西有坂中学校指定の黒いジャージを羽織った山上は、申し訳なさそうに眉を下げた。

「わりーな、怪我してないか」

 なんでここに山上が? と尋ねかけて、すぐに気付く。今日は市内の中学の大会だから、当然、隣校の柔道部である彼も試合に参加しているのだ。

 私は立ち上がって両手を振った。かすり傷ひとつないぜ! のアピールだ。

「大丈夫。というか、走ってたのは私のほうだから。ごめん」

 しかし、走っていた私のほうが吹っ飛ばされ、山上はビクともしないとは。あらためて彼のガタイの良さを感じさせられる。


「山上、試合は?」

「あぁ、順調順調!」

 と、山上が豪快に笑う。彼の性格、実力からして、間違っても嘘や見栄ではなさそうだ。

「へー、さすが西有坂だね」

「まーな。次の試合までだいぶ時間あるんだ。そんで飲み物買いに行って帰ってきたところで杉崎が突進してきたからよ」

「ご、ごめん……」

 突進って。そんな言い方されると恥ずかしい(いや、事実だけど)。

 山上は右手に持ったスポーツドリンクのペットボトルで私を指し示した。

「というか、こんなとこで何してんだ? そろそろ東の試合始まるぞ」

「えっ」

「応援に来たんだろ」

 山上が当たり前のように言う。

「有坂中、勝ち進んでる。団体戦、次が3回戦目かな。東は副将だな」

「本当に!?」

 ──すごい。そうであってほしいとは思ったけど、まさか本当にここまで残っているなんて。

 私は嬉しさと興奮で、小さくガッツポーズを決めた。

「杉崎、東のこと応援できるんだな」

「え?」

「いや、すげー嫌な言い方すれば、柔道のせいで東は遠くに行っちゃうんだぞ」

 山上が少し不思議そうに私を見る。

「うん。もう大丈夫になった」

「そうなのか」

「うん」

 私は笑って頷くことができた。そしてそのことが自分自身、とても嬉しかった。

 大丈夫。私はちゃんと「のみこめた」んだ。


「はぁ、こないだまで死にそうな顔してたのに。女は切り替え早ぇーよなぁ、恐ろしい」

 山上が冗談っぽく身を震わせた。

 だから私も、彼の肩を軽く叩き言った。

「うるさいな、早くて悪かったね」

 HAHAHA──と表記したいくらいの朗らかさで、山上が大きく笑った。

 あれ。私、もしかしてまた彼の「わざと挑発するの術」に乗っちゃったのかな。……まぁ、いいや。


 廊下の少し先にある階段を指差し、山上が言う。

「試合、2階席で応援したほうがいいぜ。1階は関係者とかで混んでるし見づらいから」

「そうなんだ」

 この大体育館は2階までの吹き抜けになっていて、それぞれに客席が設置されている。確かに山上の言うように、今日はこの辺の地区の柔道部が一堂に会して、混み合っている。上からのほうが七緒の勇姿もしっかりと見届けることができるだろう。

「こっち」

 山上が先に立って案内してくれる。

 私はその広い背中を見て、人知れずぎゅっと拳を握りしめた。


 七緒にきちんと「頑張って」を言おうと誓ったときに、もうひとつ、心に決めたことがある。


 階段を上りきる前に、山上に呼びかける。

「あのさ、山上」

「おう」

 山上は振り向かず、声だけで答えた。いつも、こちらがひるむくらいにガッツリ目線を合わせてくれる彼にしては、珍しい気がした。

「山上、この間言ったでしょ。私が七緒のことを好きなのは、単に幼馴染みだからなんじゃないかって……」

 彼は足を止めて振り返ると、

「あー。言ったっけ? 言ったかも」

 おちゃらけた風に首をひねった。

 いつもの彼のパターン──こっちが意を決してふった話題を「忘れてた」と一蹴して拍子抜けさせてくれる──だけど、私はもうここでドリフばりにズッコケたりしない。

 今日までかかってやっと気づいた。

 こういうとき山上は、きっとあえてすっとぼけているんじゃないか、って。

 私は、いつもこの手の話題を必要以上にあらたまって神妙に切り出してしまう。重苦しい雰囲気を嫌う彼だから、きっとこうして少しでも空気を和らげてくれているんじゃないか──なんて言ったら、ちょっと格好良すぎかな。

 でもそんな気がするのだ。なんとなく。


「そのときは、戸惑っちゃって、あと時期的にヘコんでて、すぐ返事できなかったけど……」

「そうだったな」

「……でも、違うの。わかった。私、幼馴染みだから七緒のこと好きになったんじゃない」

 続きを促すように、黙って山上が頷いた。


「七緒のどこが好きとか、なんで好きなのかとか、最近はもうわかんなくて……。正直、言葉で説明できる気がしないんだけど」

 数歩先を行っていた山上と、階段を上りきる少し手前の半端な位置で立ち止まって話しているため、私はただでさえかなりの身長差がある彼を大幅に見上げる形になっている。

「でも……確実に言えるのは、5年前より、去年より、昨日より、今の瞬間のほうがいつも七緒のこと好きなんだ。毎日毎日好きな気持ちが増えていって、限度がないくらい。……自分でもほんと、馬鹿じゃないのって思うんだけど……」


 恋をすると女の子は可愛くなるというけれど、私はいまだにその効果を実感できない。

 ただひとつ痛いくらいにわかったのは、恋をすると人はとても愚かになるということ。

 私は自分でもよくわからないくらい、毎日、毎秒、七緒が好きだ。報われる可能性が決して高くはないことを知っていても、やっぱり好き。

「多分これって、『七緒の全部が好き』ってことなんだよね」


 だから私は、山上にきちんと返事をしなくてはいけない。


「山上は、『自分だったらずっと傍にいられる』って優しいこと言ってくれて、嬉しかったんだけど……」

 私は俯いた。

 見上げ続けて首が痛くなってきたからではない。

 これ以上、山上の顔を見て喋り続けられる気がしなかったのだ。


「やっぱり、私、馬鹿で……。七緒じゃないと駄目なの」


 自分で予想していたよりだいぶ小さな声になってしまって、驚いた。

 傷つけてしまうかな? と思って悲しくなって、悲しんでいる自分がまたとてもずるく思えて嫌で、そもそも「傷つけるかも」なんて考え自体が間違っているんじゃないかと思えてくる。

 泣きそうになったけど、ここで泣くのは多分、一番卑怯だ。

 絶対、駄目。死んでも泣いちゃ駄目。

 私は目の奥にぐっと力を込めた。


『でもなぁ、誰かを好きになったらデリカシーだのなんだのなんて気にしてらんねぇんだ。そういうもんだろ』

 そう遠くない過去に誰かに言われた言葉が頭をよぎって、誰の台詞だったかなと少し考えて──思い出した。

 あぁ、何ヶ月か前に、山上に言われたんだ、これ──。












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