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5<エールと、愛を込めて>

 夏の真っ青な空が眩しく、目にしみる。

 早朝の住宅街には人気(ひとけ)がない。蝉の声だけが賑やかだ。

 時間が時間なだけにまだそんなに気温は高くないけど、このぶんだと今日も暑くなりそう。

 模試の会場にまさかクーラーが付いていないことはないだろうけど、できるなら今日みたいに1日頭を働かせなきゃいけない日には、少し涼しくなってほしかったな。

 ため息ひとつ、私は自宅前の塀に寄りかかり、数学の公式を頭の中で反芻した。


 そのとき、微かに風が吹いた。

 水玉の半袖ブラウスの裾がさやさやと揺れる。

 あぁ、良い風。

 私は前髪を軽く押さえながら、二、三度ゆっくりとまばたきをした。


 ──来た。

 数十メートル離れたところから、見慣れた姿がこちらへ近づいてくる。

 私がこんな朝早くから野外でつっ立っている理由は、彼。

 ジャージ姿で、部活で遠出するとき用のスポーツバッグを抱えた七緒は、私を見るやいなや驚いて歩みを止めた。

「心都……? こんな時間に何してんだよ」

「ここ通る七緒を待ってたんだよ」

「俺を?」

 彼が驚くのも無理はない。何しろ時刻はまだ午前6時だし、私には早朝散歩の習慣なんてないし、そもそも私が夏の朝の早起きが苦手だということは誰よりも七緒が知っている。

 だけど今日の私は5時過ぎには目を覚まし、朝ごはんをきっちり食べ、身支度を整えて、ここに待機していた。運動部が大会なんかに出かけるときは一度学校に集まるのが恒例だ。東家から学校へ行くには私の家の前を必ず通る。だからここで待ちぶせしていれば、試合前の彼に会えることはわかっていた。


 どうしても、七緒に言いたいことがあったのだ。


「今日の引退試合、約束したのに見に行けないから、せめてここでお見送りしてこうかなーと」

 わざとらしく襟を正して咳払いをする。

 私は七緒に向かい合った。

「頑張ってね。七緒」

 彼はめずらしくちょっと照れくさそうに鼻の頭をかき、それから笑って素直に頷いてくれた。

「……うん。わかった。今日は絶対、勝ってくる」

 私も笑った。ちゃんといつも通り、にっこりできていたと思う。

「……あのね、『頑張って』は、今日のことだけじゃないの」

 七緒がまたしても不思議そうに私を見る。


 ずっとうやむやにしていたことだった。

 進路を一番に打ち明けてくれた七緒への言葉。

 ショックで寂しくて、考えること自体ストップしてしまっていたけど、今日ようやく言える。

 背中を押してくれたのは美里や華ちゃんや禄朗、そして他でもない七緒本人なのだ。

「七緒から志望校のこと聞いて、あのときはまぁちょっと、かなりびっくりして……話強制終了させちゃってごめん」

「あー……」

 あのときのこと──話の腰をぱっきり折って蝉の抜け殻トークを始めた私──を思い出したのか、七緒が苦笑いをする。

 私もつられて「でへへ」と頬をゆるめそうになったけど、止めた。今だけは締まりのない顔をしたくない。

 私は気持ちを落ち着かせるために、視線を自分の足元へと落とした。

「その話聞いたとき……やっぱりちょっと寂しくて。……でも寂しいけど、やっぱりそれ以上に七緒の夢とか目標に向かう姿勢がすごいなって思う気持ちが大きくて、頑張ってほしいなって……」


 離れていても応援はできる。

 それぞれの場所でそれぞれの頑張りを果たすことが、お互いのパワーにもなる。

 そう教えてくれたのは七緒だ。

 私はその言葉に素直に納得することができた。

 なぜなら私の一番の願いはいつだって、七緒の最高にキラッキラな笑顔なのだ。


「だから……私……」

 顔を上げると、スポーツバッグを足元に置き、真面目な表情で私の演説を聞く七緒と目が合った。

 それだけで私は急に泣きそうになってしまう。

「私……、七緒の受験とか、その後の高校生活とか、柔道とか……」

 みるみるうちに視界がぼやける。

 瞳の表面張力はもう限界。

 今にも両目から涙が零れそう。


 嫌だ。

 ちゃんと笑って頑張れって言いたいのに、ここでべそべそ泣くなんて、死ぬほどかっこ悪い。

 どうしよう、どうしよう──。


「……っ応援してるから!」


 気付いたら私は全力で七緒に突進し、彼の背中にガシッと手を回しながらそう叫んでいた。

 タックルとハグの折衷のようなこの攻撃を受けた七緒が「ぐっ」と一瞬くぐもった声を出す。

 私はそれを聞かなかったことにして、七緒の背中をバシバシと叩いた。

「応援してるから! 私の応援は力になるって、前にあんた言ってたじゃん! だから受験も柔道もその他もろもろもめっちゃ応援するから! ほんといっぱい応援してるから! 頑張れよっ!」

 泣き顔を見られたくないから私がこのような行為に出た、という事実をわかっているのかいないのか──彼はしばらく黙って私の「背中バシバシ」を受けていた。

 そしてやがて、

「……ありがと。心都も頑張れよ」

 私の背中を、ポン、ポン、と2回叩いた。

 涙がすっかり乾いた頃を待っていたかのようなタイミングだった。

「……うん」

 私は腕を解いて七緒から体を離す。

 涙を誤魔化すための咄嗟の行動とはいえ、ずいぶん大胆なことをしてしまったかもしれない。急激に後悔と恥ずかしさが襲ってきて、私はもう別の意味で泣きたく(というか死にたく)なっていた。

 七緒が少し意地悪い笑みを浮かべる。

「馬鹿力。今日背中が痛くて負けたらお前のせいだからな」

 憎まれ口がなんだか今は有難く思えてしまって、でもそれがまた悔しくて、私は力いっぱい右手を振り上げた。もちろんあっさり避けられたけど。











 十数年来の幼馴染みとして、そして彼に恋する愚かな女の子として──色んな意味の愛を込めたハグだった。

 言いたかった「頑張れ」をやっと言えたから、もう私は大丈夫。











  * * *






 冷房の効いた模擬試験会場。

 シャープペンを握りしめ、用紙に向かい、私は一文字一文字丁寧に志望校名を書き入れた。

 自分の進むべき道と、大好きな人の夢を信じて。







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