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3<犯行予告と、ひとつだけ>

「心都、これとこれだったらどっちが良いと思う?」


 両手に1着ずつ水着を持ったお母さんは、満面の笑みを浮かべていた。

 右手のビキニは真っ赤なハート柄。左手のワンピースはピンクのドット柄フリルがどっさり。どちらも、とてもじゃないがアラフォーの着るようなデザインではない。

 あと、午前中からリビングで水着を広げるのはやめてほしい。私は軽い頭痛を覚え、オレンジジュースを一口飲んだ。

「ねぇ、どっち?」

「……もうちょっと落ち着いた感じのが良いんじゃ……」

「あらやだ、明美だってビキニ着るために5月からダイエットしてるのよ? 私だって負けてられないわよー」

 妙な対抗心に瞳を輝かせ、お母さんは再び衣装を選び始めた。

 来月に迫った、ン十年ぶりの親友水入らずでの旅行が待ちきれない様子だ。

「やっぱりラブリーさを重視してフリルかしら。でもビキニなんて着られるのも今年が最後かもしれないし迷うわー。昔はお母さんも水着で浜辺に出るたび素敵な男の人にたくさん声かけられて大変だったのよー? 明美と出かけるときは、明美の眼光の鋭さに大抵の男の人は怯えてすぐ引っ込んでいったけど。あぁそういえば若い頃の夏よく履いてたミニスカートまだイケるかしら……」

「……」

 これ以上つきあっていられない。

 少し早いけど、私はこの場を切り上げ塾へ向かうことにした。

 ちょうど昨日、次回からは早く入室して良い席をゲットしようと誓ったばかりだ。

 いってきますもそこそこに、参考書入りのバッグを持ち、玄関でサンダルを足につっかける。

 逃げるようになってしまったけど、正直なところ罪悪感はない。

 我が母親の、恋愛とファッションを絡めた昔話──これが始まると恐ろしいほどの長時間相槌を打たされるということを、私は長年の経験でよーく知っているから。






 外へ出ると、うだるような暑さが体を包み込む。

「あっつー……」

 今日も真夏日になると朝の天気予報で言っていた。

 暑いのがあまり得意でない私にとって、毎年夏は「早く寒くならないかなぁ」と日々冬の到来に思いを馳せる季節になる。しかし今年はあまり外で遊ぶこともなく、ほぼ毎日冷房の効いた塾に籠っているので、例年のような感情はない(健康的な過ごし方とは言えないけど)。

 だからその分、こういうちょっとした移動時間に暑さを思いっきり感じて、ヒィヒィなってしまう。

 早く塾に辿り着きたい。

 そうすれば涼しいオアシスが私を待っている!

 その一心で足を速める。


 公園の入り口の前を通り過ぎたところで、ふいに、後ろからグッと肩を掴まれた。

「おうコラ、待てボサボサ女」

 聞き覚えのある声と口調に、不吉な予感を感じながらも恐る恐る振り返る。

「ちょっとその不細工な顔貸せや」

「ろ、禄ちゃん……! そんな言い方しちゃダメ!」

 そこには、心底不機嫌そうな禄朗と、おろおろと彼のTシャツ(黒地で真ん中に『kill you』と書かれている)の袖を引っ張る華ちゃんがいた。

 私は『不細工』呼ばわりに対する怒り以上に、2人がこんな夏休みの午前中から会いに来た驚きが勝ってしまい、思わず目を見張った。

「ど、どうしたの? 2人そろって」

 華ちゃんが申し訳なさそうに頭を下げる。

「すみません。禄ちゃんが、どうしても杉崎先輩に話があるから特攻するとか言って聞かなくて、最初は止めてたんですけどどうしても無理で……。とりあえず1人で行かせるより私もいたほうが何かあったとき防げる可能性が高いと思って、ついてきたんです」

「華テメェ……、人を狂犬みたいに言ってんじゃねぇよ!」

「狂犬そのものだろーが」

「テメェは黙ってろボサボサクソ女!」

 禄朗がきつい目つきで私を睨む。

 華ちゃんがいっそう不安そうな顔になった。彼女は、禄朗がまた前みたいにちょっと笑えないレベルの不良に戻って人を攻撃する姿なんて見たくないのだ。

 駄目だ。これ以上華ちゃんを心配させるわけにいかない。

 冷静に、なるべく朗らかに話をしよう。挑発をしない、挑発に乗らない。


「話って何? 私これから夏期講習だから、なるべく手短にお願いしたいな」

 できる限りの穏やかな口調で、私は尋ねた。

 それを受けた禄朗はつられて表情を柔らかくした──なんてことはもちろんなく、相変わらずの不機嫌極まりない様子で言う。

「七緒先輩から聞いた」

「何を?」

「進路の話」

「……あぁ」

「俺は自分から聞いたんだ。先輩の志望校が気になったからよ。そしたらあっさり教えてくれた」

「良かったじゃん」

「何が『良かった』だよスカしてんじゃねーぞゴルァ」

 禄朗がすぐにでも飛びかかってきそうな気迫で、じりじりと距離を詰めてくる。今はもう私の全てが気に入らないって感じだ。

『kill you』の文字が迫真の勢いで迫る。

「……それで何をそんなに怒ってるの?」

「その話のときにな、七緒先輩が言ってたんだよ。クソ女、テメェのことだ」

 私のこと?

 急速に胸の鼓動が速まる。


 禄朗は私を睨みつけ、声を低くして言った。

「七緒先輩、自分の進路を打ち明けたときにお前があまりにも反応悪かったからって後悔してた。『あいつは全然興味なさそうなのに、俺が勝手に一番に聞いてもらう人間に選んで、一方的に決意表明に付き合わせて悪いことした』──だとよ」

 私は徐々に道の隅へ隅へと追いやられ、ついには電柱に肩が軽くぶつかった。

「いーい度胸だよな、クソ女。七緒先輩が自ら将来についてテメェごときに話してくれたってのに、何スルーぶっこいてんだよ!」

「べ、別にスルーなんて……!」

 してない──とは、間違いなく言えない。

 何しろ七緒の決意表明の後、蝉の抜け殻の話を強引に開始してしまった私なのだ。

「テメェのことだから、自分の寂しさに必死で七緒先輩の気持ちは何も考えてねぇんだろ」

 ぐさりと、胸の奥深くまでナイフでえぐられたような気がした。

 図星だった。

 確かに私は、七緒がどんな思いで私に将来への希望を打ち明けてくれたのかなんて、考えることができなかった。

 ただショックで、寂しくて、おいていかれるようで──そればかりだった。


 華ちゃんが今までより少し強い口調で「禄ちゃん」と、彼の袖を引く。

 しかし禄朗はそれに構うことなく、更に声を荒げた。

「七緒先輩がテメェに一番に話したのは、テメェに一番応援してほしいと思ってるからじゃねーのかよ!」

 禄朗が燃えるような瞳で私を睨みつける。

 今までに見たどの彼よりも真剣で、怒りに満ちて、それでいてどこか悲しげな顔をしていた。

「それが……それがどんだけ特別なことかわかれよ! そんな簡単なこともできねぇんならいつまでも1人でグジグジしてひとりで勝手に腐ってろバーカ!」

 そう言うと禄朗は、どすどすと音を立て去っていった。


 私はしばらく何の反応も示せずぼんやりと立ち尽くした。

 禄朗の言葉が、重く重く、心に繰り返し響く。

 ──あぁ、私って本当に馬鹿なんだなぁ。


「先輩」

 華ちゃんの呼びかけで我に返る。彼女は心配そうな顔で、私を見ていた。

「すみません、禄ちゃん本当にひどい言い方で」

「ううん。今言われたの、全部本当のことだし……」

「……禄ちゃんも寂しいんだと思います」

 気持ちは痛いほどわかる。 

 七緒が遠くにいってしまうという事実を、禄朗はどんなふうに受け止めたのだろうか。

「……先輩」

 遠慮がちに瞳を伏せた華ちゃんは、やがて私と目線を合わせ、言った。「意を決して」という感じの表情だった。

「私も……本題から逃げちゃうより、きちんと話したほうがいいと思います。やっぱり好きな人には誤魔化さないで自分の本心を伝えたいって思うから……」

 華ちゃんが控えめに、しかしハッキリと告げてくれたメッセージを、先ほどの禄朗の言葉と共に心で反芻する。

 意図せずして、ほうっ、と大きなため息が出た。

「……本当、そうだよね」


 私は七緒への恋心が募れば募るほど、いつも色々なことを考えすぎる。

 だからがんじがらめになって、自分の素直な気持ちを言葉に出せないこともしばしばだ。

 だけど、一番大切にしなくてはいけないことは、いつだってひとつ──とても簡単なことなのだ。

 私は頷いた。

 ここ数日間の沈みきった心境とは違う。

 とても落ち着いた気持ちだった。


「あ……そういえば先輩、今から夏期講習なんですよね? ……時間大丈夫ですか?」

「あっ!」

 やばい。

 余裕をもって家を出たとはいえ、だいぶここで足を止めてしまっていた。

 腕時計を確認すると、授業開始10分前。走っても間に合うかどうかギリギリのラインだ。

 私は慌ただしくお礼を伝えると、全速力でかけ出した。











「あ、杉崎っ!」

 授業開始3分前、ギリギリセーフで塾のロビーへ到着するやいなや、大声で私を呼んだのは田辺だった。

「何してんだよ、遅かったじゃん!」

「た……た、なべェ……。本当に、同じ塾だったん……だ」

 全力疾走したダメージでまともに返事もできない。肩が激しく上下して、膝が震える。

 田辺が「うわ」と顔をしかめる。

「なんだその疲労具合。ちょっとひくわ」

 本当にデリカシーのない奴。こんなときには労りの言葉をかけるのが優しさってものだろう。

「は、走ってきた、から……」

「せわしないなー。ただでさえ真夏日で暑苦しいんだから、せめて爽やかに登場しろよ」

「あんたにだけは……言われたくない!」

 息を整えつつ、田辺を睨み返す。

「で……なんで田辺がお迎えしてくれるわけ?」

「あぁ、そうそう! こんなこと話してる場合じゃなくてっ」

 ようやく本題、とばかりに、田辺が険しい顔で私の肩を掴んだ。


「東が大変なんだよ!」








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