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2<夏期講習と、彼はエスパー?>

 私が参加している夏期講習は、全国にいくつも分校がある、この辺りでは一番大きな学習塾で行われているものだ。

 当然、参加人数も多く、能力によってクラスが分けられ、授業内容もかなりしっかりしている。

 1時間半の授業を午前に2コマ、午後に4コマ。これを週4日受ける。決して勉強好きではない私にとってはきついスケジュールだけど、そんなことは言っていられない。

 なんてったって受験生、なのである。


 30人ほどが集まった教室の一番後ろに座り、私は黒板の連立方程式をノートに写していた。

 午後の4コマ目、つまり本日ラストの数学の授業。

 必死に先生の言葉に耳を傾け、シャーペンを動かし、頭を働かせる。

 塾の教室にクーラーが完備されていて良かった。これで室内温度まで高かったら、そのうち頭がエンストしてしまうかもしれない。

 学校と違って、基本的に座席は早い者勝ちの自由席だ。今日は出がけの七緒とのスイカの何やかんやで着くのがギリギリだったので、この席に座ることになった。視力も聴力も良いほうだけど、やっぱり後方はかなり授業が受けづらい。

 次回からは余裕を持って来よう、と心に誓う。

 それでもどうにか集中力を保って授業を終えた。

 普段学校でしてしまいがちな、ノートの隅の落書きや、今日帰ったら何食べようの妄想、ということもなかった。

 何度も言うけど、なんてったって受験生。

 受験生の夏である。

 私もそろそろ真剣なのだ。



 授業の終わりに配られたのは、2週間後にある模擬試験のお知らせの紙だ。

 県規模で行われる大切な模試なので何かよっぽどの事情がないかぎりは受けるように──という先生の言葉で、その日の講習は終了となった。

「…………模試かぁ……」

 授業後の喧騒に包まれた教室で、私は思わず溜め息混じりに呟く。

 正直、ちょっと気が重い。

 模試ともなれば、きっと当日はまた志望校をいくつか書くことになるのだろう。

 いい加減、ちゃんと本命を決めなきゃいけない。そう思ってはいるけど、考えれば考えるほど、わからなくなってしまい、心が沈むのだった。






 塾を出ると辺りは既に薄暗かった。真夏とはいえもう7時を過ぎているので当然だ。

 人気(ひとけ)の多い大通りに出ると、見覚えのある学ランの生徒がたくさん歩いていた。

 あれは西有坂中学校の制服だ。

 そういえば、西有坂中学校はこのすぐ近くにある。今の時間に部活帰りの生徒が多くいるのも納得だ。

……ということはもしかして、山上もこの辺りにいたりするかもしれないなぁ。

 そんな考えが、ちらりと頭をよぎったのとほぼ同時に、

「うお! 杉崎じゃんか!」

 背後からバシッと強烈な一撃。

 よろけそうになるのを何とか持ちこたえる。そして勢いよく振り向くと同時に、私は言った。

「普通に呼び止めてよっ」

「わりぃわりぃ。ついテンション上がっちった」

 と、頭をかきかき満面の笑みを浮かべるのは、もちろん山上だ。

 彼の挑発に乗るのは控えようと以前誓ったばかりだけど、こういうときはつい反射的に攻撃姿勢になってしまう。

「杉崎、なんでこんなとこにいるんだよ」

「夏期講習の帰り。夏休み中だけこの近くの塾に通ってるから。山上は……部活帰りだよね」

 西有坂中の黒い指定ジャージを着た彼を見れば、一目瞭然だった。

「おう。そっかー塾か。俺に会いに来てくれたわけじゃないんだな」

「当たり前じゃん」

 つれねぇなァ、と冗談まじりに山上。

 何を言っとるんだコイツは。


 山上の後方では、数人の男子生徒たちが興味深そうにこちらを見ている。全員やたらガタイが良いことを見ても、山上の部活仲間であることは間違いない。

「なんだなんだ山上ィ、彼女かよ?」

「へっへっへ。ま、そのうちそうなるかもしれねぇな、なんて」

「このやろ、いつのまに。引っ越してきたばっかのくせに手がはえーな」

 楽しそうにじゃれ合うマッチョたちを眺めながら、私は今まですっかり忘れていたことをあらためて実感する。


 ──そうだ、山上って、4ヶ月前にこの町に来たばかりなんだ。


 それなのにもう3年間所属しているみたいに、部活仲間たちにもすっかり馴染んでいる。

 私だって、確かにまだまだ謎な部分は多いといえども、なんとなく山上とはもうずっと一緒にいるような感覚だし、おそらく七緒もそう感じているだろう。

 きっとこれも山上の底抜けに明るい性格が成せる技なのだ。

 ちょっと、感心。

 感心するあまり、山上の『そのうち彼女になるかも』発言に反論するのを忘れてしまった。

 気が付いたら、山上が部活仲間たちに手を振っていた。

「よし、杉崎、帰ろーぜ」

「えっ? ……いや、友達と帰りなよ」

「いいのいいの。あいつらどうせむさ苦しくたこ焼き屋とか寄ってくから。俺は杉崎と帰るほうを選ぶ!」

 そう高らかに宣言すると、山上はさっさと歩き出す。

「ちょっと山上……」

 追いかけて横に並ぶと、彼は笑顔で言った。

「夏休みの夜にデートなんて最高だよな、ハハハ」

「いやいやいや、デートじゃないし」

 これがデートに入るなら、私はもう七緒と何十回もデートを重ねていることになる。もはや完全なカップルだ。そうか、私と七緒って付き合っていたんだ。なぁんだ、知らなかった。

 ……んなアホな。

 乾いた笑いがこみ上げる。


 そんな私を、山上が不思議そうに見た。

「なんか元気ないなぁ、杉崎」

「え、そんなことないけど」

 口ではそう言いながらも、少しドキッとしてしまう。

 この人はどうしてこう、大ざっぱで豪快なくせに変なところで鋭いのだろう。

「東と何かあったのか」

「別に、何も……」

「あれだろ、進路問題。もしかしてあいつの本命って開条高校?」

 全く澱みのない口調で山上が言うものだから、私は口をあんぐり開け、間抜け面を披露してしまった。

 鋭い、なんてもんじゃない──山上、あんたってエスパー?

「な、なんで知ってるの……?」

 山上がニカッと笑う。

「やっぱ図星かー」

「え?」

「わかりやすいんだよな、杉崎は。アタシ彼のことで悩んでます! って顔に書いてある。この時期に悩むことって受験絡みが多いからな。東の志望校は、前にあいつから柔道の雑誌借りたときに、開条の特集ページだけ折り目がついててかなり読み込んである風だったから、なんとなくわかった」

「……」

 あんたは名探偵か。


「開条、遠いよな」

「……うん」

「杉崎は進路は?」

「私はまだちょっと曖昧かな……。山上は決まってるの?」

「一応、西高」

「へぇ、わりと近めだね」

 山上が口にした西高校は、市内にある学校だ。県立高校の中でも特に歴史が古く規模が大きく、確かスポーツが盛んだったはず。文化祭や体育祭なんかの行事も毎年とても盛り上がるらしい。

 うん、山上にピッタリな学校だな、と私はひとり納得した。

「まぁ、開条に比べりゃ大抵のとこは『近い』になるだろ」

「……そうだね」

 あの夏祭りのあと、家に帰って調べてみた。ここから開条高校までは、バスや電車を乗り継いで約2時間半。片道だけでも8000円近くかかる計算だ。

 数字になって目の前に表れると、あらためてその距離の大きさを感じる。


 遠い。

 まだまだガキである私にとっては、途方もなく、遠い。


  寮に入ったら、きっと七緒がこちらに帰ってくるのは長期休みの間だけになるだろう。いや、もし部活や勉強が忙しかったら、それだって確実かどうかわからない。

 引っ越し先での生活に馴染んで、友達もたくさん作って、楽しく過ごす。

 もしかしたら好きな女の子や恋人だってできるかもしれない。


「寂しいな」

 私の心を読んだようなタイミングで、山上が言う。

「……うん」

「俺だったら、ずっと杉崎の側にいられるんだけどな」

 突然の言葉に、私は驚いて山上の顔を見た。

 彼が足をゆるめる。

「杉崎を怒らせるかもしれないの承知で言うけど。──杉崎が東のことを好きになったのは、生まれたときからずっと一緒にいたからっていうのも大きいんじゃないのか?」

 いつもの明朗快活な口調とは少し違う。山上は私の目をじっと見つめながら、落ち着いたトーンで続けた。

「だから来年東が遠くに行っちまったとして……そのぶん俺と長い時間を一緒に過ごせば、俺のこと好きになるんじゃないか? なんてな」

 最後はいつもの明るい口調に戻り、山上は笑った。

「……山上……それは……」

 私に返答する暇を与えず、山上はひらりと手を振った。

「着いたな。んじゃ、またな」

 気が付いたら我が家のすぐ傍の路地まで来ていた。

 知らない間に送ってもらってしまったということだ。

「……ごめん、ありがとう」

「あんま暗い顔すんなよな。またデートしよーぜ」

 だからデートじゃないってば。そう言い返そうとしたけど、声が詰まって出なかった。


 七緒に進路を告白されたあの夜の何倍も、今、泣きそうだ。
















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