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12<条件と、好機についてのあれこれ>

 人混みが少しやわらいだところで、七緒と繋いでいた手はそっと離れた。

 あぁ、残念──と思う以上に私は安心した。

 だって、夏の夜の暑さと人の熱気、それに加えて七緒と触れ合っているというドキドキで、私の右手はこれ以上ないくらいに熱を帯びて、汗もかいてきてしまっていて。

 だから、これが原因で嫌われるなんて事態が起こる前に手を離すことができて、正直ちょっとホッとしたのだ。









「……これ、全部食べきれんの?」

 七緒が呆れたように私に尋ねる。

 焼きそば、ポテト、イカ焼き、ソース煎餅、フランクフルト、綿飴、チョコバナナ、水飴(あのおじさんの屋台で買った、うさぎちゃんの飴細工入りのやつ)、ベビーカステラ、かき氷……これらを両手にどっさり抱えた私たちは、人混みから少し離れた境内の石段に腰をおろしていた。

「だいじょーぶ! しょっぱいのと甘いのバランス良く買ったし!」

「そういう問題?」

「そういう問題! さ、七緒も食べよ」

 お祭りで食べるご飯って、どうしてこんなに美味しいんだろう。どんどん食が進む。

 特に山上自ら作ってくれた焼きそばは絶品で、私は「山上、将来焼きそば屋さんでも開業すればいいのに」なんて思った。


 私は箸休めに水飴をなめながら、帯に挟んだ小さな熊のぬいぐるみを眺めた。隣に座る七緒にバレないようにひっそりとほくそ笑む。

 これは先ほど射的の屋台で七緒が見事ゲットしたものだ。黄色の体に赤いトレーナーを着た可愛い熊(ひげが生えているという点以外は某夢の国のキャラクターと酷似しているけど、夏祭りの景品にはよくあることだから気にしない)は彼の部屋には不必要らしく、私が譲り受けた。

 また宝物が増えた喜びで、胸がギュッとなる。

 一時はどうなることかと思った今日の夏祭りだけど、なんだかんだ十分楽しみまくっている私なのだった。


「んふふ」

「なになに怖いんすけど」

 と、馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべた七緒。

「さっきの金魚すくいのときの七緒、かっこ悪すぎだったなーって。思い出し笑い」

 柔道部で鍛えられた動体視力を見せてやる! と鼻息荒く挑んだものの、金魚すくいの繊細な加減が全く掴めなかったらしい彼は獲物0匹という逆に珍しい快挙を成し遂げたのだ。

「な、なんだよ。あのときさんざん馬鹿笑いしといて、まだそれ引っぱんのかよ」

「あれは忘れられないなぁ。3回挑戦したけど全部すぐ網やぶけて、ダッサダサだったもんね」

「そっちこそ輪投げひとつも入らなかっただろ」

「ぐ……」

 それを言われると弱い。

「ま、まぁ、引き分けだよね今日は! 私は金魚すくいで勝ったし、七緒は輪投げで勝ったし」

 本当のことを言うと、私は多分、射的でも七緒に負けている。

 彼がゲットした(そして私にくれた)熊のぬいぐるみはいくつかあった景品の中でもそこそこ豪華っぽいものだったけど、私が手に入れたのは明らかに残念賞の、「萌」とでかでか書かれた変な缶バッチひとつだったからだ。

 だけど七緒はそのことを引き合いに出さず、「まぁそういうことにしといてやろう」という顔で前を向いた。


 その視線の先には、人混みと屋台で賑わう、祭りのメインストリートともいえる道。私たちがいる場所から数十メートルしか離れていないのに、まるで別世界みたいだ。それくらい、この石段はひっそりと静まり返って、人気(ひとけ)がなかった。座ってゆっくりご飯を食べるのには最適の場所だろう。

 私は水飴を食べ切り、言った。

「なんだかんだすごい満喫できたね」

「しょっぱなはぐれてどうなるかと思ったけどな」

「まぁね。……でも楽しかったなぁ。これで夏休み、勉強頑張れそう」

「そういえば心都、進路は決まったんだっけ?」

 七緒も溶けかけのかき氷をひとくち食べ、私に問う。

 そう真っ向から尋ねられると、ちょっとテンションが下がる。いまだ解決の兆しを見せない志望校問題は私にとって最大の悩みだ。

「えーと……一応調査票は北高を第一志望にして出したけど、まだ検討中っていうか、おいおい確定していく方針っていうか……」

「ふぅん」

「そ、そういう七緒は? 前うさぎ部屋から出てきたの見たけど、もしかして私と一緒で進路うやむや組だったりすんじゃない? ヒヒヒ」

 仲間に引き入れようとにじりよる私に、七緒は憮然とした表情で反論した。

「ちげぇよ失礼だな」

「ちゃんと考えてるの?」

「まぁ、一応それなりに……」

 うーむ。やっぱりこの時期になってもふわふわしている受験生なんてそうそういないか。

 更にテンションが下がってため息をつきかけた私は、すんでのところでそれを飲み込んだ。


 七緒がいつになく真剣な顔つきで、じっと私を見たからだ。


 視線と視線がぶつかって、私の心臓が大きな音をたてる。

 妙な沈黙の中で、少し離れた屋台の喧騒が微かに聞こえる。

 道なりに吊された提灯の灯りがぼんやりと、夜の闇を照らす。

 いつもみたいに軽く笑って「何ガン飛ばしてんのヨー」とか言えるはずもない。それくらい真面目な空気が辺りに漂っていた。


「心都」

 七緒がゆっくりと口を開いた。

 私はいよいよ自分の胸の鼓動に押しつぶされそうになって、死にかけながら黙って次の言葉を待つ。

 そんな私の緊張を知ってか知らずか──七緒は少し笑みを浮かべて言った。

「歯にのりついてる」

「……え?」

「焼きそばの青のりが歯についてますよ」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

「う、うそ!?」

 あれだけ美里に心配され、自分でも絶対に起こしてはならないと注意していた事態が、まさか現実のものになってしまったというのか。

 慌てて七緒に背を向け、鏡を取り出す私に、彼がもう一言。

「うそ」

 は?

 愕然とした気持ちで振り向く。七緒は意地悪く笑っていた。

 そのときになって、私はようやく全てを把握した。

 この……

「このバーカ! バカバカバカ! ガキ! 乙女心をもてあそびやがって!」

「いてっ! いててて殴んな! 何が乙女だよ」

 私は先ほど七緒からもらった熊で、彼を殴った。柔らかいぬいぐるみとはいえ意図的にかなり遠心力をつけているので、そこそこ痛いことは間違いないだろう。

「おいコラ熊さんは関係ねぇだろ、武器にすんな!」

「うっさいバーカ!」

 この幼馴染みの単純な引っ掛けにハマってしまうなんて。悔しい。悔しすぎる。

 なんとか一矢報いることはできないものか──必死に働かせた頭に、ついさっき山上から聞いた話がよぎる。

 よし、これだ。


 私は七緒に負けず劣らずの底意地の悪い笑みを浮かべた。

「そういえばあんた、『お前の母ちゃんデベソ』が怒りの沸点らしいじゃん」

「えっ」

「山上から聞いたよぉ。5年前は私のお母さんのためにドーモね」

 みるみるうちに七緒の顔が強張り、赤と青の混じった変な色になる。

「……やめてくれ、今思い出しただけでもマジで恥ずかしさで死にそうなんだから」

 あまりにも耐え難そうなその表情に、ちょっと吹き出した。

 まさかこのネタひとつで彼をここまで苦しめることができるとは思いもしなかった。だからこの5年間、七緒の口からあの事件の真相が語られることはなかったんだ。納得。

 七緒は観念したようにため息をひとつつくと、ぶつぶつと語り始めた。

「……まぁ、俺、小さい頃は爽子さんが女神か天使みたいに見えてたからな」

「何それ。そんなに?」

「心都だってうちの母親の性格はよーく知ってるだろ」

 それはもちろん。私だって、七緒のお母さんである明美さんとは小さい頃から仲良くしてもらっている。彼女のまことしやかに囁かれる元ヤン説を裏付けるワイルドさは身をもって知っているつもりだ。

「正直まだまだ甘えたい盛りだった小学生の俺にとっては、爽子さんが理想の母親だったんだよな。褒めてくれるし可愛がってくれるし、ケーキとか焼いてくれるし」

「へーぇ」

「おい、その半笑いやめろ」

「笑ってないよ」

「……。とにかく、あん時はどうしようもなくガキだったってこと! 母親たちにはこの話、ぜっっったい内緒だからな!」

「うん、わかった!」

 私は満面の笑みで頷いた。

 これは良いゆすりのネタ……もとい、思い出し笑いのネタができたってなもんだ。



「そういえば、昔は何度かお母さんたちと一緒にここのお祭り来たよね」

 今となっては遠い昔。恐らくまだ私たちの年齢が一桁の頃だ。

 母親たちに連れて行ってもらった祭では、ヨーヨー釣りがすごく楽しかったことを覚えている。

「懐かしいなー」

「うん。俺なんて夏祭り自体久しぶり。中学入ってからはずっと部活ばっかりで夏休み遊びに行くこともほとんどなかったからな」

「……そうだよね」

 というか、今年の夏休みも七緒が部活で忙しいことには変わりない。むしろ受験生ということもあり、今まで以上に時間に余裕がないのは明白だ。

 そんな中で彼が、私の悩みっぷり(彼曰く「ヤバい追いつめられ方」)を案じて夏祭りに誘ってくれたことには、やっぱりいくら感謝してもしきれない。

「今日は誘ってくれてありがとうね」

「何だよ、急に」

「さっきも言ったけど、これで受験勉強がんばるパワーがついたよ。おいしいものいっぱい食べられたし、浴衣も着られたし! 大満喫! 大満足!」

 改まって向き直る私に、七緒は少し驚いたようだった。目をパチクリさせながら私を見つめ返し、

「あぁ、そう」

 と、ひとこと。

 そんな彼のそっけなさも気にならないくらい、私は満ち足りていた。

 今日一日本当に楽しかった。色々予想外のことも多かったけど、間違いなくこの夏の大切な思い出だ。

 それに思いがけない形とはいえ、七緒と手も繋げちゃったし。次に会ったら美里にすぐ報告しよう。何しろ彼女は『人混み手繋ぎ大作戦』を強く推奨していたんだから。


「浴衣」

 ふいに、七緒が言った。

「え?」

「心都、前に言ってた『好きな人』に浴衣姿を見せればいいじゃん。そしたらきっと相手イチコロだろ」

 照れているわけでもなく、キザっぽく微笑んでいるわけでもなく、あくまでも七緒は飄々とした顔をしている。

 だから言葉の意味を掴むのに少し時間を要したけど、それって、えっと、つまり──。

「七緒、浴衣褒めてくれてるの?」

「一応そのつもりなんだけど。……なんで疑いの眼差しなんだよ?」

「だって七緒、今日最初に会ったときから何も言ってくれなかったじゃん」

「言おうとしたらお前が遮ったんだろーが」

 そうだっけ?

 やっと事態を理解した私の心臓が、またしても破裂しそうな勢いで脈打つ。

 頭と胸が熱い。苦しい。

 でもそれ以上に、やっぱり嬉しい!


 気が付いたら私は、七緒に掴みかからんばかりの勢いで質問を浴びせていた。

「本当の本当に!? ちょっとでも可愛げあると思った!? 今までの私との違いを感じた!? 驚いた!? ドキッとした!?」

「なんだよその質問」

「お願い! 私の今後の人生にとって重大な問題なの! ボランティアだと思って! アンケートに答えるつもりで!」

「……」

 彼は右手の親指と人差し指の間に小さな隙間を作り、答えた。

「こんくらい、ちびっと」

「……っよっしゃ────ァァァ!!」

 静かな神社の石段周りに、私の雄叫びが響き渡った。高く高くガッツポーズ。テンションは最高潮だ。

「うわ、うるさっ」と七緒が顔をしかめる。だけどそんなことはお構いなしに、私は狂喜した。

「ばんざーい! やったぜベイビー!」

「何がベイビーだよ頭大丈夫か? ……つーか、俺の意見なんか参考にしないで、自信持ってその好きな相手と浴衣デートの約束でもしろって。ぼやぼやしてると夏なんかあっという間だぞ」

 あぁ、こいつ、また複雑な勘違いをしている。だけどそんなことに落ち込む暇もないくらい、私は今、喜びに溢れていた。


 七緒に恋して早5年。

 この美少女顔を持つ異常に鈍感な幼馴染みへの恋は、そりゃあもう問題点だらけだった。

 明らかに私より七緒のほうが何倍も可愛いし、そもそも彼は私のことを「女の子」だとは微塵も思っていないだろうし。

 だからこそ今こうして、七緒に外見を褒めてもらうことができただなんて、私にとっては奇跡に近い出来事だ。

 諦めないで頑張ってきて良かった。

 今はもう世界中の人々にハグして回りたい気分。


 ──と、ひとしきり喜びを噛みしめたあとで、私はあることに気付いた。


 恋愛サバイバルの中で戦う覚悟をした去年の冬、私が心に決めた「告白の条件」。

『いつか、私が少しでも可愛くなれたら。そんでもってあの部活命の鈍感男をちょっとドキドキさせることが出来たら、そのときは告白しよう』──それが自分自身との約束でもあり、目標のひとつでもあった。

 これは……今日クリアということにしていいのだろうか?

 だけど今の状況が条件を満たしているかというと、正直、微妙なところのような気がする。

 確かに七緒は褒めてくれたけど、後半は半ば私が言わせたような感じだし、あくまで「ちびっと」だし、そもそもこれは世に言う浴衣マジックによるところが大きい気もする。

 いや、それ以前にまず、この条件が確実に満たせたといえるときってどんなもんなんだろう?

 まさかちょっとおめかしして七緒に会うたびに「今、ドキッとした? 私のこと可愛いと思った?」なんて聞くわけにもいかない(そんなのただの危ない女だ)。

 だけど、条件をクリアしたかしていないか、そのあたりのことを自分自身であまりにも厳密に計りすぎては、きっといつまで経っても告白なんてできないだろう。

 だとしたら、告白の本当の好機って一体いつ?

 そもそも、今告白してこの恋は実るの?

 っていうかそもそも、告白なんて私にできるの?

 もっとそもそも、告白ってどうやればいいの?

 あぁ、だんだん「告白」の2文字がゲシュタルト崩壊してきた。


 先ほどまでのハイテンションとは一変、急に黙り込んだ私を七緒が訝しげに見る。

 そして、なんだかやけに落ち着いた声で言った。

「何?」

「えっ」

「すげぇ何か言いたいときの顔してる」

「……何それ。わかるの?」

「まぁ、15年の付き合いだし」









 告白。

 したくなったときが好機だとするのならば、きっと間違いなく今は、そのときなのだと思う。


 私は深呼吸すると、七緒の目を見つめた。

「喧嘩は先に目をそらしたら負け!」と、あまりにも場違いなあの鉄則を、何度も心で繰り返して。










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